人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
ブログなので
◆たぶん、確認調査の段階では、空中写真とかを綿密に観察することなどしていないのだろう。丘陵尾根の開発予定地南側なども見て回ったかもしれないが、起伏などがあってもいつのものかはわからないし、城郭研究者の目でみないと、なかなか判断は難しかろう。しかし1980年の地形図くらいは見ているだろうに。これも見ていない?。残りがある程度悪いのは丘陵地だから当たり前。平地や谷部とは違う。
◆が、広域農道の時の残土などが盛られたりしていたのだろう。改変以前の旧地形をあまり調べずに、現状の荒れた印象、確認調査で目立った遺構が頂部で検出されなかったこともあり、パイロット事業の時にかなりかき回されほとんど削平されたと思いこんでしまったのだろう。が、そういうことは多分ない。むろん、農道をつけた部分では一定の削平はあっただろう。またそれ以前に、尾根上面は比較的幅があり傾斜が緩いので畑にしていたといったことも考え得る。しかし、いずれにしても、1960年頃までの段階で、重機で大がかりに改変されていないことは、1980年地形図からも見て取れる。東縁はじめ土塁状の高まりなどが残る状況は、1980年までこっそり残っているのである。
◆そして確認調査。AトレンチとBトレンチの地山の高さの違いについて、ほとんど意識はなかったのではないか。見た目でもわかったであろうが、新しい土盛りもあり底面は深く、よくよく見ないと、はっきりした高さの差を認識するところまでいかなかったのではないか。帰ってきて断面図をつきあわせて初めて、あら、地山の高さが違う、という状況だったのかもしれない。こうした層位図は、確認調査の概要を会議等で示す際に既に作成されているが、「子院間の段差」といった説明はその時点ではなく、報告書で初めて判断が示されている。センターから提出された層位図をもとに、和歌山県がどう読んで、それを委員等にどう説明したかはわからないが、頂部に遺構はないとして本調査不要という合意が取り付けられることになる。
◆しかし一方で遺物は出土し、子院はあったんだろうと。まったく表土直下ですぐに地山が出てきて、のっぺらぼうで何もない、というわけではない。もともと子院があったとするなら、念のため、全面掘っておくか、というのが、今回の場合なら当然だったはず。ここに大きな誤りの出発がある。あとは高低差に気づこうが、鯱瓦が出土し「おや、鯱を上げた瓦葺き建物があったんだ」となっても、それを追究するという方向には動かなかった。
◆整理すると、(1)今回の本調査地点である西縁に土塁状の地山の高まりが存在するのに掘りきっていない。(2)頂部中央に、報告書でも「子院間の段差」と認識する遺構があるのにほったらかし、(3)東縁では地形図にも現れるほどの高まりが南北に続き、確認調査でも地山の高まりとして検出され、おまけに大きな石の集積まで見られたのに、まったく頓着しない。(4)開発区域の南端には空堀状の窪みがかつて明瞭に存在し、一定の深さがあるので検出可能と思われるが追求されない。これで頂部には何ら遺構がないとして、記録保存の措置を執る必要がないという判断はもはや許されまい。
◆そして、上記の4つのポイントは、すべてわれわれの考えてきた城郭的遺構ではないかとする遺跡の性格判断に直結する。犬走り状の通路は防御的なものかも、という見方があることを和歌山県も表明しているが、まわりの調査成果から一般的な子院の広がる一帯だから「やっぱりちゃうやろ」と勝手に判断する。上記のポイントが目に入らないのだから、しょーがない。城砦なんてアホなことを言うヤツがいるけど、そんなの遺構の解釈を誤っているから相手にする必要はないと、こちらは小馬鹿にされているわけだ。
◆ま~、掘ってみてくださいよ。オレも、専門分野ではない、いろんな人の意見の影響を受けているだろう。が、実際にあの場に立ち、遺構を見て、抱いた感触に出発している。城的なもの、こういう表現もどう言っていいのやら専門でないので適切ではなかろうが、城的なものとちゃうか、と思ったわけだ。不安もある。和歌山に行く機会があった時に、再度、あの尾根を見に行った。西側からの高低差、それが南にどのように続いていくか、自分のなかで確認しておきたいと思ったからだ。で、やっぱり、この尾根は重要だ、と。城的なものという感覚は、最初の頃は強い自信があったわけではない。しかし、報告書ができあがり、検討会を通じて空中写真や地形図などを見せられると、確信に変わっていった。
◆が、広域農道の時の残土などが盛られたりしていたのだろう。改変以前の旧地形をあまり調べずに、現状の荒れた印象、確認調査で目立った遺構が頂部で検出されなかったこともあり、パイロット事業の時にかなりかき回されほとんど削平されたと思いこんでしまったのだろう。が、そういうことは多分ない。むろん、農道をつけた部分では一定の削平はあっただろう。またそれ以前に、尾根上面は比較的幅があり傾斜が緩いので畑にしていたといったことも考え得る。しかし、いずれにしても、1960年頃までの段階で、重機で大がかりに改変されていないことは、1980年地形図からも見て取れる。東縁はじめ土塁状の高まりなどが残る状況は、1980年までこっそり残っているのである。
◆そして確認調査。AトレンチとBトレンチの地山の高さの違いについて、ほとんど意識はなかったのではないか。見た目でもわかったであろうが、新しい土盛りもあり底面は深く、よくよく見ないと、はっきりした高さの差を認識するところまでいかなかったのではないか。帰ってきて断面図をつきあわせて初めて、あら、地山の高さが違う、という状況だったのかもしれない。こうした層位図は、確認調査の概要を会議等で示す際に既に作成されているが、「子院間の段差」といった説明はその時点ではなく、報告書で初めて判断が示されている。センターから提出された層位図をもとに、和歌山県がどう読んで、それを委員等にどう説明したかはわからないが、頂部に遺構はないとして本調査不要という合意が取り付けられることになる。
◆しかし一方で遺物は出土し、子院はあったんだろうと。まったく表土直下ですぐに地山が出てきて、のっぺらぼうで何もない、というわけではない。もともと子院があったとするなら、念のため、全面掘っておくか、というのが、今回の場合なら当然だったはず。ここに大きな誤りの出発がある。あとは高低差に気づこうが、鯱瓦が出土し「おや、鯱を上げた瓦葺き建物があったんだ」となっても、それを追究するという方向には動かなかった。
◆整理すると、(1)今回の本調査地点である西縁に土塁状の地山の高まりが存在するのに掘りきっていない。(2)頂部中央に、報告書でも「子院間の段差」と認識する遺構があるのにほったらかし、(3)東縁では地形図にも現れるほどの高まりが南北に続き、確認調査でも地山の高まりとして検出され、おまけに大きな石の集積まで見られたのに、まったく頓着しない。(4)開発区域の南端には空堀状の窪みがかつて明瞭に存在し、一定の深さがあるので検出可能と思われるが追求されない。これで頂部には何ら遺構がないとして、記録保存の措置を執る必要がないという判断はもはや許されまい。
◆そして、上記の4つのポイントは、すべてわれわれの考えてきた城郭的遺構ではないかとする遺跡の性格判断に直結する。犬走り状の通路は防御的なものかも、という見方があることを和歌山県も表明しているが、まわりの調査成果から一般的な子院の広がる一帯だから「やっぱりちゃうやろ」と勝手に判断する。上記のポイントが目に入らないのだから、しょーがない。城砦なんてアホなことを言うヤツがいるけど、そんなの遺構の解釈を誤っているから相手にする必要はないと、こちらは小馬鹿にされているわけだ。
◆ま~、掘ってみてくださいよ。オレも、専門分野ではない、いろんな人の意見の影響を受けているだろう。が、実際にあの場に立ち、遺構を見て、抱いた感触に出発している。城的なもの、こういう表現もどう言っていいのやら専門でないので適切ではなかろうが、城的なものとちゃうか、と思ったわけだ。不安もある。和歌山に行く機会があった時に、再度、あの尾根を見に行った。西側からの高低差、それが南にどのように続いていくか、自分のなかで確認しておきたいと思ったからだ。で、やっぱり、この尾根は重要だ、と。城的なものという感覚は、最初の頃は強い自信があったわけではない。しかし、報告書ができあがり、検討会を通じて空中写真や地形図などを見せられると、確信に変わっていった。
5月の保存管理策定委員会で
◆「史跡保存管理計画の検討対象(資料P1)が「菩提峠以西~蓮華谷川以東、前山以北」となっているが、検討対象自体は旧境内地(蓮華谷川以西~県道泉佐野岩出線付近までを含む)全体とすべき。」
◆「旧境内地と(絵図等で)分かっている範囲を検討対象から外すためには、外す理由が必要。検討対象から外すとしたら、(大門池周辺の)市街地化した辺りか。」
◆ 「(蓮華谷川以西の旧境内地を検討対象に含めることに、)異論ない。
◆ 「旧境内地全体を検討対象に含める。(蓮華谷川以西全体を)面的に扱うか、点的に拾うかは(検討の余地は)あるが。
◆ 「(第1章で蓮華谷川以西も検討対象となるので)旧県会議事堂移転と京奈和道についても、保存管理計画書内で記す。」
◆遺構がある、遺構らしきものも、確認すべき地点もある、ちゃんとした土塁もある、県も深度の深い遺構があるかもしれないという。これで、文化庁から求められた、揚げ足をとられないよう万全にやれ、というものに合致すると思いますか。そりゃ全面調査せなあかんやろ。その上で、こんだけ遺構の残りが悪いと堂々と示したらどうなのか。だから、という話なら、まだわかる。きっと、強行し、立ち会いというのは、外部者に見せないところで、何か出てきても、壊してしまうためなんでしょうね。文化庁さん、こりゃやっぱりアカンで。残り悪そうでも、最初から全面調査すべきでしたよね。それが念のため、であり、万全を尽くすということだろうに。委員の先生は、半分は意図的黙認、半分は丸め込まれてるんでしょうね。
◆「旧境内地と(絵図等で)分かっている範囲を検討対象から外すためには、外す理由が必要。検討対象から外すとしたら、(大門池周辺の)市街地化した辺りか。」
◆ 「(蓮華谷川以西の旧境内地を検討対象に含めることに、)異論ない。
◆ 「旧境内地全体を検討対象に含める。(蓮華谷川以西全体を)面的に扱うか、点的に拾うかは(検討の余地は)あるが。
◆ 「(第1章で蓮華谷川以西も検討対象となるので)旧県会議事堂移転と京奈和道についても、保存管理計画書内で記す。」
◆遺構がある、遺構らしきものも、確認すべき地点もある、ちゃんとした土塁もある、県も深度の深い遺構があるかもしれないという。これで、文化庁から求められた、揚げ足をとられないよう万全にやれ、というものに合致すると思いますか。そりゃ全面調査せなあかんやろ。その上で、こんだけ遺構の残りが悪いと堂々と示したらどうなのか。だから、という話なら、まだわかる。きっと、強行し、立ち会いというのは、外部者に見せないところで、何か出てきても、壊してしまうためなんでしょうね。文化庁さん、こりゃやっぱりアカンで。残り悪そうでも、最初から全面調査すべきでしたよね。それが念のため、であり、万全を尽くすということだろうに。委員の先生は、半分は意図的黙認、半分は丸め込まれてるんでしょうね。
根来第三要望書はもうすぐ
◆で、『ヒストリア』の記事にかかる。徹底して書くつもり。情報公開請求で入手した資料にもとづく経過を掲げておく。
◆2010年
○7月4日~10月8日 確認調査
○10月27日和歌山県文化財保護審議会記念物・埋蔵文化財部会(埋蔵部会、菅谷文則委員・和田晴吾委員、森郁夫委員、記念物部会、水田義一委員・高須英樹委員・小野健吉委員) 記録保存の同意を取り付ける。
○10月28日地元協議(根来寺・岩出市教育委員会) 記録保存の同意を取り付ける。
○11月2日文化庁協議 文化庁は埋蔵文化財包蔵地のことであるが、活断層があるのではないか、部分的な保存はできないのか、という問いとともに、史跡指定の不十分さを指摘する。とはいえ、基本的に記録保存とすることで了解する。ただし、本発掘調査で検出した遺構によって柔軟に判断すること、文化財のために文化財を破壊することを避ける努力を最後までするよう求めている。
◆2011年
○1月6日和歌山県文化財保護審議会記念物・埋蔵文化財部会(埋蔵部会、菅谷文則委員・和田晴吾委員、森郁夫委員、記念物部会、水田義一委員・高須英樹委員・小野健吉委員) 記録保存の最終同意の確認を取り付ける。
○3月10日文化財保護審議会 確認調査の結果を報告し、記録保存とすることで、文化庁・和歌山県文化財保護審議会記念物部会・岩出市教育委員会等と協議し、同意を得たこと、記録保存の調査に着手することを報告。審議内容を示す議事録は未公表。
○3月28日 記録保存調査に着手
○6月1日 記録保存調査の概要を、文化庁・文化財保護審議会記念物・埋蔵文化財部会委員に送付
○6月21・28日 文化財保護審議会の森郁夫・菅谷文則・小野健吉委員に個別説明。記録保存として調査続行の了解を取り付ける。移転実施計画策定に際し、遺構の保存に努力する注文も付く。
○7月4日文化庁協議 学会から注視されているので、揚げ足を取られないよう万全を期すこと。調査地(丘陵頂部という意味か)は遺構が検出されれば史跡に追加してもおかしくない場所である。中世の専門家に現地確認をしていない。多数の研究者から現地指導をえて、遺跡の評価を行うこと。審議会の委員のほとんども現地を見ていない。今回の遺跡の評価は、予定地のみならず、全体的な位置づけのなかで行う必要がある。スゴクマットウ!
これに対する県の回答には、筆者らが城郭的遺構とみることに対し、城砦遺構ではないので、それだから保存すべきという要望であれば、遺構評価の点で重大な錯誤があるので問題ないという発言も見える。
コメント 筆者の錯誤であればそれでもよい。しかし、文化庁の指摘のように、どれだけ中世の城郭研究者に連絡を取り、遺跡の評価を仰いだのか、それを避けた一方的な論評である。
なお、この時の和歌山県が持参した別紙の調査概要には、「切崖、犬走り状遺構等から寺院西面の一部として防御機能を有した遺構群の可能性も考えられるが、周辺の調査成果等を勘案すると、天正の兵火以前の子院が展開する地域であり、その遺構群の一部が削平されながらも残存していたと理解している。詳細は調査報告書作成時に検討を行う。」とある。また、「対象地のうち、今回の本発掘調対象地外についても、削平を免れた深度のある遺構が残存する可能性があることから、当課職員による工事立会により、必要に応じて記録保存措置を行う。」とある。文化庁は遺構があれば史跡に追加指定してもおかしくないと言っている地点なのだが、工事立会で対処するという。
○7月12日(付) 大阪歴史学会の要望書
○7月14日 和歌山県教育長、記念物課長を訪問(予定)
○7月9日・13日 文化財保護審議会埋蔵文化財部会委員(菅谷文則委員・和田晴吾委員、森郁夫委員)の現地指導
○8月3日(付) 日本考古学協会の保存要望書
○8月20日(奥付) 『ヒストリア』第227号
○9月30日(奥付) 『考古学研究』第230号
○ 秋? 和歌山県文化財保護審議会 「検出した遺構群は防御機能を有する可能性も想定されるものの、既往の調査同様の子院の遺構群と評価」。調査範囲は十分で、著しく重要な遺構群と評価しないこと、遺構の保存については移転工事の基本設計のなかで検討する、といった説明を行っていることが資料からわかる。
この時の審議の様子はやはり議事録が開示されないので不明だが、遺構の位置づけについてはあまり異論はなかったようであるが、いまの予定地に一乗閣を移すことについては反対意見が多数を占めたと漏れ聞いている。
○12月15日 基本設計の委託契約
◆2012年
○1月10日(付) 大阪歴史学会再要望書
○1月12日 第1回史跡根来寺境内保存管理計画策定委員会(委員長水野正好、副委員長田辺征夫、森郁夫・上原真人・辻林浩・増渕徹・林良彦ほか) 調査地点をこの委員会でも扱うかどうか多少議論あり。「発掘調査の実態にそぐわない意見がある」との指摘は、筆者らにむけてのことだろう。
○1月27日 地元協議
○2月27日 地元協議 基本設計三案について意見交換
○3月27日 地元協議 D案(階段のある西斜面南半部を保存する案)で合意
○3月27日 第2回史跡根来寺境内保存管理計画策定委員会(委員長水野正好、副委員長田辺征夫、森郁夫・上原真人・辻林浩・増渕徹・林良彦ほか) A~E案を示し、D案で進めたいと意見表明し審議。遺構保存部分を増やせないのかという意見が出る。
◆未完
◆2010年
○7月4日~10月8日 確認調査
○10月27日和歌山県文化財保護審議会記念物・埋蔵文化財部会(埋蔵部会、菅谷文則委員・和田晴吾委員、森郁夫委員、記念物部会、水田義一委員・高須英樹委員・小野健吉委員) 記録保存の同意を取り付ける。
○10月28日地元協議(根来寺・岩出市教育委員会) 記録保存の同意を取り付ける。
○11月2日文化庁協議 文化庁は埋蔵文化財包蔵地のことであるが、活断層があるのではないか、部分的な保存はできないのか、という問いとともに、史跡指定の不十分さを指摘する。とはいえ、基本的に記録保存とすることで了解する。ただし、本発掘調査で検出した遺構によって柔軟に判断すること、文化財のために文化財を破壊することを避ける努力を最後までするよう求めている。
◆2011年
○1月6日和歌山県文化財保護審議会記念物・埋蔵文化財部会(埋蔵部会、菅谷文則委員・和田晴吾委員、森郁夫委員、記念物部会、水田義一委員・高須英樹委員・小野健吉委員) 記録保存の最終同意の確認を取り付ける。
○3月10日文化財保護審議会 確認調査の結果を報告し、記録保存とすることで、文化庁・和歌山県文化財保護審議会記念物部会・岩出市教育委員会等と協議し、同意を得たこと、記録保存の調査に着手することを報告。審議内容を示す議事録は未公表。
○3月28日 記録保存調査に着手
○6月1日 記録保存調査の概要を、文化庁・文化財保護審議会記念物・埋蔵文化財部会委員に送付
○6月21・28日 文化財保護審議会の森郁夫・菅谷文則・小野健吉委員に個別説明。記録保存として調査続行の了解を取り付ける。移転実施計画策定に際し、遺構の保存に努力する注文も付く。
○7月4日文化庁協議 学会から注視されているので、揚げ足を取られないよう万全を期すこと。調査地(丘陵頂部という意味か)は遺構が検出されれば史跡に追加してもおかしくない場所である。中世の専門家に現地確認をしていない。多数の研究者から現地指導をえて、遺跡の評価を行うこと。審議会の委員のほとんども現地を見ていない。今回の遺跡の評価は、予定地のみならず、全体的な位置づけのなかで行う必要がある。スゴクマットウ!
これに対する県の回答には、筆者らが城郭的遺構とみることに対し、城砦遺構ではないので、それだから保存すべきという要望であれば、遺構評価の点で重大な錯誤があるので問題ないという発言も見える。
コメント 筆者の錯誤であればそれでもよい。しかし、文化庁の指摘のように、どれだけ中世の城郭研究者に連絡を取り、遺跡の評価を仰いだのか、それを避けた一方的な論評である。
なお、この時の和歌山県が持参した別紙の調査概要には、「切崖、犬走り状遺構等から寺院西面の一部として防御機能を有した遺構群の可能性も考えられるが、周辺の調査成果等を勘案すると、天正の兵火以前の子院が展開する地域であり、その遺構群の一部が削平されながらも残存していたと理解している。詳細は調査報告書作成時に検討を行う。」とある。また、「対象地のうち、今回の本発掘調対象地外についても、削平を免れた深度のある遺構が残存する可能性があることから、当課職員による工事立会により、必要に応じて記録保存措置を行う。」とある。文化庁は遺構があれば史跡に追加指定してもおかしくないと言っている地点なのだが、工事立会で対処するという。
○7月12日(付) 大阪歴史学会の要望書
○7月14日 和歌山県教育長、記念物課長を訪問(予定)
○7月9日・13日 文化財保護審議会埋蔵文化財部会委員(菅谷文則委員・和田晴吾委員、森郁夫委員)の現地指導
○8月3日(付) 日本考古学協会の保存要望書
○8月20日(奥付) 『ヒストリア』第227号
○9月30日(奥付) 『考古学研究』第230号
○ 秋? 和歌山県文化財保護審議会 「検出した遺構群は防御機能を有する可能性も想定されるものの、既往の調査同様の子院の遺構群と評価」。調査範囲は十分で、著しく重要な遺構群と評価しないこと、遺構の保存については移転工事の基本設計のなかで検討する、といった説明を行っていることが資料からわかる。
この時の審議の様子はやはり議事録が開示されないので不明だが、遺構の位置づけについてはあまり異論はなかったようであるが、いまの予定地に一乗閣を移すことについては反対意見が多数を占めたと漏れ聞いている。
○12月15日 基本設計の委託契約
◆2012年
○1月10日(付) 大阪歴史学会再要望書
○1月12日 第1回史跡根来寺境内保存管理計画策定委員会(委員長水野正好、副委員長田辺征夫、森郁夫・上原真人・辻林浩・増渕徹・林良彦ほか) 調査地点をこの委員会でも扱うかどうか多少議論あり。「発掘調査の実態にそぐわない意見がある」との指摘は、筆者らにむけてのことだろう。
○1月27日 地元協議
○2月27日 地元協議 基本設計三案について意見交換
○3月27日 地元協議 D案(階段のある西斜面南半部を保存する案)で合意
○3月27日 第2回史跡根来寺境内保存管理計画策定委員会(委員長水野正好、副委員長田辺征夫、森郁夫・上原真人・辻林浩・増渕徹・林良彦ほか) A~E案を示し、D案で進めたいと意見表明し審議。遺構保存部分を増やせないのかという意見が出る。
◆未完
民意
◆ひところ、いろんなアンケートで原発0の民意が圧倒的で、民主党政権も2030年に廃止を打ち出したが、はやくも逆襲をくらい、後退しているようですね。民主主義というのがこの国には定着していないわけだ。
◆国民の圧倒的多数が原発廃すべしというなら、そうすることをまず決定する。しかしそうなると発生するエネルギー不安をどのように解消するかというところに政府は腐心し、スムーズな移行を実現させるのが政府の責任だろう。だから一定のスケジュールを作り、一方では代替エネルギーの技術開発に予算を投じる、そういう方向に行くのが基本。
◆どうなんでしょうね。憲法の国民投票とは別に、総選挙の時にアンケート調査をしてもいいんではないか。法的な拘束力はなくとも、それで民意を自ら集め、政策にいかしていく、ということもできるだろうに。縛られるのがいやなんでしょうね。
◆国民の圧倒的多数が原発廃すべしというなら、そうすることをまず決定する。しかしそうなると発生するエネルギー不安をどのように解消するかというところに政府は腐心し、スムーズな移行を実現させるのが政府の責任だろう。だから一定のスケジュールを作り、一方では代替エネルギーの技術開発に予算を投じる、そういう方向に行くのが基本。
◆どうなんでしょうね。憲法の国民投票とは別に、総選挙の時にアンケート調査をしてもいいんではないか。法的な拘束力はなくとも、それで民意を自ら集め、政策にいかしていく、ということもできるだろうに。縛られるのがいやなんでしょうね。
渡辺邸
◆今日、以下の話が舞い込んだ。知らなかった。関連記事が見つかったので挙げておく(写真も勝手に使わせてもらいます)。これしかし、なんとかならん
のか、という話ですね。17世紀はじめの建築、重文にはならんのか。府市協力して、どっかから5億円ひっぱってきて、ひとまず回避する、ということができないものか。舞い込んだ時の話では、解体やむなしみたいに聞いたが、大阪市として大阪府として簡単に壊したらアカン物件でしょう(指定は建物?)。
◆大阪府の条例ができたとき、旧規則による指定から変更しようとしたが同意が得られなかったのだという。法律的にはなんともならない。大阪府も対処はしてきたがどうしようもないという。それはそうなんだろうが・・・。先代が急死したのも痛いのだろう。そうでなければ、ほとんど親族のつきあいがない状態で、自分が死んだときのこと土地と建物をどうするか、ということを本人が考え、大阪市や大阪府と相談することになったかもしれない。寄贈するという話もありえたかも。しかし、急死により相続がなされた以上、相続税が発生してしまい、それを払うには売るしかない、とこうなったようだ。◆こんなもの、ほかにはないよな。記事からすれば大阪府内にはより古いものもあるのかもしれないが。府市協力して、地元も動いているようだし、平野屋新田会所の時は寄付も億単位で集まったと聞く。なにか対処はできないのか。これまた既に売買契約が成立し、解体の準備が進められているという。行政では、そんなこと言っても、いつなんどきにそなえて買い上げ予算が潤沢に用意されている、といった夢のような話はありえず、相談受けて、ただちに買ってくれるなら、と言われても対処のしようがないわけだ。
◆どうなんだろう、なんとかならんのか・・・。解体直前に報道されてもしんどい。むろん、方策はいろいろ考えていただいたんだと思うが、行政で対処できない場合、次の手を打つ仕組みはないものだろうか。府の旧の規則での指定物件で、新聞ネタ的には府指定を解除したということを取り上げているが、問題はこの建物が残せないのかということ。大阪市も対応してきたであろうが、報道では出てこない。
大阪市内で最古とされ、大阪府の文化財に指定されていた江戸時代初期の民家「渡辺邸」(同市淀川区)が近く解体される。所有者が多額の相続税を払えないという理由で建物の解体と土地売却を希望。府の古い規則に基づく指定だったため、府の文化財保護条例などと違い、所有者の申請だけで4月に指定が解除された。古い規則に基づく文化財は他に27件あり、府は今後も同様の事態が生じかねないと懸念している。
府教委によると、渡辺邸は平安時代の武将、渡辺綱(わたなべのつな)の子孫の家と伝えられる。敷地約2560平方メートルに母屋や土蔵など6棟が建つ。17世紀初頭に建てられたと推定される。府教委は1965年、「府古文化紀念物等保存顕彰規則」(1949年施行)に基づく重要美術品(文化財)に指定。住居として使用されていた。
ところが一人で住んでいた前所有者の女性が10年5月に死亡。唯一の相続人の女性は昨年12月、府教委に文化財指定の解除を申請した。府教委は土地の買い取りを検討したが、5億円以上かかるため断念。相続人に寄贈を勧めたが理解を得られなかったという。
文化庁などによると、文化財保護法(1950年施行)や同法に基づく文化財保護条例では、指定文化財の所有者に保存義務を課し、所有者の申請では指定を解除できない。しかし、同法や同条例よりも前に施行された府の規則では、所有者に保存義務はなく、所有者の申請で指定解除できる。
府は同規則による指定から、府文化財保護条例(1969年施行)による指定への変更を進めているが、文化財478件のうち27件が、所有者の意向などで規則指定のままだ。
相続人の女性は取材に「全ての相続税を払うには渡辺邸の土地を売る必要がある。遅れれば延滞税もかなりの額に上る」と話している。関係者によると、既に土地を購入する不動産会社との契約も済んでいるという。 こうした動きに対し、地元住民らは保存会を設立し、市に歴史公園として活用するよう求めて署名活動をしている。世話人で前所有者の遠縁にあたる山本憲作さん(40)は「貴重な歴史財産なのに、解体に向かっているのは寂しい気持ちでいっぱいだ」と話している。(毎日新聞)
教育委員会は悪者か
◆あまり定見はないのだが、橋下君はじめ、教育委員会はダメだ議論が多いですよね。ちゃんとした論評ができるわけではないが、まあ当然でしょう。独立行政委員会として政治と切り離すというのが建前だから。別に橋下君に指摘されるまでもなく、教育行政は文科省が仕切っているわけである。役所においても教育委員に重要なものごとを決定してもらおうなんざ、役所はこれぽっちも考えていない。お飾り。仕組み上、必要、というのが大半だから。独立行政委員会というのを育ててこなかったということ。
◆教育委員は名誉職なんであって、そこがなっとらん、と言われてもね~。まあ、しかし、橋下君のターゲットは教育委員会ではなく、教職者を中心とする教育委員会事務局にあるわけだ。組合、日教組、というのも当然ではあるが、むしろ、かなりの職員数を要する教職者のカタマリが抵抗勢力であることへの痛烈な批判だろう。
◆こっから先はよくわからんが。確かに組合の強さが必ずしも教育の自由とかではない政治的圧力団体として機能してきたという面はあるだろう。しかし一方で、それを押さえ込むべく、さまざまな圧力をかけ、処分をちらつかせ、校長の権限を高め、職務命令で押さえ込もうとしてきた。予算は減らされ、非常勤に依存する形が定着した。やる気が削がれてきたことも事実だろう。ゆがんでいますね。
◆どっちもどっち、と簡単に言うことはできないが、どういう形がまっとうなんでしょうか。戦前への反省もある、やっぱり国が公立学校の教育を通して、こういう国民を育成するなんざ、許してはいけないだろう。1人1人が考え生きていくことを身につけさせるということだろう。国に忠実で愛国心に満ちた御しやすい人間を輩出させるために教育があるわけではない。
◆だからやはり学習指導要領みたいなものは必要ではあっても、そこが根本的に文科省から独立したものであるべきなんだ。教科書検定もそう。地方の教育委員会組織をどうするかというよりも前に、政治的に中立な国の行政機関をまずは作ることか。とはいえ、どうせ、東大出身の御用学者の就職先となるだけかもしれない。しかしまあ、とにかくそういうものができればと思う。あくまで小学校ではこう、中学校ではこう、高校ではこうということを、政治家や行政庁の介入なく定める。役所にしてしまうと牛耳られるか。センター試験の問題を作るとか、科研の採択をするとかと同様、研究者や教育関係者からなる組織で、5年おきとかに、必要な手当を支給して参画するようなものの方がいいかもしれませんね。誰をどう選ぶかということが問題になるでしょうが、いずれにしても相当な規模で、10数人程度で決定するというものではだめだろう。数百人は必要だろう。科目別責任者は必要だろうが、それはメンバーの互選とする。そして、そこの決定がすべて。国は介入できない。
◆で、実際の公立学校でのあり方はどうあるべきなんだろうか。そこは実際の運営は地方公共団体の裁量によらざるをえないが、基本はあくまでも定められた内容にしたがい、それを身につけさせることに努力すること、落ちこぼれをなくし、みなを一定の習熟度に到達させる、というのが公立学校の使命だろう。どうなんでしょうね。大阪府下の一斉学力試験をやってもいいと思う。しかし、それを学校の競争に使うのではなく、どうしたって存在する学校による差の解消のために使うべきでは。ベテランやすぐれた教育能力のある教師を配置して、底上げしていく。上はいい、下位を解消していくことこそ大事だろうに。橋下君などが行っていることは、要するに大阪府下の学力を伸ばしたいんでしょうが、それを疲弊する競争で実現させるより、ケアが必要なところを見いだし、そこに手当をしていく方法で、全体を底上げすることが、世の中のためだと思うのですが。
◆教育委員は名誉職なんであって、そこがなっとらん、と言われてもね~。まあ、しかし、橋下君のターゲットは教育委員会ではなく、教職者を中心とする教育委員会事務局にあるわけだ。組合、日教組、というのも当然ではあるが、むしろ、かなりの職員数を要する教職者のカタマリが抵抗勢力であることへの痛烈な批判だろう。
◆こっから先はよくわからんが。確かに組合の強さが必ずしも教育の自由とかではない政治的圧力団体として機能してきたという面はあるだろう。しかし一方で、それを押さえ込むべく、さまざまな圧力をかけ、処分をちらつかせ、校長の権限を高め、職務命令で押さえ込もうとしてきた。予算は減らされ、非常勤に依存する形が定着した。やる気が削がれてきたことも事実だろう。ゆがんでいますね。
◆どっちもどっち、と簡単に言うことはできないが、どういう形がまっとうなんでしょうか。戦前への反省もある、やっぱり国が公立学校の教育を通して、こういう国民を育成するなんざ、許してはいけないだろう。1人1人が考え生きていくことを身につけさせるということだろう。国に忠実で愛国心に満ちた御しやすい人間を輩出させるために教育があるわけではない。
◆だからやはり学習指導要領みたいなものは必要ではあっても、そこが根本的に文科省から独立したものであるべきなんだ。教科書検定もそう。地方の教育委員会組織をどうするかというよりも前に、政治的に中立な国の行政機関をまずは作ることか。とはいえ、どうせ、東大出身の御用学者の就職先となるだけかもしれない。しかしまあ、とにかくそういうものができればと思う。あくまで小学校ではこう、中学校ではこう、高校ではこうということを、政治家や行政庁の介入なく定める。役所にしてしまうと牛耳られるか。センター試験の問題を作るとか、科研の採択をするとかと同様、研究者や教育関係者からなる組織で、5年おきとかに、必要な手当を支給して参画するようなものの方がいいかもしれませんね。誰をどう選ぶかということが問題になるでしょうが、いずれにしても相当な規模で、10数人程度で決定するというものではだめだろう。数百人は必要だろう。科目別責任者は必要だろうが、それはメンバーの互選とする。そして、そこの決定がすべて。国は介入できない。
◆で、実際の公立学校でのあり方はどうあるべきなんだろうか。そこは実際の運営は地方公共団体の裁量によらざるをえないが、基本はあくまでも定められた内容にしたがい、それを身につけさせることに努力すること、落ちこぼれをなくし、みなを一定の習熟度に到達させる、というのが公立学校の使命だろう。どうなんでしょうね。大阪府下の一斉学力試験をやってもいいと思う。しかし、それを学校の競争に使うのではなく、どうしたって存在する学校による差の解消のために使うべきでは。ベテランやすぐれた教育能力のある教師を配置して、底上げしていく。上はいい、下位を解消していくことこそ大事だろうに。橋下君などが行っていることは、要するに大阪府下の学力を伸ばしたいんでしょうが、それを疲弊する競争で実現させるより、ケアが必要なところを見いだし、そこに手当をしていく方法で、全体を底上げすることが、世の中のためだと思うのですが。
前にカミさんと話をしたこと 日本版バカロレア
◆こういう書きたいことはあるのだが、その時々に書かないと流れ去る。こういうことだ。要するに、いまは大学生としての学力もないのに、大学生になっている、それですべておかしくなってんじゃね~か、という話。勉強したくもないのに、みんなが大学に行くことがそんなにいいことか。ほんとは早く社会に出て食っていけるようになることの方が大事なのだが、要するにモラトリアムであると。大学院生の水増しもそう。ほんとは学部卒で就職した方がいいのに、大学院を拡充し、受け入れることが、本人にとっていいことなのか。結局、余計な時間を費やし、より就職難となり、場合によっては路頭に迷わせているんではないか、と。若いときに、無駄に時間を過ごすことのロスは大きい。それにより、大学も、初年時教育とか、場合によっては、高校の補習みたいなことをやらねばならない、そんなあほな、ということ。
◆別に今の世の中、大学を出たからいい就職ができる時代ではない。1960年代はそうだったかもしれません。中卒・高卒の就職がほとんどで、そのなかで大卒はやはり違ったかもしれない。いまや企業も先は不透明、シャープを見よ。みんなが行くから大学に行くのでなく、本来の学びたいから大学に行く、という正常な状態であるべきだ。
◆で、やっぱりバカロレアみたいなやつがあっていいんではないか、というのが結論。いまの私大の多くは、試験なしでガバガバ学生を取る、なんの関門もなく入ってくる。そうではなくて大学受験資格試験、大学受験とは別ですよ、大学生になるためには、このくらいの学力が必要というガイドラインを設ける。それを合格した者が大学受験に進む、そうあるべきではないかと。これによって高校も変わるだろう、大学もまともになる。義務教育は中学生までなのに、誰でも高校に行き、ほとんど同様に大学へ進む、それが本人にとってほんとうにいいことなのか。選別、そう、それでいい。
◆大きな金銭的負担をして大学に行かせても、本人は無自覚に遊んでいる。結局、中途半端な者が量産される。それが長くなれば、社会的適応さえ危うい。優れた会社経営者、商売人、職人、技術者、芸能者はあらゆる分野におり、そうでなくとも、まっとうな労働者はいっぱい必要だし、そういう人々が社会の多くを占めるのだ。大学はひとつのコースではあっても、それだけに過ぎない。己の人生をどう生きるか、食い扶持をどう確保するか、ということとあまり関係はないのだ。自分はどう生きるかということは、できるだけ早くから真剣に考えさせた方がいい。そうした時に、大学へ行くのがいいのかどうかという判断が当然ともなう。いまは、そんなことお構いなしに流れ込む。実際には、できるだけ早く社会に出て、どんな職種であろうと、給料をもらうためにはこれくらい働かないとアカンということを知り、1人前になった方がいい。
【追記】なにも新しい試験を作ることはない。高卒でないものの検定試験がある。あれでよい。
◆別に今の世の中、大学を出たからいい就職ができる時代ではない。1960年代はそうだったかもしれません。中卒・高卒の就職がほとんどで、そのなかで大卒はやはり違ったかもしれない。いまや企業も先は不透明、シャープを見よ。みんなが行くから大学に行くのでなく、本来の学びたいから大学に行く、という正常な状態であるべきだ。
◆で、やっぱりバカロレアみたいなやつがあっていいんではないか、というのが結論。いまの私大の多くは、試験なしでガバガバ学生を取る、なんの関門もなく入ってくる。そうではなくて大学受験資格試験、大学受験とは別ですよ、大学生になるためには、このくらいの学力が必要というガイドラインを設ける。それを合格した者が大学受験に進む、そうあるべきではないかと。これによって高校も変わるだろう、大学もまともになる。義務教育は中学生までなのに、誰でも高校に行き、ほとんど同様に大学へ進む、それが本人にとってほんとうにいいことなのか。選別、そう、それでいい。
◆大きな金銭的負担をして大学に行かせても、本人は無自覚に遊んでいる。結局、中途半端な者が量産される。それが長くなれば、社会的適応さえ危うい。優れた会社経営者、商売人、職人、技術者、芸能者はあらゆる分野におり、そうでなくとも、まっとうな労働者はいっぱい必要だし、そういう人々が社会の多くを占めるのだ。大学はひとつのコースではあっても、それだけに過ぎない。己の人生をどう生きるか、食い扶持をどう確保するか、ということとあまり関係はないのだ。自分はどう生きるかということは、できるだけ早くから真剣に考えさせた方がいい。そうした時に、大学へ行くのがいいのかどうかという判断が当然ともなう。いまは、そんなことお構いなしに流れ込む。実際には、できるだけ早く社会に出て、どんな職種であろうと、給料をもらうためにはこれくらい働かないとアカンということを知り、1人前になった方がいい。
【追記】なにも新しい試験を作ることはない。高卒でないものの検定試験がある。あれでよい。
市大の留学生
◆9月の教授会の前にFD研究会があり、留学生問題が取り上げられた。文科省の政策で、大きな大学は留学生センターが作られ、ケア体制を充実させてきた。1000人以上ですね、全国で12大学くらい。うちは300人だそうです。そのなかでの文学部の比重は高い方。
◆報告者は留学生担当で、日本語の授業をやるとともに、めんどうを見ている。はっきりいって個人に依存する形。大学としての体制を整える気配はない。300人それでもいるのだが、彼ら彼女らのケアはまったく十分でない。折しも、そのあとの教授会で海外交流の大学の方針案が出ていたが、学術交流が主で、留学生対策は謳われているけれども、担当からすれば「やる気はない」らしい。数が多くなればいいわけではなかろう。体力に見合う規模でイイ。やみくもに増やしても、いまの市大では来てもほったらかし、それじゃ口コミで増えるどころか敬遠されるだろう。大阪市大に来てよかった、と思ってもらえるようなケアを充実すべし。それで、中国や韓国の若者に、日本はいいところですよ、と思ってもらうことが何より大学として大事でしょう。
◆日本に来たアジアの留学生、というより英語圏の人間は日本などに来ないのだが、は帰らないのがほとんどなんだそうです。暮らしやすいみたいですよ。いいことじゃないですか。とくに中国の場合、やっぱり言いたいことが言えない不自由さがあり、そういう中国には戻りたくないんだと。帰る帰らないは自由だが、そういう日本である。
◆もひとつ、2000年代前半の文科省の留学生大増員施策のために、市大に来る学生のレベルがあからさまに下がっているのだそうである。大きく水増しし、受け入れやすくなれば、トップ12の恵まれた大学に留学生たちは向かう。そうなると、担当者曰く、赴任した頃の留学生はなかなか優秀だったとのことだが、そういう人たちはヨソへ行き、全体数が多くなる中で、市大に来る層は明らかにレベルが下がったと。日本語教育もしんどくなっていくわけだ。どうなんでしょうね、そういう状態で、ムリムリ数を充足する必要はまったくないだろうに、きちんと見定め、少数でよく、彼ら彼女らを十全のケアをする方が、世の中のためではないだろうか。
◆報告者は留学生担当で、日本語の授業をやるとともに、めんどうを見ている。はっきりいって個人に依存する形。大学としての体制を整える気配はない。300人それでもいるのだが、彼ら彼女らのケアはまったく十分でない。折しも、そのあとの教授会で海外交流の大学の方針案が出ていたが、学術交流が主で、留学生対策は謳われているけれども、担当からすれば「やる気はない」らしい。数が多くなればいいわけではなかろう。体力に見合う規模でイイ。やみくもに増やしても、いまの市大では来てもほったらかし、それじゃ口コミで増えるどころか敬遠されるだろう。大阪市大に来てよかった、と思ってもらえるようなケアを充実すべし。それで、中国や韓国の若者に、日本はいいところですよ、と思ってもらうことが何より大学として大事でしょう。
◆日本に来たアジアの留学生、というより英語圏の人間は日本などに来ないのだが、は帰らないのがほとんどなんだそうです。暮らしやすいみたいですよ。いいことじゃないですか。とくに中国の場合、やっぱり言いたいことが言えない不自由さがあり、そういう中国には戻りたくないんだと。帰る帰らないは自由だが、そういう日本である。
◆もひとつ、2000年代前半の文科省の留学生大増員施策のために、市大に来る学生のレベルがあからさまに下がっているのだそうである。大きく水増しし、受け入れやすくなれば、トップ12の恵まれた大学に留学生たちは向かう。そうなると、担当者曰く、赴任した頃の留学生はなかなか優秀だったとのことだが、そういう人たちはヨソへ行き、全体数が多くなる中で、市大に来る層は明らかにレベルが下がったと。日本語教育もしんどくなっていくわけだ。どうなんでしょうね、そういう状態で、ムリムリ数を充足する必要はまったくないだろうに、きちんと見定め、少数でよく、彼ら彼女らを十全のケアをする方が、世の中のためではないだろうか。
もひとつ新聞から
◆最近はトンと政治には関心がなくなった。どうでもよい、勝手にどうぞ。とはいえ、いまの日本国の制度では、この仕組みでしかモノゴトは変わらないわけだから、そうも言っていられないが。たとえば憲法で、納税者は、納税時に使途を指定する、原則はその枠内でしか予算配分されない(むろん流用枠は必要でしょう)ということが規定されていれば、あとは各省庁のなかでの配分の問題となり、大枠は納税者が決定するのであり、「あとは考えて」ということもありだが、いまはそうは行かないという意味。
◆本題。3日水曜日の朝日朝刊の、尖閣で何を慰めたのか、という記事が面白かった。山谷えり子などの、自民の領土を守れ、と声高に叫ぶヤツラが、それだけにしとけばいいのに、尖閣での慰霊ということを一枚入れようとして、遺族に蹴られた話。でウソをつく。考えてみれば、この世でもっとも正々堂々と平気でウソをつくのは国会議員などの政治家でしょうね。そういう人たちが、教育行政も担うのかと。うまくウソをつけるようになると、国会議員になれますよ、ということを子供たちは学ぶのであろう。
◆ウソも方便というのもむろんあろう。だけど、やっぱり何を考えているのか、どこまで真剣に考えているのか、ということは言葉の巧みさではなく、語りに現れよう。美辞麗句はいらない、この人はこういう問題をこう認識し、なんとか改善したいと思っているんだな~、と、それは伝わりますよね。たとえば自民党総裁選。候補者がテレビに出てきて話をしてましたよね。誰が見ても、顔はともかく、石破氏が自分がどう考えているかを、わかってもらおう伝えようとしていたと思いませんか。意見の違う部分はあったとしても、この人は信頼できるな、平気でウソをつく人種とは違う、ということはわかる。
◆本題戻り。尖閣列島戦時遭難者遺族会会長のこの記事は、いろいろ考えさせてくれる。国境の島だからこそ、守るのではなく、開いていった方がいい、実に鮮やかですね。今年の慰霊祭で、石垣市は国に頼らず、東京都の下請けなんかやらずに、アジア各都市と「外交」すればいいと挨拶したというのも、まったくそうだろう。来年3月に新しい石垣空港ができ、上海や台湾やソウルとの直行便就航が期待されていたのに・・・、という言葉も切実。石原や国はどう責任取るんだ。八重山の東アジアのなかで息づいていこうという、まっとうな希望は、ずれこみ、へたをすれば閉ざされるかもしれない。
◆きわめつけは、領土の問題は主権を守るためだという問題。だったら米軍基地はどうよ、日米地位協定はどうなんだ、という言葉は重い。国の安全保障の前に、国民主権は侵害されるということだ。国が主権者でなく、国民が主権者なんですけどね。オレは、日米安保堅持よりも、日米安保の枠を解消し(国軍を復活させるという意味ではむろんないですよ)、在日米軍を撤退させ、対等な形でアメリカや韓国などと、安全保障上の協定を必要なら、改めて結べばいいと思っている。
◆本題。3日水曜日の朝日朝刊の、尖閣で何を慰めたのか、という記事が面白かった。山谷えり子などの、自民の領土を守れ、と声高に叫ぶヤツラが、それだけにしとけばいいのに、尖閣での慰霊ということを一枚入れようとして、遺族に蹴られた話。でウソをつく。考えてみれば、この世でもっとも正々堂々と平気でウソをつくのは国会議員などの政治家でしょうね。そういう人たちが、教育行政も担うのかと。うまくウソをつけるようになると、国会議員になれますよ、ということを子供たちは学ぶのであろう。
◆ウソも方便というのもむろんあろう。だけど、やっぱり何を考えているのか、どこまで真剣に考えているのか、ということは言葉の巧みさではなく、語りに現れよう。美辞麗句はいらない、この人はこういう問題をこう認識し、なんとか改善したいと思っているんだな~、と、それは伝わりますよね。たとえば自民党総裁選。候補者がテレビに出てきて話をしてましたよね。誰が見ても、顔はともかく、石破氏が自分がどう考えているかを、わかってもらおう伝えようとしていたと思いませんか。意見の違う部分はあったとしても、この人は信頼できるな、平気でウソをつく人種とは違う、ということはわかる。
◆本題戻り。尖閣列島戦時遭難者遺族会会長のこの記事は、いろいろ考えさせてくれる。国境の島だからこそ、守るのではなく、開いていった方がいい、実に鮮やかですね。今年の慰霊祭で、石垣市は国に頼らず、東京都の下請けなんかやらずに、アジア各都市と「外交」すればいいと挨拶したというのも、まったくそうだろう。来年3月に新しい石垣空港ができ、上海や台湾やソウルとの直行便就航が期待されていたのに・・・、という言葉も切実。石原や国はどう責任取るんだ。八重山の東アジアのなかで息づいていこうという、まっとうな希望は、ずれこみ、へたをすれば閉ざされるかもしれない。
◆きわめつけは、領土の問題は主権を守るためだという問題。だったら米軍基地はどうよ、日米地位協定はどうなんだ、という言葉は重い。国の安全保障の前に、国民主権は侵害されるということだ。国が主権者でなく、国民が主権者なんですけどね。オレは、日米安保堅持よりも、日米安保の枠を解消し(国軍を復活させるという意味ではむろんないですよ)、在日米軍を撤退させ、対等な形でアメリカや韓国などと、安全保障上の協定を必要なら、改めて結べばいいと思っている。
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兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。