人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
考古学とは何か(1)
◆遺跡にもとづく歴史学。過去人類の残した物質的資料にもとづき人類の過去を研究する学問である、といった定義は捨て去るべき。物質的資料というのは遺構も含めてですよ、ということを常に言い添える必要がある。過去、産業革命時に出土する先史遺物が博物館に持ち込まれ、そこから3時代区分を導いたり、クラシカルアーキオロジーがギリシャローマの彫刻などに関心を寄せたり、遺跡と遊離したブツが研究対象となってこの学問が出発したかも知れないが、もはや遠い過去である。
◆まどろっこしい定義は捨て去り、いまの考古学の行為は、遺跡に基づく歴史学というのでほぼ99%カバーできるだろう。伝世品は扱わないのか、といった指摘は愚問、やったらいいではないか。われわれの相手にしているのは遺跡なんです。
◆歴史学か人類学か、人文学か。これもまあどうでもよい。歴史学といってしまうと先史や旧石器時代はなじまないような気がするというのもわからないではない。時間の流れ方が違っていて、変化というより考古学的な同時存在のなかでの生態を明らかにすることの方が主で、重要で、多くを占めるということかもしれない。しかし、歴史時代であっても、遺跡を調査してどうするかと言うとき、時間軸で変化を追うことも、生活様式全体を解明することも、地域的に広げていくことも、古い時代でも新しい時代でも同じように必要なことである。
◆過去の人々の営みを明らかにするということでは同じ。それを歴史学という言葉でくくってもいいいし、人類学といってくくってもいいし、人間学でも人文学でもいい。いずれにしても、遺跡が資料で、古い新しいはあれ過去を扱うわけだから歴史学といって問題はないのでは。これは言葉の問題。
◆マイヒストリーか、アワヒストリーか、ユアヒストリーか、ザヒストリーか。それは根っこのところにはあるのかもしれない。が、遺跡を調査してなにがしかを明らかにしようとするときに、それによって差があるのはよくない。われわれは遺跡を通じて事実を明らかにしようとしているはずである。旧石器時代など日本史でないというのは理解できる。が、また考えることにして、まあ日本列島の歴史のことという意味である。むろん琉球列島や北海道の歴史など、かなり記述も増していると思うが、どのように取り上げていくかは引き続き考えなければならない。
◆まどろっこしい定義は捨て去り、いまの考古学の行為は、遺跡に基づく歴史学というのでほぼ99%カバーできるだろう。伝世品は扱わないのか、といった指摘は愚問、やったらいいではないか。われわれの相手にしているのは遺跡なんです。
◆歴史学か人類学か、人文学か。これもまあどうでもよい。歴史学といってしまうと先史や旧石器時代はなじまないような気がするというのもわからないではない。時間の流れ方が違っていて、変化というより考古学的な同時存在のなかでの生態を明らかにすることの方が主で、重要で、多くを占めるということかもしれない。しかし、歴史時代であっても、遺跡を調査してどうするかと言うとき、時間軸で変化を追うことも、生活様式全体を解明することも、地域的に広げていくことも、古い時代でも新しい時代でも同じように必要なことである。
◆過去の人々の営みを明らかにするということでは同じ。それを歴史学という言葉でくくってもいいいし、人類学といってくくってもいいし、人間学でも人文学でもいい。いずれにしても、遺跡が資料で、古い新しいはあれ過去を扱うわけだから歴史学といって問題はないのでは。これは言葉の問題。
◆マイヒストリーか、アワヒストリーか、ユアヒストリーか、ザヒストリーか。それは根っこのところにはあるのかもしれない。が、遺跡を調査してなにがしかを明らかにしようとするときに、それによって差があるのはよくない。われわれは遺跡を通じて事実を明らかにしようとしているはずである。旧石器時代など日本史でないというのは理解できる。が、また考えることにして、まあ日本列島の歴史のことという意味である。むろん琉球列島や北海道の歴史など、かなり記述も増していると思うが、どのように取り上げていくかは引き続き考えなければならない。
まず考古学と考古学研究
◆考古学研究会の直後に書き留めたいと思ったことも、結局、すぐに書けていない。明日の授業の準備もあるが、風化する前にいくつかを書いておきたい。いまの日本の考古学研究を見直すということだが。
◆まず学問は誰しも自由に取り組めるもので、営みであり行為のこと。どんな職種の人がやったっていいい。研究機関の人も、行政の人も、調査機関の人も、博物館にいる人も、あるいはこうした職種でない人も、老若男女だれしも。プロアマをそれでメシを食っているかどうかとすると区分は可能だが、あまり本質的ではない。学問である以上、学問としての水準で評価すべきもの。
◆それとは別に職がある。研究機関に所属する者、埋文行政に携わる者、発掘調査に従事する者、博物館に勤務する者、それぞれ職があり、それでメシを食っている以上、職務に専念する必要がある。埋文行政に携わる者も、行政を行う上で、試掘確認や発掘を要するといった判断や、保存目的の調査や、史跡指定などを進める上で、考古学研究そのものにかかわり、考古学研究の成果にもとづき判断したりするわけである。むろん、遺跡を調査してその成果をまとめることは考古学研究そのものであり、職務そのものでもある。そして、個人的に論文を書くなどのことは、仕事に拘束される時間以外で、やることはまったく自由である。
◆大学人がずっと論文を書き続けているわけでなく、授業もせなあかんし、学内業務もあるし、学生の世話もするし、論文を書くことが研究の主要な部分としても、勤務時間内にどれだけやれるかは、程度問題だと思う。
◆で、考古学をやりたい人間がいろんな職場におり、みんな同志なのである。いがみあうことはないし、別のものと考える必要はない。学問は、職や性別や年齢に一切関係はない、自発的な人間の営為である。
◆まず学問は誰しも自由に取り組めるもので、営みであり行為のこと。どんな職種の人がやったっていいい。研究機関の人も、行政の人も、調査機関の人も、博物館にいる人も、あるいはこうした職種でない人も、老若男女だれしも。プロアマをそれでメシを食っているかどうかとすると区分は可能だが、あまり本質的ではない。学問である以上、学問としての水準で評価すべきもの。
◆それとは別に職がある。研究機関に所属する者、埋文行政に携わる者、発掘調査に従事する者、博物館に勤務する者、それぞれ職があり、それでメシを食っている以上、職務に専念する必要がある。埋文行政に携わる者も、行政を行う上で、試掘確認や発掘を要するといった判断や、保存目的の調査や、史跡指定などを進める上で、考古学研究そのものにかかわり、考古学研究の成果にもとづき判断したりするわけである。むろん、遺跡を調査してその成果をまとめることは考古学研究そのものであり、職務そのものでもある。そして、個人的に論文を書くなどのことは、仕事に拘束される時間以外で、やることはまったく自由である。
◆大学人がずっと論文を書き続けているわけでなく、授業もせなあかんし、学内業務もあるし、学生の世話もするし、論文を書くことが研究の主要な部分としても、勤務時間内にどれだけやれるかは、程度問題だと思う。
◆で、考古学をやりたい人間がいろんな職場におり、みんな同志なのである。いがみあうことはないし、別のものと考える必要はない。学問は、職や性別や年齢に一切関係はない、自発的な人間の営為である。
ひとつの時代が終わる
◆まったく個人的なことです。
このブログ
◆考古学研究会の大会に行ってきました。眠いし、明日もあるし、寝た方がいいのだが、いくつか書いておきたいことがある。大会でいろいろと刺激をもらったので、それはおいおいと書いていくとして。懇親会に行ったのは久しぶりだった。何人かの方にこのブログを読んでいますと。そこそこの影響力があるらしい。若い学生さんたちも読んでくれているようで、若い人たちへ、学問的なことのみならず、いろんな種を播くひとつの手段にもなるわけだ。坂井さんの報告や討論にあったような、日本の遺跡保護について次世代に自分たちの経験や考えを伝え、継承していってもらうための、自分なりの手段となる。そういうことも意識して書いていこう。むろん書き方も注意していかないといけない。むろん自分が絶対正しいなどということはないわけだが、まあこっちの方が正しいといえるものであるにしても、どう伝えるかは難しいことである。
教授会と歴史学新任教員歓迎会(記事№1700)
◆4月19日、文学研究科長が交替し、その最初の教授会だった。事務方も代わり、着任挨拶から始まる。長くなるのではとの予想だったが、18時には終わる。そのあと、日本史と世界史に新任の教員1人ずつを迎えたので、夜、いわしで懇親会。
◆この間、15~の週は、『市大日本史』の残る論文1本の原稿が到着し、これこの1月に提出された古代史の卒論なのだが、長く、そして史料が散りばめられ、また表が23もある、トホホである。頁数を抑えるという使命もあるが、それ以前の、卒論としての丁寧な記述で、それは好ましいことながら、そこは言い切り方や端的さも必要で、了解をえて徹底的に手を入れることにした。空いている時間すべてを費やし、それでも4日ほどかかり、36頁まで絞る。これを入れれば、大物はすべて入ることになる。その他の校正も順調に出てきてはおり、研究室だよりの原稿にかからねばならない。
◆この間、15~の週は、『市大日本史』の残る論文1本の原稿が到着し、これこの1月に提出された古代史の卒論なのだが、長く、そして史料が散りばめられ、また表が23もある、トホホである。頁数を抑えるという使命もあるが、それ以前の、卒論としての丁寧な記述で、それは好ましいことながら、そこは言い切り方や端的さも必要で、了解をえて徹底的に手を入れることにした。空いている時間すべてを費やし、それでも4日ほどかかり、36頁まで絞る。これを入れれば、大物はすべて入ることになる。その他の校正も順調に出てきてはおり、研究室だよりの原稿にかからねばならない。
4月18日、近つの集荷
◆無事、玉手1と3の遺物が運び出されていきました。市村さんと、副館長になった西村さんが来られた。業者が荷造りしている間、西村さんに庄内の土器のついての質問をして、いろいろと情報をえた。やっぱりプロの話を聞くのは勉強になる。あと泉佐野の諸目遺跡が日根郡衙ちゃうかという話を熱心にされていた。次の大阪府の速報展での目玉になるだろうとのこと。大歴でも原稿をもらおうかな。もうすこし遺跡の情報を集めてみよう。
◆集荷の風景を写真にと思いカメラを用意したが、結局、話し込み、画像はなし。ちなみに秋山さんが弥生博に移られたとのこと。黒崎さんが館長になって、挨拶に行かねばと思いつつ、行けていない。
◆集荷の風景を写真にと思いカメラを用意したが、結局、話し込み、画像はなし。ちなみに秋山さんが弥生博に移られたとのこと。黒崎さんが館長になって、挨拶に行かねばと思いつつ、行けていない。
八重の桜
◆第1回目だけ見ていないが、ずーと録画もしながら見てます。視聴率が10%くらいしかないとか、山本覚馬が主人公みたいで綾瀬はるかの登場場面が少ないとか、ちまたではいろんなことをガーガー言っているようだが、オレはけっこう面白く見ており、毎週、楽しみにしている。剛力綾芽はどうかと思うが。
◆そしてトンイも。これまた、イサンの時と同じ俳優なども目立ち、どうかとは思うが。ヒロインの女性はとても魅力的である。
◆そしてトンイも。これまた、イサンの時と同じ俳優なども目立ち、どうかとは思うが。ヒロインの女性はとても魅力的である。
東大寺ミュージアム
◆いつできたんでしたっけ。2011年の秋だったか。いまは鎮壇具の特別展で、大刀を見ることができた。当麻寺もよく古いもの
が残っているが、東大寺を見ると、かすんでしまうような気がする。ならべてあるものが、まあすごいわけだ。国家財政をつぎこんだ官大寺で、しかも焼き討ちにあったとはいえ、その後も隆盛し、いまに続いており、正倉院は言うまでもないが、残っている物の質量は段違いであることをまざまざと見せつけられる。
◆興福寺は興福寺で復元工事にかかっており、国宝館はあまりの人の多さに結局スルーしたが、これまた大繁盛。儲かってまんな~、というところ。元興寺との落差を感じざるをえない。
◆そのあと新薬師寺にも行き、帰ってくる。新薬師寺、奈良教育大学構内で検出された遺構は結局はどうなったのだろうか。どう決着したのかは知らない。
◆興福寺は興福寺で復元工事にかかっており、国宝館はあまりの人の多さに結局スルーしたが、これまた大繁盛。儲かってまんな~、というところ。元興寺との落差を感じざるをえない。
◆そのあと新薬師寺にも行き、帰ってくる。新薬師寺、奈良教育大学構内で検出された遺構は結局はどうなったのだろうか。どう決着したのかは知らない。
翌日14日は奈良
◆カミさんと奈良へ出掛ける。なんだっけ、当麻寺の曼荼羅を見ようというのがきっかけだが、それなら興福寺も特別拝観を
やっているし、東大寺ミュージアムにも行ってみたいと。
◆最初は元興寺、恥ずかしながら初めて。往事の大伽藍のうち、僧坊部分の一画がいまの元興寺。宝物館に入るが、ちょっとくたびれてきている。
◆猿沢の池のほとりで昼を食べ、興福寺に行くが、人だらけで見送り、当初の目的である当麻寺展へ。常設を展示をすべてとっぱらっての大展示。お寺で見るのがいいのは確かだが、展示施設で見るのもまた違ったよさがある。まあ古いものがよく残っているモノだ。曼荼羅も、複製が3つ作られたとか、現存するのは2つで、複製の最初のヤツは寺にはないという。どこへ行ったのだろうか。とにかく奈良時代のほんものは、絹のようだが、裏打ちを直したりしてきたのだろうが、ふだんは巻いているのかな。とにかく、壁面にぶらさげてホンモノを見ることができたわけだが、絹地が折れて、横方向のオレが無数に入る。こ
ういうのも、しっかりした裏地に固定し、保存処理し、広げた状態で保管していくのがいいのだろうが、デカすぎるんでしょうね。
◆最初は元興寺、恥ずかしながら初めて。往事の大伽藍のうち、僧坊部分の一画がいまの元興寺。宝物館に入るが、ちょっとくたびれてきている。
◆猿沢の池のほとりで昼を食べ、興福寺に行くが、人だらけで見送り、当初の目的である当麻寺展へ。常設を展示をすべてとっぱらっての大展示。お寺で見るのがいいのは確かだが、展示施設で見るのもまた違ったよさがある。まあ古いものがよく残っているモノだ。曼荼羅も、複製が3つ作られたとか、現存するのは2つで、複製の最初のヤツは寺にはないという。どこへ行ったのだろうか。とにかく奈良時代のほんものは、絹のようだが、裏打ちを直したりしてきたのだろうが、ふだんは巻いているのかな。とにかく、壁面にぶらさげてホンモノを見ることができたわけだが、絹地が折れて、横方向のオレが無数に入る。こ
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兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。