人を幸せにする人になろう

もひとつ新聞から

◆最近はトンと政治には関心がなくなった。どうでもよい、勝手にどうぞ。とはいえ、いまの日本国の制度では、この仕組みでしかモノゴトは変わらないわけだから、そうも言っていられないが。たとえば憲法で、納税者は、納税時に使途を指定する、原則はその枠内でしか予算配分されない(むろん流用枠は必要でしょう)ということが規定されていれば、あとは各省庁のなかでの配分の問題となり、大枠は納税者が決定するのであり、「あとは考えて」ということもありだが、いまはそうは行かないという意味。
◆本題。3日水曜日の朝日朝刊の、尖閣で何を慰めたのか、という記事が面白かった。山谷えり子などの、自民の領土を守れ、と声高に叫ぶヤツラが、それだけにしとけばいいのに、尖閣での慰霊ということを一枚入れようとして、遺族に蹴られた話。でウソをつく。考えてみれば、この世でもっとも正々堂々と平気でウソをつくのは国会議員などの政治家でしょうね。そういう人たちが、教育行政も担うのかと。うまくウソをつけるようになると、国会議員になれますよ、ということを子供たちは学ぶのであろう。
◆ウソも方便というのもむろんあろう。だけど、やっぱり何を考えているのか、どこまで真剣に考えているのか、ということは言葉の巧みさではなく、語りに現れよう。美辞麗句はいらない、この人はこういう問題をこう認識し、なんとか改善したいと思っているんだな~、と、それは伝わりますよね。たとえば自民党総裁選。候補者がテレビに出てきて話をしてましたよね。誰が見ても、顔はともかく、石破氏が自分がどう考えているかを、わかってもらおう伝えようとしていたと思いませんか。意見の違う部分はあったとしても、この人は信頼できるな、平気でウソをつく人種とは違う、ということはわかる。
◆本題戻り。尖閣列島戦時遭難者遺族会会長のこの記事は、いろいろ考えさせてくれる。国境の島だからこそ、守るのではなく、開いていった方がいい、実に鮮やかですね。今年の慰霊祭で、石垣市は国に頼らず、東京都の下請けなんかやらずに、アジア各都市と「外交」すればいいと挨拶したというのも、まったくそうだろう。来年3月に新しい石垣空港ができ、上海や台湾やソウルとの直行便就航が期待されていたのに・・・、という言葉も切実。石原や国はどう責任取るんだ。八重山の東アジアのなかで息づいていこうという、まっとうな希望は、ずれこみ、へたをすれば閉ざされるかもしれない。
◆きわめつけは、領土の問題は主権を守るためだという問題。だったら米軍基地はどうよ、日米地位協定はどうなんだ、という言葉は重い。国の安全保障の前に、国民主権は侵害されるということだ。国が主権者でなく、国民が主権者なんですけどね。オレは、日米安保堅持よりも、日米安保の枠を解消し(国軍を復活させるという意味ではむろんないですよ)、在日米軍を撤退させ、対等な形でアメリカや韓国などと、安全保障上の協定を必要なら、改めて結べばいいと思っている。

新聞から

◆博物館展示論のイントロの1回が終わり、後期第1週の山を超え、ブログに向かっています。きのう10月2日の朝日朝刊の、哲学者國分さんという人の記事は面白かった。安倍晋三が総理大臣だったとき。「美しい国」の例として、3丁目の夕日を挙げたときは「開いた口が塞がりませんでした」というのは痛快ですね。そんなこと憶えちゃいないけど、確かにアホなアナクロニストということだろう。続けて、勇ましいことは言うが、具体性の想像力がないんだろうと。そうでしょうね~。
◆趣旨は、経済成長時代が長いこともあり、暮らしはよく、政治は一任され参加しようとは思わず、国会やらの政治は「出来の悪い芝居」で、マスコミも政局をおもしろおかしく報じるだけ。だが、そうはいかなくなったと。お任せ民主主義ではダメだとの自覚が生まれつつあると。考え始めたと(それを動物的と表現するのはこの人の独特の言い方)。次は、それを政治への圧力とするための方法論だと。加えて行政の政策実行過程にも市民参加できるようにすべきという。なるほど。いまの選挙制度の問題はさておき、首長や議員を選ぶために選挙という権利はある。が、この日本で実際に税金の使い道を考え額を決めて執行する行政(むろん予算案は議会で審議を受けるが)、その行政権力にコミットする仕組みがないのはおかしい、というもの。
◆1974年生まれ、でかでかと顔写真も載っている。これから、いろいろマスメディアにも登場してきそうですね。

あと16年半

◆こないだ9月の教授会で、定年規定の変更が紹介された。まったく経緯等は知らないが、2年前くらい?、63定年だけど、1年は再雇用となり、井上浩一先生はもう1年いらした。それがさらに65年へと。退職は、65歳の年度末なんですね。そんなこと、まだ意識することもなかったが、教授会資料を見ながら指を折る。
◆誕生日が3月なので、2029年3月退職。いまが2012年10月だから、あと16年半、たぶん。大学に来て12年半が経過した。あっという間ですね。折り返しも近い。16年半、ひとまず市大に(数年先はフシ合わせ大学か?)考古学の教員として居続けることが大事だし、増員は困難でも、確実に1枠は継承されていくことを確保する必要がある。もっと考古の学生や院生が増えて、日本史全体の希望者が増え、またオレの業績のアピール力もあれば、博物館の科目担当もあり、なんとかとも思います。が、大学の定員増なんて、例えばいまの市長が「考古を充実せよ」といったような天の声でもない限り、1世代一生懸命やって実現できるかどうかくらいな話である。マイブン業界も就職口がどんどんあった時代は遠くへ過ぎ去り、全体に希望者が減っているところで、市大で考古学をやる学生が飛躍的に増えることはない。1人1人に丁寧に対応し、多くは一般就職するが、考古学の勉強を通じて自分で考えて一定の形にまとめることのできる人材として送り出し、何年かに1人くらいは、この業界でやっていく若手を送り込めればよい。自分の名前を売り込むには、マスコミとつきあい、取り上げてもらうようなことも必要なんでしょうが、こればっかりはやりたくない。新聞やテレビに出たいとは、まったく思わない。ま、その前に、相手にされるような業績を積みなさいって、「はい」・・・。
◆あと16年半だそうです。まだ、けっこうやれますよね。カミさんと退職したら、世界一周放浪の旅に出よう、としばらく前に盛り上がる。そのためには、これくらいタメとかなあかんな~という話にもなり、月々の額を決め、2ヶ月分になる(そのくらいの最近の話です)。しかし最近は、「あんたとずっといると思うとな~」と敬遠気味な発言に。実現しないかもしれませんね。構想としては1~2年の貧乏旅行なのですが、1人ではね~。

次は展示論の準備

◆概論は約90人。ちょっと予定通りにはいかなかったが・・・、まあ、ぼちぼち。日本史の院生が入ってきたときには驚いた。お前ら、まだ取ってないんかよ・・・。
◆いくつか。ひとつは最近買った古本に入っていた新聞の切り抜き。もうひとつは、今年も誘われていたが、合宿で疲れていたので行かなかった、ドイツビールを呑むオクトーバーフェスティバルで、昨年、エゲレス人と話をしていたときのメモ。ブリテンとは何で、グレートブリテンとは何で、ユナイテッドキングダムとはなにか、を教えてもらったときのもの。まったく相互の関連はありません。
【追記】スコットランドの独立住民投票をするんですって?。ちなみにアーサー王とかは、ケルト人時代の王国であり、王である、ということですよね。d88bd3a7.JPGe9222f16.JPG
 

後期がはじまる

◆10月2日、昨日から10月に突入。9月27日から29日は日本史研究室の和泉市合宿でした。3日間で11時間半ほど、和IMG_8287.JPG泉市和気というところを、オレは歩いていました。帰ってきた翌日の日曜日、台風も近づいているし、疲れもあり、家におりました。まだすこしだるい感じは残っている。
◆さてと、オレの授業としては今日が最初。で、博物館課程のカリキュラム変更にともない、担当となったので、前期から通年の学内実習をやっていますが、今日から、はじめて概論の講義が待っている。明日は展示論で、大阪市博物館協会にお願いしていますが、初回はやれということで、明日もあり。今日の概論、準備が・・・。でもまあ、なんとかなるかな、というところまでは来た。

やっと根来 記事№1400

◆専門家であれば、誰が見ても納得できるような、わかりやすい図を作らなければ説得力がないと考え、8月19日の検討会の直後にほぼ80%の作業をしていたのですが、そのあと仕事に追われて未完でした。大阪歴史学会の委員会の9月24日には、絶対に要望書案を作り承諾をとらなければならず、なんとか原案を提示し、合意を取り付けることができました。本日、それに添付する、上のような意図で作成した質問書をようやく作り上げました。これにA4で1枚、総評的な文章をつけたいと思っています。
◆これを和歌山県に送付するとともに、文化庁、文化財保護審議会委員、史跡保存管理策定委員会委員に送付したいと思います。むろん、『ヒストリア』10月号で公表しますが、『考古学研究』にも頁数を勘案してアレンジし、12月号に掲載して貰うべく、投稿したいと思います。マスコミへの資料提供も考えましょう。
◆これで再調査が指示されないなら・・・。まあ、やめときます。とにかく、このまま簡単には終わらせません。まあ、それにしても、こういう作業をなんでやらんなあかんねん、と思う。こういう作業というのは谷部の遺構などと合成し、どうつながるんだろうかと考えたり、古い空中写真や地形図と対比して、痕跡をさがしたり。普通、調査報告書というのは、そういうの込みで検討し、その遺跡の評価を与えるのんとちゃうのか、ということ。そんなこともしないで、よくまあ・・・。
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近現代史教育施設

◆8月から担当課を置き検討が進められているらしい。まだ公式なものはないのでは、と思うが、先週、新聞に載ったもの4e252be7.jpgを掲げておく(確か9月20日朝刊)。
【追記】旧NHK大阪放送局を候補地にしているとの記事。難波宮の内裏である。そういった経緯も知ってか知らずか。しかし、これは難波宮の保存問題に発展するかもしれません。
 

半島派兵

◆レキハクの研究会の時に、オレが佐紀段階前半の派兵について書いたことに対し、交易でもいいのではないかと質問を受ける。ありがとうございます。考えがあって書いたが忘れている場合、あまり深く考えずに書いてしまった場合、いろいろあるが、この場合は後者か。そのへんの論拠はなくとも考え方をもう少し書き込み、さらに慎重な言い方が必要だろうと反省。
◆しかし、白村江に至る倭の半島関与は、文献から明らかと考えている。考古学的証拠は、オレは4世紀中頃までさかのぼるとみたわけだが、それ以降を含めて、直接的なものはない。だけどあったと考えているのがベース。考古学者が、考古学的証拠がない以上、あったとはいえないという姿勢は取らない。派兵の頻度や中身についての、文献史側の到達点を熟知しているわけではないが・・・。で、400年前後の対高句麗戦も確かだろう。そして、360年代・370年代の百済支援も、吉田晶先生のいうように、盟約が成立した以上、派兵しているんだろうと思う。で、どこまで明言するかは別に、そう思っているのが大方であろう。
◆オレは、それがいま少し早く4世紀中頃までさかのぼり、それは伽耶からの要請による派兵とみたわけだ。いままで見たような時代背景がひとつ。そして大阪湾岸および丹後半島を押さえている、というのが自分の拠って立つ根拠。それから、紫金山古墳はじめ、朝鮮半島系の遺物が登場し始め、それが鉄製甲冑でありヤリに取り付けた筒形銅器である、ということによる。それくらい。
◆海上交通を押さえようとしたことが古墳からうかがえるとみているわけだが、それが兵隊を送り込むこと、とまでいえるのか、それは王権が直接交易を仕切ろうという姿勢の表れか、という、そこのところの判断になる。交易ならば、玄界灘沿岸をより強固に王権が直接管掌するということでもいいのではないかと思う。いずれにしても、王権直属の倭軍などはなく、各地の豪族が兵卒を連れての出兵なのだが、5世紀のイメージが列島各地からの動員であるのに対し、佐紀段階は畿内および周辺地域だろうと。したがって、豪族に委ねる形に変わりなくとも、5世紀のそれぞれ行ってね、でなく、大阪湾岸と丹後半島から送り込む体制を整えなければならなかった、そんなことが考えられます。ハカザの船の絵や、神明山の船の絵、船形埴輪など、そこから攻めることもちゃんとやらねばなるまい。それが交易が大規模化するとかというのでなく、多くの人間を乗せるためだった、といえるかどうか、指摘をふまえ、さらに考えてみたい。
◆もひとつ。半島派兵などという言葉は、自分でも、そう言いながら、あんまり声高には言えないな~と思うことがある(言葉は考えてみます)。どうも、そういうオレの言い方に対する危惧もあるようだ(前に聞いた)。確かに慎重な言い方を心がけます。しかし、4世紀中頃にさかのぼるかどうかは程度問題で、古墳時代から7世紀にかけて、そういう時代であったことに変わりはない。それは、例えば日本の優位性といったことを主張したいヤツラに使われる虞はあるのは確かだろう。壬申倭乱や近代史と結びつけられるかもしれない。が、あったことはなしにはできない。また、古墳時代などにおける日韓の考古学の交流は、そんなことで反目することはないと思う。礼儀は必要ながら、事実関係をそれぞれで明らかにしていける、そういう関係はできあがっているのではないでしょうか。

藤尾さん、原稿出しました!よ

◆9月25日火曜日午後3時。宅ファイル便で原稿送付。一件落着。
◆昨日は大歴の委員会で阪大まで行く。根来関係、いちおうの了承をえる。帰ってきて大学泊、頭が痛くて痛くてどう75d1e055.jpgしようもなく仮眠を少し取り、朝3時頃から仕事を続けて、ようやく達成。
◆昨日はまた、同成社の社長から原稿催促の電話。早急に書くと固く約束。次は三角縁神獣鏡か。関係者のみなさま、ご迷惑をおかけしています。3日あればと思うんですけど・・・
◆昨日はバイトの日でもあり、1人は谷首と松岳山のリーフレット作成、1人は松岳山のトレース(ほぼ等高線は終了、右図)、もう1人は、玉手山3号墳の遺構図トレース。科研があるおかげで、周1ペースだが、少しずつ進んでいる。
◆まあ、散らかしたモノを片付けてと・・・。木曜からは日本史の合宿・・・。和泉市の和気です。
【追記】阿武山はカマタリでいいみたいです。佐藤隆さんも、科研の報告書で書いてました。

今日やること明日までにやること・・・

◆24日8:30過ぎ、大学の研究室にいるのは文学部でオレ1人だろう。おおっと、院生室に明かりが・・・、きっと新谷君に違いない。先週金曜日は教授会で、その前後の朝と夜に卒論指導(4人)を入れ、なにもできない。帰ってから、レキハクの原稿を直し朝を迎えた。1時間くらいは寝たんだっけか、それも覚えていないが、7:51の準急で新大阪に向かう。
◆22日・23日はレキハクの古墳の共同研究。広瀬さん、坂さん、橋本さん、の発表を聞く。勉強になりました。夜の懇親会を含めて、いろんな人と話ができることも有益。ほぼ徹夜状態ながら、意外に元気だった。新幹線は失敗。新大阪までの間で打ち出したものに赤を入れ、それを新幹線で直していたが実に効率が悪かった。まだまだ、パソコン上で直していった方がよかったと反省。
◆帰りは下垣さんと新幹線、その間、下垣さんが『日本史研究』に書いた一文をめぐって、京都まで話をする。「読んでないでしょ」と言われつつ、本人の考えているところはおおむね理解した。いま最後に書いていることと関連するため。ただし、どこから国家という判定に興味はない。下垣さんにも、判定せんでもいいんちゃうの、といったら、「せざるをえないじゃないですか」と。まあ、そのとおりだが、一旦、判定することはやめ、内実を議論する方が有益だろうと思う。また、こうした課題についての研究の本質も、判定することにはなく、内実そのものと思う。
◆日曜の午後は、レキハクの古墳セクションの展示リニューアル案の検討。展示案検討のチームは共同研究と重なりをもちつつ別にあり、意見聴取ということではあるが、やってみると、けっこういい議論になった。どこまで議論したことが反映するかは別にして、こういうことにかかわれることも、ありがたいことである。
◆2日間に学ぶことができたこと、発表やいろんな人に教えて貰ったことを整理しないと、雲散霧消するが、ちょっと余裕なし。今日はこれからほぼ大歴の仕事。そうなると、もう原稿をやる時間はないので、今晩は大歴の委員会が終わったら、大学に戻って、また徹夜かな・・・。それぐらい切羽詰まっている。

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HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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