人を幸せにする人になろう

恒藤記念室の平面図改訂

◆ここまでの検討をふまえ、スペースを増やす。

難波京復元中

◆大正10年の地図を貼り合わせ、上町台地科研の図を重ね、京条坊痕跡を記入中。
◆話は変わりますが、飛鳥地域の106m条坊もきっとあるだろうとにらむ。
◆飛鳥寺などにも再び取り組んでいる(5歩メッシュです)。 

どちらも

◆いや~反骨の記録は勇気づけられますね。戦前の日本にも敢然と反論した人があったことを、 さまざまな人材を取り上げてくれており知ることができる。なかには殴り殺された人もいるが。出石出身の国会議員が、国会の場で堂々と日中戦争を批判していたなんて。それを国会が除名する。出席305人中、反対した者は7名だけという。みな軍部をおそれて戦争のことに踏み込まないことに対し「臆病千万!」と。
◆恒藤が滝川事件で辞めたとき、『改造』だったかに寄せた文「死して生きる途」。これもタイトルからしてかっこよろしい。己の信条や正義に反することに、いまどれだけ徹底抗戦できるだろうか。いや家族もいるし、ローンもあるし、でなく、「それはおかしい」と堂々と表明する気概を、お前はもっているか、と自問する。
◆長沼裁判の記録も、実に生々しく、法曹世界が腐っていることがよくわかる。3権分立など虚像であることはみな知っている通り。そこでもまた、司法修習生を修了し、裁判官を希望しながら、青法協に入っていることによる不採用、それに抗議した代表者の罷免、現役裁判官の不継続。みな最高裁の命令で、直属の上司等は彼らに言い渡す。そして、「あいつはいい裁判官になったのに」とか、「いちばんできるやつを切った」とか。彼ら小市民は、司法の世界で給料をもらっており、最高裁に対し「そんなアホな」という抗議ができない、のである。
◆どこぞの関大の先生が、東日本大震災のあと、さらに巨大な防潮堤を作るという国の審議会の引いたレールの通り見解をまとめ、事後、学会で、あれは間違いだったとほざく。いかに反論できないかを弁明する。御用学者だらけ。御用裁判官だらけ。強いものにはまかれる者ばかり。
◆といったことを見てくると、ここから先は自分の問題である。ひとつは安保関連法に対し、どう自分は行動するのか、といったこと。あるいは学内で、考古学の世界で、埋文の世界で、程度は違っても似た局面はありうる。その時、自分がどう行動できるか、どう発言できるか、ということだ。まあ、銃やナイフを突きつけられるわけではない、陰湿ないじめにあうわけでも、家族に危害をかけられるわけでもない(そこまでいったらホンモノ、効いているということだが)、そんなに恐れるものはないのである。

2016年6月17日KR15埴輪洗い

◆あと4箱にごきつけたが、残りの箱はぎゅーぎゅーに詰まっているらしい。今日もうちの院生が頑 張ってくれました。

桝添後

◆橋下くんが立候補するかもしれませんね。写真は参議院選ですけど。

京大事件

◆昨年の大阪商大事件の記憶もさめやらぬまま、恒藤記念室の展示に向かっているわけです。朝日 の〈反骨の記録〉を楽しみにしている(長沼裁判も)。京大滝川事件で、恥ずかしながら恒藤と末川が大阪商大に来た、ということしか知らんかったわけですが、21人のうち18人までが立命に行ったわけで、大阪商大河田学長の見識もさることながら、本流はごっそりと受け入れた立命なわけだ。佐々木惣一は直後に学長、戦後、末川も立命に移り学長になる。まあ、大阪商大の影は薄い・・・。文部省のターゲットも実は末川だ、という話もどこかで聞いたようにも・・・。恒藤も特高がマークはしていたらしいが・・・。
◆反骨の記録に取り上げられると聞いているが、大阪商大としては、むしろ商大事件が重要なのだろう。恒藤や末川もいるが、彼らは京大でやられ、戦中は雌伏している様相。表だっての言論を控えざるをえないのも残念ながらやむをえない。それより商大としては、商大事件の、より若手の反戦思想こそ、確かに取り上げるべき価値があるんだろう。
◆末川の『彼の歩んだ道』は大学時代に古本でたまたま買っていて、いまでも持っているが、当時のことにはあまりふれない。よくはわからんが、思想のコアはあまり表にせず、どう対抗していくかを考え、やることをやったというところなのかもしれない。

クントゥルワシ通信

◆続いてサンパブロ。 街並み(左)と市場(右)





◆サンパブロには岩絵があるらしく、そこに到達するための山登りの風景(左)と、岩絵(右)。
◆位置関係を復習しておきます。右手前が遺跡。尾根状になっており、下って行ったところがクントゥルワシ村で博物館がある。左奥がサンパブロの町。







クントゥルワシ通信

◆次に、クントゥルワシ博物館と、家の前からの眺め(右)、だそうです。
◆ペルー、行ってみたいで すね。

クントゥルワシ通信

◆前にとてもきれいな写真を多数送ってもらっていた。こういうのは、その都度であるべきところですが、それは「これからは」ということでお許しいただき、写真を見ていただきましょう。
◆まずは、クントゥルワシ遺跡。  遺跡からの眺め(左)と、「第1テラスの大階段」だそうです。

クントゥル・ワシ通信2015年12月2日

お久しぶりです。いよいよ12月ですね。1年の締めに差し掛かり、お忙しいのではないでしょう か。足がまだ完治していないそうで、心配です。どうぞご無理なさらず…。こちらは最近雨ばかりで、霧で辺りが真っ白になることもよくあります。いよいよ雨季がスタートした感じですが、朝方晴れるとこんな光景も見えたりします。きれいです。
◆仕事も3カ月を過ぎ、だんだん現地の実情が見えてきたような気がします。博物館のスタッフは皆、元々は考古学や博物館に関する知識のない農民や主婦なのですが、1988
年以来日本調査団と一緒にクントゥル・ワシ遺跡の発掘調査をしてきたわけで、長年の経験と、先生方のアドバイスのおかげもあって、日常業務に関しては、問題なくこなしている印象です。会計もちゃんとやってますし(すべて手書きで計算していくので間違いは度々ありますが)、来館者へのガイドもわかりやすく、きちんと出来ているように思います。これ、すごいことですよね。地元の人達が、自分たちの土地の文化財を、日本の先生方の協力も得ながらですが、自分たちで管理しているわけです。
◆ただ、村もやっぱり小さなコミュニティならではの問題を抱えています。まず、若い人が全然いません。村に十分な給料を得られる仕事がないため、都市部へと移住してしまうのだそうです(首都リマにはペルーの総人口の3分の1が集中しているのだそうです)。博物館にも40代後半~70代 のスタッフしかいなく、彼らが外部に向けて、積極的に博物館のプロモーション活動を展開することはなかなか難しいようです。こういった活動に関しては、日 本の先生方に依存しっぱなしの印象ですね。私はこの点を補えるよう、遺跡、博物館の普及プロモーション活動をメインに活動していく予定です。私がいなく なった後でも、博物館のスタッフが継続していけるような活動にするにはどうしたらいいのかとか、色々思い悩む時期になってきました。スペイン語もまだまだ わからないし…。これからどんどん試行錯誤していけたらと思っています。

□すいません、メールをもらいながらタイムリーに発信できておりません・・・。

プラグイン

カレンダー

06 2026/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4
6 7 8 10
12 14 15 16 17
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

カテゴリー

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

バーコード

ブログ内検索