人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
ここんとこ
◆3月18日、日曜日だが、大阪市の会議。なんの会議かは伏せておこう。そのあと、加古川へ。日がなく、この日、和
歌山に行き、加古川に行くことになっていた。オレは午後から合流し、正月以来の実家
へ。0時に出て、国分に帰る。
◆翌日の19日と20日が歴博の共同研究の最終研究会。すこぶる天気はいいのだが、富士山を見ようと思っていたが、駿河の国は曇っていた。月曜日午前、自由席で十分に座れる。20日の自分の発表の準備をする。いつも品川で降りて京葉線に乗り、船橋で京成に乗り換える。ちょうど13時に着く。
◆初日終わり、インド料理屋で懇親会、そのあとカラオケ屋へ。最初はあんまり曲が入らなかったので、けっこう自分で入れて唄う。世代が近似しているので、カラオケもまた楽し。設楽さんの「オレの講義を聴け!、5分でいいから」というのが最高だった。さて、いまから、明日の準備の最後のところを仕上げるか・・・
◆翌日の19日と20日が歴博の共同研究の最終研究会。すこぶる天気はいいのだが、富士山を見ようと思っていたが、駿河の国は曇っていた。月曜日午前、自由席で十分に座れる。20日の自分の発表の準備をする。いつも品川で降りて京葉線に乗り、船橋で京成に乗り換える。ちょうど13時に着く。
◆初日終わり、インド料理屋で懇親会、そのあとカラオケ屋へ。最初はあんまり曲が入らなかったので、けっこう自分で入れて唄う。世代が近似しているので、カラオケもまた楽し。設楽さんの「オレの講義を聴け!、5分でいいから」というのが最高だった。さて、いまから、明日の準備の最後のところを仕上げるか・・・
土器研究のゆくえ
◆歴博の準備をしています。弥生時代後期の土器編年、そのあとの土師器の編年、乱立して定まることなし。素
人には到底理解不能。まして市民をや。まだ土師器は畿内において、一応の対応関係はとれてるらしい(布留0の問題はあるが)。が、弥生後期ってどないなってんねん。大和だ。寺澤と藤田の編年があると、それぞれ同じような名前やし、いったいぜんたいどのように対応してるんだろうか。なにか文献があれば教えてください。大和の基準資料の本を読めば書いてあるのかな。こんな状態なのだからだろうか、赤塚次郎の考古資料大観の対応表にも、大和の弥生後期土器編年は欠落している。右図でも、てんでわからんので、仮に置いているのみ。
◆どうしようもない。河内との対応は?『みずほ』をひっかきまわさなアカンのか。載ってればいいが、書いてあるのだろうか。いったいぜんたい弥生土器はどうなっとるんや。むろん、難しいんでしょう。扱ったことのない者が口をはさむべきではないかも。が、地域差はあるし、極論すれば遺跡ごとの様相差もあり、良好な資料がえられた発掘ごとに編年案が乱立する。対応表が厚みを増していくのだろうが、そうした対応表の整備さえキチンとすれば、このままの状態でいいのだろうか。考古学の資料把握として妥当なんだろうか。精緻さの一方で、大括りしていかないとイカンと思うが、それぞれが自身(自信)の編年案を墨守しているようにも見える。
◆考古学研究の先端はそうならざるをえないのだろうか。そうじゃないように思う。先端は実に細かな議論をやるのはいたしかたないだろうが、果たして理解が進んでいるのだろうか。方法論的にやむをえないのだろうか。外から見れば、ぜんぜん市民の理解をえることはないと思う。それだけではなく、後継者も生まないのではないか。容易に近づけない世界として孤立していくのではないか。
【追記】反論があるとの意見をいただきました。わたしの現況不足のようです。改めてまた。」
◆どうしようもない。河内との対応は?『みずほ』をひっかきまわさなアカンのか。載ってればいいが、書いてあるのだろうか。いったいぜんたい弥生土器はどうなっとるんや。むろん、難しいんでしょう。扱ったことのない者が口をはさむべきではないかも。が、地域差はあるし、極論すれば遺跡ごとの様相差もあり、良好な資料がえられた発掘ごとに編年案が乱立する。対応表が厚みを増していくのだろうが、そうした対応表の整備さえキチンとすれば、このままの状態でいいのだろうか。考古学の資料把握として妥当なんだろうか。精緻さの一方で、大括りしていかないとイカンと思うが、それぞれが自身(自信)の編年案を墨守しているようにも見える。
◆考古学研究の先端はそうならざるをえないのだろうか。そうじゃないように思う。先端は実に細かな議論をやるのはいたしかたないだろうが、果たして理解が進んでいるのだろうか。方法論的にやむをえないのだろうか。外から見れば、ぜんぜん市民の理解をえることはないと思う。それだけではなく、後継者も生まないのではないか。容易に近づけない世界として孤立していくのではないか。
【追記】反論があるとの意見をいただきました。わたしの現況不足のようです。改めてまた。」
2012年3月17日、古代を偲ぶ会
◆やれやれ。16日でなんとか資料を作る。プロジェクターを用意してもらっていたが、パワポを作ることは不可能。当
日、朝、なんとか資料を完成させ印刷し、綴じ終える。午後2時開始にむけて大学を出るまで2時間できたので、3月20日の歴博での報告会用資料を作成し始める。共同研究の成果報告書にむけての構想発表会。さてどうなることやら。
◆古代を偲ぶ会は、「倭の五王の奥津城を推定する」というタイトルを与えられた。そこで10基の古市・百舌鳥古墳群の倭国王墓の被葬者を名指ししてみた。こないだの2月の発表をやったので、軽里大塚やボケ山まで含めて、ほぼ一定の見解に到達し、それを洗いざらいしゃべる良い機会であった。パワポがないので、口勝負、ま、なんとか難しくなく退屈しないように、わかりやすくしゃべれたと思う。どう受けとるにせよ、オレがどう考えているかという話は理解してもらえたのではないだろうか。
◆古代を偲ぶ会は、「倭の五王の奥津城を推定する」というタイトルを与えられた。そこで10基の古市・百舌鳥古墳群の倭国王墓の被葬者を名指ししてみた。こないだの2月の発表をやったので、軽里大塚やボケ山まで含めて、ほぼ一定の見解に到達し、それを洗いざらいしゃべる良い機会であった。パワポがないので、口勝負、ま、なんとか難しくなく退屈しないように、わかりやすくしゃべれたと思う。どう受けとるにせよ、オレがどう考えているかという話は理解してもらえたのではないだろうか。
戦後の大阪砲兵工廠跡の写真
◆3月7日の朝日新聞に掲載された1954年の写真。8月14日の空襲で大勢の工員が死んだことはよく知られている。
また、そのあとも手がつけられず、戦後9年経った時の写真であるが、まだこの状態だっ
たわけだ。公園化が完成したのは1970年という。朝日さん、勝手に使ってすいません。
◆これはまだ戦後だが、古い写真はなかなか味わい深い。いまとなっては想像できないような、かつての景観。前にも書いたがこうした写真を、どんどんパネルにして、博物館は掲示すべきだ。それだけでなく、博物館の外でも、いろんな壁面が利用できるはずだ。前から思っていることだが、たとえば大阪歴博、地下鉄谷町線の地下道の壁面、博物館方向の出口への通路など、なんぼでも壁面はある。そこに大阪の歴史を語るこうしたパネルを掲げれば、なかなかいい導線になると思うのだが。交通局が民営化したところで、地下道は大阪市の所管では?。博物館への導線自体を博物館の延長として利用できるだろうに。
◆これはまだ戦後だが、古い写真はなかなか味わい深い。いまとなっては想像できないような、かつての景観。前にも書いたがこうした写真を、どんどんパネルにして、博物館は掲示すべきだ。それだけでなく、博物館の外でも、いろんな壁面が利用できるはずだ。前から思っていることだが、たとえば大阪歴博、地下鉄谷町線の地下道の壁面、博物館方向の出口への通路など、なんぼでも壁面はある。そこに大阪の歴史を語るこうしたパネルを掲げれば、なかなかいい導線になると思うのだが。交通局が民営化したところで、地下道は大阪市の所管では?。博物館への導線自体を博物館の延長として利用できるだろうに。
2012年3月15日、3日目
◆最終日。岸本・小西・竹内・道上・山田の5人。C地区西側およびB地区をひととおり歩く。
◆いちおう、当初考えていた範囲についてひととおり踏査した。できるだけ早く記憶の新しいうちにメモを整理し所見をまとめておく必要があるが、ひとまずコースをまとめ、写真のカットを記入するところまではやった。明日、やってしまうに越したことはないのだが、ちょっと無理。土曜日のシャベリと、歴博の準備にかかる。
◆おりがたいことに天気にめぐまれ、写真は木漏れ日でなかなかシンドイが、ほんとうによかった。直前はどうなるかと思ったが、急に話を振ったみなさんを含め、参加いただいた方々に感謝。対応いただいた方々にはほんとうにお世話になった。きちんと報告書にまとめるまで責任をもってやらなければならない。いまのところ、最終年度に報告書を刊行し、年々の成果を『ヒストリア』にまとめることは予定していない。が、事業報告は簡単に掲載するつもり。4月号に描けるかな・・・。
◆いちおう、当初考えていた範囲についてひととおり踏査した。できるだけ早く記憶の新しいうちにメモを整理し所見をまとめておく必要があるが、ひとまずコースをまとめ、写真のカットを記入するところまではやった。明日、やってしまうに越したことはないのだが、ちょっと無理。土曜日のシャベリと、歴博の準備にかかる。
◆おりがたいことに天気にめぐまれ、写真は木漏れ日でなかなかシンドイが、ほんとうによかった。直前はどうなるかと思ったが、急に話を振ったみなさんを含め、参加いただいた方々に感謝。対応いただいた方々にはほんとうにお世話になった。きちんと報告書にまとめるまで責任をもってやらなければならない。いまのところ、最終年度に報告書を刊行し、年々の成果を『ヒストリア』にまとめることは予定していない。が、事業報告は簡単に掲載するつもり。4月号に描けるかな・・・。
2012年3月14日ホワイトデイ、F城第2日
◆6時前に置き、京丹後の原稿手入れをし、メール送付。飯を食い、今日は伏見大手筋商店街を徒歩で東に城に向かう。快晴。
◆本日の参加者。岸本・竹内・中西・福島・藤林・道上・森島・山田。
◆縄張り図部隊は独自に動いてもらい、6人は本丸東側から出発。ぐるりと堀をめぐる。昼食後、本丸西側の堀から出発し、治部少丸に展開する。酔っぱらっているので、また、改めて整理して記述します。写真を撮るものの、天気が良すぎて、すべて木漏れ日で、取ったけれども、なかなか使えない写真だろう・・・。
◆16時から、K内庁側の要請を受けて、簡単な説明会をやる。山田さんに概容を話してもらい、あと縄張り図部隊の福島・中西に追加説明をしてもらう。約1時間。さすがに慣れたもので、うまく概略説明してもらう。ほんとうにありがたい。元は最終の3日目の予定で、誰もいなけりゃ自分でやらんといかんかと思っていたが、ずいぶん精神的には楽になったし。実際、やってもらって、ほんとうによかったと思う。
◆調査そのものは、進捗は思うようにはいっていないが、、しかし各部、ひととおり歩いてつぶしていく確認という意味では、ペースはともかく、確実に進んでいる。
◆本日の参加者。岸本・竹内・中西・福島・藤林・道上・森島・山田。
◆縄張り図部隊は独自に動いてもらい、6人は本丸東側から出発。ぐるりと堀をめぐる。昼食後、本丸西側の堀から出発し、治部少丸に展開する。酔っぱらっているので、また、改めて整理して記述します。写真を撮るものの、天気が良すぎて、すべて木漏れ日で、取ったけれども、なかなか使えない写真だろう・・・。
◆16時から、K内庁側の要請を受けて、簡単な説明会をやる。山田さんに概容を話してもらい、あと縄張り図部隊の福島・中西に追加説明をしてもらう。約1時間。さすがに慣れたもので、うまく概略説明してもらう。ほんとうにありがたい。元は最終の3日目の予定で、誰もいなけりゃ自分でやらんといかんかと思っていたが、ずいぶん精神的には楽になったし。実際、やってもらって、ほんとうによかったと思う。
◆調査そのものは、進捗は思うようにはいっていないが、、しかし各部、ひととおり歩いてつぶしていく確認という意味では、ペースはともかく、確実に進んでいる。
2012年3月13日 F城初日
◆大阪歴史学会によるF城の現状調査第1日目。朝7:00過ぎに出て、8:30頃にはF城に到着。昼飯と軍手を買いに近くのコンビニへ。結局、事務所前に到着したのは9時前か。そのうちアコードさんも到着。機材を下ろして、みなの集まりを待つ。
◆本日の参加。岸本・中西・仁木・白谷・福島・森島・道上・山川・山田・調査協力者4
◆縄張り図部隊2名は別行動でさっそく仕事にかかる。残りは石垣の清掃、石の隙間の落葉等の除去。レーザースキャン。写真を撮るも天気良く木漏れ顕著で、また撮り直しが必要。
◆終了後、天守台へ移動、倒木の除却と石の清掃。けっこうたいへん。昼になる。午後、続きをやり、そのあと、レーザーをやりつつ、記録作業を約1時間。今回、天守台ならびに付櫓の全体はできなかったが、主要部分は完了したので、天守台の規模ならびに残存する石の配列が正確に把握できるだろう。
◆終了後、本丸上面平坦面を観察して、やや早いが終了時間となる。
◆まだ明るい時間なので、家に帰れるのだが、早い段階でホテルを取っていた。ま、写真の撮影方向の記入くらいで、当初考えていたような石の写真をプリンターで打ち出して資料カードに貼るところまで現場でということは途中でやめたので、泊まらなくてもいいのだが。が、少し明日の打ち合わせを数人でやったあと、1人になりホテルの部屋に入ると、もうぐったり。疲れ果てている。とにかく、風呂に入り、飯を食べに行き、チューハイを呑んで寝る。
◆本日の参加。岸本・中西・仁木・白谷・福島・森島・道上・山川・山田・調査協力者4
◆縄張り図部隊2名は別行動でさっそく仕事にかかる。残りは石垣の清掃、石の隙間の落葉等の除去。レーザースキャン。写真を撮るも天気良く木漏れ顕著で、また撮り直しが必要。
◆終了後、天守台へ移動、倒木の除却と石の清掃。けっこうたいへん。昼になる。午後、続きをやり、そのあと、レーザーをやりつつ、記録作業を約1時間。今回、天守台ならびに付櫓の全体はできなかったが、主要部分は完了したので、天守台の規模ならびに残存する石の配列が正確に把握できるだろう。
◆終了後、本丸上面平坦面を観察して、やや早いが終了時間となる。
◆まだ明るい時間なので、家に帰れるのだが、早い段階でホテルを取っていた。ま、写真の撮影方向の記入くらいで、当初考えていたような石の写真をプリンターで打ち出して資料カードに貼るところまで現場でということは途中でやめたので、泊まらなくてもいいのだが。が、少し明日の打ち合わせを数人でやったあと、1人になりホテルの部屋に入ると、もうぐったり。疲れ果てている。とにかく、風呂に入り、飯を食べに行き、チューハイを呑んで寝る。
高槻市史跡整備委員会
◆そのあと大阪市の件で相談。で12時過ぎ、高槻市に向かう。12月末の委員会は日程合わず欠席したが、それに続く今年度2回目。主な案件は闘鶏山古墳。和田先生、水野先生、原口先生、肥塚さん。ま、だいたい自分の考えはしゃべった。+いろいろ考えていくと、さらに違う考え方も思い浮かぶ。これがいいのではないかと思うが、読んでいる側は何のこっちゃわからないでしょうが、すいません。オレならこうするかな、と。
◆本題とは離れるが、みなさんがしゃべっていることを聞いていると、大阪府関係の話がもれ聞こえてきた。センターや府立博物館の件である。それとは別に、例の府市統合の件も、午前中に大阪市の方に話を聞いたこともあわせて、組織をどうするかという協議が大詰めに近づいているようだ。
◆さてと、明日からのF城の調査準備、先週までにだいたい終えているが、あと資料の残りを作って印刷し綴じるのと、図面の書き込みようのコピーを作って、たいがいにして帰るとしよう。あとは現場!
◆本題とは離れるが、みなさんがしゃべっていることを聞いていると、大阪府関係の話がもれ聞こえてきた。センターや府立博物館の件である。それとは別に、例の府市統合の件も、午前中に大阪市の方に話を聞いたこともあわせて、組織をどうするかという協議が大詰めに近づいているようだ。
◆さてと、明日からのF城の調査準備、先週までにだいたい終えているが、あと資料の残りを作って印刷し綴じるのと、図面の書き込みようのコピーを作って、たいがいにして帰るとしよう。あとは現場!
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兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。