人を幸せにする人になろう

宇和島伊達博

◆城から降りて、次に伊達博物館に行く。隣には庭園がある。ざっとみる。企画展で家紋をやっていて、けっこう有名な豪華な箱があり、西予伊達家の紋があしらってあるのだが、これ以外にも関連の紋がちりばめてあるもの。九曜紋もあり、細川やんかと思ったが、伊達政宗が細川家からもらったのだとか。古い時期は、家紋は、由緒ある家筋のものをもらったりするもの、だったそうです。
◆この博物館、1970年ごろにできて50年が経過し、立て直しの計画中のよう。完成のパース絵がある。この市側の意向に対し、反対の意見もあるとのこと。

城内の郷土館

◆本丸に近づいたところに分岐点があり、まず天守方向に行ったが、戻りに、この分岐点の反対側にある郷土館をのぞく。施設は古そうだが、パネルは新しく、やりかえたらしい。宇和島の人材を取りあげたもの。
◆人物の展示は必要ですね。近世の人もちょこっとあったかな、多くは幕末以降だったか。大阪と関係が深い人物としては土居通夫。鴻池が、立て直す人材を五代友厚に依頼し、五代は土居をおいてほかになし、と推薦したのだとか。大阪商工会議所のところにある3人の銅像の一人が土居であるが、宇和島藩士だったんですね。文学者や絵描きなど、郷土の人たちが紹介されている。幕末維新期の藩主・伊達宗城は有名ですね。

宇和島城

◆近世城郭はやっぱり観光地ですね。観光客が途絶えることなくやってきて、城を登っていく。現存天守のひとつなんだとか。12個 あるんでしたか、ほぼ行っていると思うが、彦根城は人だらけで並ぶのをやめたので入っていない。
◆かつては海に面していたが、いまは市街地がかなり広がっている。天気もとてもよくなり、晴れ渡る。ただし風強し。

宇和島藩は伊達

◆車中で、運転をカミサンに替わってもらっていた間に、スマホで宇和島藩を調べて予習をした。伊達なんや。長男だが正妻の子でなかったので、家康に頼んで領地を拝領、10万石で宇和島にやってきたのだとか(この地の名前は元は違うものだったが、新たに「宇和島」という名にしたのだとか)。伊達家が幕末まで続いた。政宗が付けた家老を、宇和島藩主初代が死を賜ったようで(対立する者に襲撃させた)、正宗が怒って取り潰しを願い出て、お家騒動となり、いきなり存続が怪しくなったらしい。和霊(わりょう)神社というのが、この家老を祀った神社だそうです。
◆まずはお城。入口の横に、ぴかぴかの観光案内所が新たにできている。

デンケン岩松

◆12月にデンケンになって、最新の市の広報2月号がその特集。それを持って帰れ、といただきました。まだマップなどは整備されていないようである。で、小西家本家というのをアメリカの財団の助成を受けて修復したばかりとのことで、案内いただきました。
◆この1月28日にお披露目のイベントをやったところという。常時開けるところまでいっていないので、中には入れなかったが、川沿いのこの修理がなされた建物を見に行く。

2024年2月10日 宇和島

◆出発はあまり早くならなかった。7時発かな。高松道経由、豊浜SAでうどんを食べる。行き先を 整理して、昨年12月の答申?告示?でデンケンになった宇和島市岩松が、もっとも南なので、まずそこへ行く。
◆町並み保存の取り組みは、当然のことながら、以前から行われたいたよう。残っている町屋建物には標柱が添えられている。土佐への街道沿いの街並みで、街道沿いの本通りを行く。町屋がまとまってよく残っているかというと、なかなかそうはいかないよう。南に進み、そこから川沿いに出て北へ戻る。「あおさ」のつくだ煮を売っているとの看板があり、覗いてみようと思うが、川沿いのところにPとの表示はあるが店舗は表のようである。そこで、通りをつなぐ細い路地を抜けて再び表通りに出ると、先ほど通った旅館の隣の醤油屋さんでした。「ごめんください」と入ると、おっちゃんが出てきて「つくだ煮買えますか」と聞くと、奥さんとバトンタッチ。3個入りを包装してもらっている間、おっちゃんが「どこから来たか」と。「大阪からデンケンを見に来ました」と言うと、わたしが保存会の代表をやってます、とのこと。

2024年2月9日 さて今日は

◆930からひとつ外部との会議。13時から東北大・金研のみなさんが本学を訪問され、その対応。1830から学会の編集会議でおそらく21時まで。その間、紀要『人文研究』の初校直しを整える(昨日まで9割がたまでやっていた)。こうして暮れていく。
◆昨晩、愛媛行きを決める。なにかと仕事を考えると、3連休はそれにあてたい気持ちもあったが、こういう場合、出かける方を選択すべし、と。

2024年3月9日 大歴特別部会

◆なかなか積極的な試みをやってくれて、うれしい限り。行きたいが法事です。

ごさし

◆ごさしトレース中。

大津・坂本城の石垣確認の報道

◆石垣が確認されたとの新聞報道。いま湖畔の公園になっているところには2度ほど行ったことがあ る。看板とかも設置されていた。その外側に広がっていた城跡の一画が判明した、ということなんだろう。上部は壊されていても、基部については一定の高さが地下に残っていることが判明したことは大きい。宅地開発で、説明会の案内もない。最低、地下に残しておいてほしいが・・・。
【追記】保存されることになったとのこと。よかった。史跡指定もめざせるのでは。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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