人を幸せにする人になろう

9月9日の懇親会

◆今週はうちの集中講義。T大のS先生に来ていただいています。研究所および文化庁のともに先輩 ということになる。いつの頃からか、先生の方から親しく声を掛けていただき、おつきあいいただいております。多謝。

久津川の調査成果のまとめ

①西造り出しが存在する。規模は長辺(南北)が28m以上、短辺(東西)が西へ13m張り出す長方形で、高さが約3mあり、後円部の墳丘にまたがり設置されている。なお造り出しは、17世紀前半と推定される大谷川の氾濫洪水層により完全に埋没している。
(北辺と後円部の接続部であるくびれ部は来年度調査予定)
②北辺と後円部との接続部、西辺斜面、南辺から前方部への屈曲部の3箇所で葺石を検出した。前方部への屈曲部では、斜面裾部に墳端を示す大型の基底石を配列するとともに、墳裾外にも葺石材と同程度の石材による礫敷をともない、この部位で水鳥形埴輪が3~4体配置されていたと推定される。
③造り出し上面の規模は、長辺20.5m/短辺11.8mであるが、西側長辺が19.5mと約1m短くなる台形状で、推定150本程度の円筒埴輪(朝顔形埴輪を含む)をめぐらす。埴輪列は前方部側(東側)のほぼ中央を境に、北半列を西へずらし、入口を表現する。埴輪列の規模は、埴輪の中心で計測して長辺18m/短辺10mである。造り出し上面に一部で礫敷が残り、後世の開墾等の改変で多くが失われているが本来礫敷であったと推定できる。
④埴輪列内部には、大型品を含む多くの家形埴輪、囲形埴輪、蓋形埴輪・盾形埴輪・靫形埴輪などが配置されており、南半部を中心に造り出し上面や斜面から多くの形象埴輪が出土した。本来の位置はほとんど不明であるが、中央西側の礫敷面で家形埴輪を確認した。次に述べる埋葬施設に対して配置されていた可能性が高い。
⑤造り出し南半部で、南北方向の7.7m×3.5mの長方形の掘り込みを検出し、埋葬施設と考えられる。木棺の陥没にともない凹部ができ、棺の位置では上面の高さから0.5m(適当)下部まで埴輪片が落下し洪水層が入り込んでいる。墓坑の深さは、レーダー探査の結果によれば、上面から1.6m程度(適当)と推測できる。
⑥北半部には埋葬施設はなく、食物供献を表現した籠目土器・小型壺・高杯などの土器片、また食物形土製品が認められ(まだ)、南半部の埋葬に対する儀礼の場であったと推測できる。なお、西斜面から小型の壺とみられる須恵器が出土した。

 久津川車塚古墳の史跡整備に向けて、西造り出しの存在とその規模・形状、また前方部側面の墳端が明らかとなった。また、くびれ部に取り付く造り出しに埋葬施設が存在することが特筆できる。儀礼空間である北半部をあわせた長方形の形状に設計されり、造り出しが墳頂部とは別の埋葬空間として利用されたと考えられる。

久津川車塚9月10日(木曜日)

◆道上、原田、大澤、土谷、木下、安藤/佐々木、城陽市担当者 橋本清一氏/京都平安文化財  
◆第1Q 前日までの雨で水浸し。水替えとともに、ぐちゃぐちゃになっていたシートをほぼめくってやり替える。南区の撮影にむけて清掃、造り出し南西隅を全員でやる。
◆第2Q 結構手間がかかる。造り出し斜面と犬走りを整えつつ作業を進める。南西隅には結構汚い土がかぶる。礫は造り出し斜面でも上層に多く、下層(犬走り近く)になると見られなくなる。京都平安文化財の撮影終了。なお、昼に午後の史跡整備委員会に向けて埴輪を出す。
◆第3Q 造り出し南西隅を続ける。第4Q 1500史跡整備委員会。明日まで天気がいいようなので、埴輪を養生して造り出し上面にシートをかけ、その周りはシートをかけず干すことにする。(by道)
◆なお委員のみなさまの質問に答えます。ぜんぶ地山だと思っています。埋葬施設は当初です。

大阪城サウンディング9月10日

◆Aラインの続き。途中、10:50頃から雨となり、11:35土砂降りとなる。ずぶ濡れ・・・。午後はなん とか回復。Aラインでの豊臣石垣かと思われるアタリの追加3点をやって終 わり、明日、再び南区に戻っての、最終日の追加 ポイントの設定をする。
◆マシンのディスプレイ部を示しておく。いちばん上の深度(㎝)と、いちばん下の回転数から換算したn値をだいたい見ている。

久津川事実記載用データ

◆現状の数字など。一瞬、なまのメートル数字のものを挙げましたが、当時の尺に換算した解釈値 も示しておきます。埴輪列の入り口のダンチ、ものの見事にほぼセンターですね。基部は幅15歩で、出の部分では1歩絞る。高さは前方部側と西の出で80㎝程度異なり、深い方で上面まで高さ3.1m。埴輪列は基部側で13歩。

大阪城9月8日(火曜日)

◆9:30~16:00。第2日目。南区を追加ポイント含めて終了し、北区(Aライン)に移動。
◆業者からは掘削深度まで のn値の記録は上がってくるだろうが、何が当たっているのか、石なのかコ ンクリなのか、硬くなってあるところで下に抜けるだの、地下の様相を想像するには、作業中の機械の表情、変化していくデータのディスプレイの推移、オペレーターの発言ややりとりなど、現場の感触が大事で、それを記録していかないといけないという経験を積む。
◆9月9日は中止。10日順延。10日も大阪城に貼り付く必要がある。

久津川車塚9月8日(火曜日)

◆朝から雨で10時に雨が来て待機、11時には閉じる。そのあと現地説明会資料の作成をやってくれ たとのこと。(by道)
◆9日は中止(晴れてますが・・・)。先週からで3日は稼働せず。仕方なし。

久津川車塚9月7日(月曜日)

◆道上、山口、土井・土谷・木下・安藤、+佐々木、+京都平安文化財、城陽市担当者
(第1Q)全員で南区の清掃。先週の段階で半分程度仕上がっていたので、葺石中腹から作業を開始する。前日の雨で下はドロドロであり、相変わらず手間と時間がかかる。(第2Q)1100頃までは学生に南区をやってもらい、1100以降は南区と、造出上面の精査に分かれる。中央区の西斜面と上面の肩の境界部分の黄色土、高まりを下げていく作業。前回調査区北端付近まではやはり礫が多く、礫敷きの残存と思われる。(第3Q)午前の作業を引き続き行う。(第4Q)今回の新規調査範囲の西肩はでこぼこか。平面的にさげても黄色粘土が残り、形にそって掘り進めると赤い面がでてくる。大きく穴が空いてしまいそうな部分もあるがそこは平面的に下げ、様子を見ながら整えて いく作業となる。南区の石はかなりきれいになるが、濡れている現状ではほぼ限界か。
◆明日で肩部の作業はほぼ終了すると思われるので、北区の造出上面、掘り切れていない範囲を精査していく。オルソー画像作成の撮影は、北辺、西斜面、南辺上部は終了するも、清掃が追いつかず、南区深掘り部は明日になる。(by道)

大阪城サウンディング調査

◆本日から。昨日あわただしく計画線を確認し、どういう手順になるんだろうとイメージを考え、 まあなんとかなると現地へ。計画線に沿ってラインを設定し、起点を決めて1mごとに予定位置の印をつけていく。南北線がかなり振ってしまったが。
◆そんなんで始まりました。径2㎝程度のもので、陸軍時代のものとか表層近くでガラに当たってしまえばしゃーないわけだが、多少の礫程度なら捩り出して抜けていく。一定の深度でのN値が高くなった硬い層の解釈は難しいながらも遺構面かもしれない。機械がガラにあたって震えたり、変な音がしたり、入りにくくなるとハンマーで叩くのだが、その音がいかにも高く「硬!」と悲鳴を上げたり、なかなか反応を見ているのも楽しいもので ある。
◆5日これで拘束されるのは、車塚があるので避けたいのだが、今日の様子を見ていると、水曜日には終わるのではないかと思われる。

クントゥルワシ通信2

◆本人に了解をもらいました。是非にとのことですので、どしどしいきましょう。

 今日は博物館で必要な物資(インクなど)を買いにカハマルカまで来ています。車で2時間かからないくらいです。
カハマルカではお金も下ろせるし、ネットも通じます。ご飯食べるところもたくさんあり、なんとスタバまであります笑
 村はネットのない生活ですが、本読んだり日記書いたりできて、楽しく過ごしています。良い環境だと思います。ただ、博物館の広報のためには、ネット環境の整 備が欠かせず、村の人はネットが来ることをのぞんでいます。お隣、サンパブロの町にはインターネット屋さんがありますが、よく子供がネットゲームをして遊 んでいます。難しいですね。この村も、ネットが通じると子供たちがこういうことになってしまいそうで嫌です。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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