人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
小牧野遺跡
◆文化庁にいるときに、史跡指定されたばかりの頃、出張で青森に行ったとき見せてもらったことを覚えて
いる。手前で車を降りて歩いていったように思うが、いまは遺跡近傍まで車で行けるようになっている。掘り出されたストーンサークルはそのまま露出展示しているのだが、保護のために15㎝程度、土を入れているのだという。なので、石を組んだ立体的な感じがやや失われている。
◆2人ほど常駐しており、ガイドとして訪問者に対応している。われわれが着いて見て回り、戻ってくるときに、3台ほど車が到着した。三内だけでなく、というか三内があるからとも言えるのだろうが、小牧野にも人が流れてくる。
◆話を聞いていると、栗林を育てたり、体験学習をさせたり、青森市教育委員会は、県が主導する三内とは別に、地道に努力している様子がうかがえた。
◆2人ほど常駐しており、ガイドとして訪問者に対応している。われわれが着いて見て回り、戻ってくるときに、3台ほど車が到着した。三内だけでなく、というか三内があるからとも言えるのだろうが、小牧野にも人が流れてくる。
◆話を聞いていると、栗林を育てたり、体験学習をさせたり、青森市教育委員会は、県が主導する三内とは別に、地道に努力している様子がうかがえた。
三内丸山遺跡と青森県立美術館
◆さんない、相変わらず客を集めている。すごいわ。が、新しくできた県立美術館にまず行く。印象派の特展、
1500円はやめて常設のみ。が、ぞろぞろと1500円払って絵を見に行く人たち。常
設は、現代アートで、いわく言い難いものがあるが、三内のみならず美術館を併設することで、女性や若いカップルも多く訪れている。
◆縄文ソフトクリームというのを食べる。屋外展示はもういいので、写真だけ撮り、展示を見る。前来たときはこの建物はできていたが、こんな展示室はまだできていなかったように思うが・・・。で、屋外展示だが、もっと自然の林を復元するべきですね。栗林もつくらなきゃ。なんていうのか、立派な復元建物があるが、ちいっとも縄文の世界の雰囲気がないのだ。舗装された道路なんていりませんよ。林を抜けてたどり着くと、森に抱かれて三内丸山のムラがたたずんでいる、という雰
囲気が必要だと思う。
◆縄文ソフトクリームというのを食べる。屋外展示はもういいので、写真だけ撮り、展示を見る。前来たときはこの建物はできていたが、こんな展示室はまだできていなかったように思うが・・・。で、屋外展示だが、もっと自然の林を復元するべきですね。栗林もつくらなきゃ。なんていうのか、立派な復元建物があるが、ちいっとも縄文の世界の雰囲気がないのだ。舗装された道路なんていりませんよ。林を抜けてたどり着くと、森に抱かれて三内丸山のムラがたたずんでいる、という雰
青森県立郷土館
◆青森県立郷土館へ行く。名前だけを見ると、郷土史資料を収集した昔からの古びたものかと思ってしまうがそうではない。立派なレッキとした
県立博物館なのである。
◆旧石器から弥生まで。大平山元の資料あり、亀ヶ岡の土器もすごいし、弥生関連の資料も充実している。
◆そのあと白神山地などの自然史をはさみ、末期古墳、五所川原の窯跡資料、それから高屋敷館などの城塞的居館など、発掘資料がひととおりならんでいる。時間がなかったので、そこからは流したが、戦国期のなんとかとなんとか、それが秀吉ら安堵され、南部藩と津軽藩につながっていくのだそうだ。民俗資料もあり、近現代史の資料もあり、ひととおり青森の歴史が学べるようになっている。青森に行ったら行くべき博物館ですよ、ここは。
◆昨年、開催された3県合同企画の図録を買う。何度目から
しいが、青森県・秋田県・岩手県の3県立博物館がひとつの展示企画を共同で作り上げ巡回する、なかなかよい企画である。
◆旧石器から弥生まで。大平山元の資料あり、亀ヶ岡の土器もすごいし、弥生関連の資料も充実している。
◆そのあと白神山地などの自然史をはさみ、末期古墳、五所川原の窯跡資料、それから高屋敷館などの城塞的居館など、発掘資料がひととおりならんでいる。時間がなかったので、そこからは流したが、戦国期のなんとかとなんとか、それが秀吉ら安堵され、南部藩と津軽藩につながっていくのだそうだ。民俗資料もあり、近現代史の資料もあり、ひととおり青森の歴史が学べるようになっている。青森に行ったら行くべき博物館ですよ、ここは。
◆昨年、開催された3県合同企画の図録を買う。何度目から
砂沢遺跡と岩木山
◆2日目、砂沢遺跡、最北の弥生水田跡が見つかった遺跡に行く。が、ここは江戸時代寛永年間にため池が造ら
れ、改修を重ね、遺跡地は水没している。8・9月に水位が下がると陸地化するという。
◆要するに、砂沢→(宇鉄)→垂柳と変遷するが、砂沢は岩木山の東麓で、縄文遺跡がたくさんあるところで、みなさんの言うところでは、そうした自分のテリトリーのなかで水田を造ってみたと。場所は谷筋から水は引けたのだろうが、かなりの傾斜地である。水田に不向きなのだが、それが縄文人の最初の試みとして理解できるのではないかと。
◆しかしやはり、田地を拡大するにはもっと緩傾斜の方がいい。砂沢は短期間で廃絶するらしい。どうしたんでしょうね。失敗したのかもしれないし、水田適地を探して下っていったのだろうか。ため池の堤防から斜面下方を見ると、もうひとつため池があり、むこうには水田が広がっている。下りていったとしても、そう規模は大きくはあるまい。そうだとしても、現代までの農地整備で、弥生水田は失われているんだろうと思った。
◆弥生の水田や集落など、初期の規模の小さなものは、ここ青森にしてもほかにもあっていいように思う。この地域を含めて日本全国、いま見つかっているのはごく部分で、そのまま田地として使い続けるなかで、開墾で失われたものも多いんだろう、ということを考えていた。
◆要するに、砂沢→(宇鉄)→垂柳と変遷するが、砂沢は岩木山の東麓で、縄文遺跡がたくさんあるところで、みなさんの言うところでは、そうした自分のテリトリーのなかで水田を造ってみたと。場所は谷筋から水は引けたのだろうが、かなりの傾斜地である。水田に不向きなのだが、それが縄文人の最初の試みとして理解できるのではないかと。
◆しかしやはり、田地を拡大するにはもっと緩傾斜の方がいい。砂沢は短期間で廃絶するらしい。どうしたんでしょうね。失敗したのかもしれないし、水田適地を探して下っていったのだろうか。ため池の堤防から斜面下方を見ると、もうひとつため池があり、むこうには水田が広がっている。下りていったとしても、そう規模は大きくはあるまい。そうだとしても、現代までの農地整備で、弥生水田は失われているんだろうと思った。
◆弥生の水田や集落など、初期の規模の小さなものは、ここ青森にしてもほかにもあっていいように思う。この地域を含めて日本全国、いま見つかっているのはごく部分で、そのまま田地として使い続けるなかで、開墾で失われたものも多いんだろう、ということを考えていた。
田舎館城
◆田舎館城という戦国の城跡はちゃんと別にあるのだが、これは
田舎館村役場として建てられた城風の建物。展望
台となっている天守閣がある。ちなみに、田んぼアートと呼ぶ、稲で描いた絵で有名らしい。これは1993年から始まったとのことであるが、役場の建設年は調べたがわからなかった。けっこう新しい。
◆垂柳遺跡現地の見学を終え、時間に余裕ができたので、現代の城を見に行くことになったのだが、着いてみると長蛇の列。やめようということで、ソフトクリームのみ。
◆「ようやるわ」という建物なのだが、展望台である天守閣は無料で解放しており、毎年、そこから見下ろせる田
んぼに、趣向をこらした図柄を描き、これだけの人が訪れる。ま、成功していると認めざるをえないか。
◆ちなみに、稲はふつう緑なのだが、紫稲・黄稲という、3種を植え分けることで図柄を表現する。右の画像は垂柳遺跡の復元小区画水田での、そうした植え分けで描いた文字の様子。
◆弘前に戻り、藍染めの店に寄ってから、ホテルへ。そのあと、弘前大学のみなさんとの懇親会。
◆垂柳遺跡現地の見学を終え、時間に余裕ができたので、現代の城を見に行くことになったのだが、着いてみると長蛇の列。やめようということで、ソフトクリームのみ。
◆「ようやるわ」という建物なのだが、展望台である天守閣は無料で解放しており、毎年、そこから見下ろせる田
◆ちなみに、稲はふつう緑なのだが、紫稲・黄稲という、3種を植え分けることで図柄を表現する。右の画像は垂柳遺跡の復元小区画水田での、そうした植え分けで描いた文字の様子。
◆弘前に戻り、藍染めの店に寄ってから、ホテルへ。そのあと、弘前大学のみなさんとの懇親会。
田舎館の垂柳遺跡
◆そのあと田舎館村に行く。何年か前に東北貧乏家族旅行をやったとき、十和田湖の駐車場で野宿し、翌朝、リン
ゴを見ながら、弘前に下りてきたのだが、途中、田舎館村の「弥生の里」なる道の駅によった。まだ8時くらいで何もなく、自販機で飲み物を買って弘前に向かった。この道の駅の横に、田舎館村埋蔵文化財センターの建物があることもすぐわかったが、そういう次第でスルーした。
◆今回の昼飯はその道の駅だった。ビールを飲みたいのをグッと我慢。そのあと文化財センターに行く。四角い建物は、検出された水田遺構の覆屋であった。横に展示室があり、垂柳遺跡の出土遺物がならぶ。東北大の伊藤信雄先生が、ここから出土した土器から、これは弥生だ、と言ったのに対し、青森県に弥生文化が到達していたとは考えられていない頃の頃、さまざまな反対意見が。それに対し、みずから発掘し炭化米を掘り出して見せたのもすごい。でも納得
されなかった。それが、道路の発掘調査で、明々白々、水田遺
構が見つかったわけである。
◆いまは史跡に指定されている。1999年に岡村道雄さんが課内で説明していたことを思い出す。2000年に国の史跡になった。
◆土器はなお亀ヶ岡の伝統が残っているが、しかしだいぶ弛緩しており、大型壺は定型化している(亀ヶ岡の壺と遠賀川系の壺の融合形態という)。
◆今回の昼飯はその道の駅だった。ビールを飲みたいのをグッと我慢。そのあと文化財センターに行く。四角い建物は、検出された水田遺構の覆屋であった。横に展示室があり、垂柳遺跡の出土遺物がならぶ。東北大の伊藤信雄先生が、ここから出土した土器から、これは弥生だ、と言ったのに対し、青森県に弥生文化が到達していたとは考えられていない頃の頃、さまざまな反対意見が。それに対し、みずから発掘し炭化米を掘り出して見せたのもすごい。でも納得
◆いまは史跡に指定されている。1999年に岡村道雄さんが課内で説明していたことを思い出す。2000年に国の史跡になった。
◆土器はなお亀ヶ岡の伝統が残っているが、しかしだいぶ弛緩しており、大型壺は定型化している(亀ヶ岡の壺と遠賀川系の壺の融合形態という)。
弘前大学亀ヶ岡文化センター
◆弘前大学人文学部亀ヶ岡文化センターを訪問。藤沼教授、関根助教授が、全学で研究センター設置を構想した
際に、考古学で亀ヶ岡に特化した研究センターを提案して設置されたのだという。いま教授になった関根先生に案内いただく、今年度から大学内トップの5年間の研究テーマが文科省に認められ、さらに助教2名、研究員1名を雇用している。
◆スタートから10数年、オレが大阪市大に来てからの年月とほぼ同じ。この違いはなんだろう。地域に根ざした貢献ができる考古学、それを大学が支援したのではあるが、自分の力のなさを痛感する。
◆展示室があり、また成田コレクションの寄贈を受け、その展示室も増設されたと。そして研究室は実に立派である。
発掘は掘って3年で整理、これまでに2冊を出し、いま3冊目を作っているという。「藤沼先生と、発掘報告書を作るまでは、次の発掘はしないということを決めた」という。耳の痛い話であるが、正論です。
◆寄贈を承けたコレクションの図録などを刊行し、市大にも寄贈していただいている。送られてくるものを見て、なんだか頑張っているな~と思っていたが、その舞台を見学でき、関根先生と話をすることができたのは、たいへんうれしい。関根先生は、東北大の構内調査を藤沢さんとやっていたことがあり、どうやらひとつ下らしい。うちの報告書の送付リストに、どっかの段階から加えた。
◆スタートから10数年、オレが大阪市大に来てからの年月とほぼ同じ。この違いはなんだろう。地域に根ざした貢献ができる考古学、それを大学が支援したのではあるが、自分の力のなさを痛感する。
◆展示室があり、また成田コレクションの寄贈を受け、その展示室も増設されたと。そして研究室は実に立派である。
◆寄贈を承けたコレクションの図録などを刊行し、市大にも寄贈していただいている。送られてくるものを見て、なんだか頑張っているな~と思っていたが、その舞台を見学でき、関根先生と話をすることができたのは、たいへんうれしい。関根先生は、東北大の構内調査を藤沢さんとやっていたことがあり、どうやらひとつ下らしい。うちの報告書の送付リストに、どっかの段階から加えた。
弘前市の藤田記念館
◆朝8時に弘前駅に着く。集合は駅前の東横イン。まず藤田記念館に行く。初代の日本商工会議所会頭の屋敷を記念館としているもので、庭園がメインのよう。ここに考古館があり、砂沢遺跡の出土
遺物ほかが展示されている。
◆弘前市の博物館は別にあるが、美術系が強いようで、考古資料は入れてもらえないらしい(歴史展示はあるんだろうか)。文化センターというのもあり、図書館などの文化施設のようだ。藤田記念館の考古館には弘前城の出土遺物もならべられている。考古館となっている建物そのものが登録文化財であり、それを考古資料の展示室に使うのもわかるが、しかし、博物館や文化センターの方が、市民に資料を見てもらいやすいだろうに。弘前城もあるのに、あんまり文化財に理解がない市なのか。考古資料を、もっと市民に見てもらえる場所にならべてほしいものである。
◆砂沢段階では亀ヶ岡系の土器が圧倒的。しかしこの土器、実に美しい。そのあと、この地域の弥生化について話をする。米作りの情報は知っていたであろうが、実際に米作りをはじ
める契機は何だったんだろうか。砂沢は適地と
いえない場所であり短いとのこと。だが、垂柳もあり、この地域では、その間もどこかで米作りが継続しているだろうと考えられている。年代観からすると、トータルで300年くらいらしい。が、そこでポシャル。垂柳は最後は洪水にみまわれたようだ。仙台平野も同じなのにそれを乗り越え、垂柳では放棄されることの違いはなにか。それから、確かに西日本のような、稲作とともに伝えられた文化・思想は伝わっていないかもしれないが、300年にわたって米作りを続けたと、これは弥生文化と言っていいのかアカンのか、など。
◆弘前市の博物館は別にあるが、美術系が強いようで、考古資料は入れてもらえないらしい(歴史展示はあるんだろうか)。文化センターというのもあり、図書館などの文化施設のようだ。藤田記念館の考古館には弘前城の出土遺物もならべられている。考古館となっている建物そのものが登録文化財であり、それを考古資料の展示室に使うのもわかるが、しかし、博物館や文化センターの方が、市民に資料を見てもらいやすいだろうに。弘前城もあるのに、あんまり文化財に理解がない市なのか。考古資料を、もっと市民に見てもらえる場所にならべてほしいものである。
◆砂沢段階では亀ヶ岡系の土器が圧倒的。しかしこの土器、実に美しい。そのあと、この地域の弥生化について話をする。米作りの情報は知っていたであろうが、実際に米作りをはじ
寝台特急「日本海」に乗って
◆実は、1時間出発をのばすため、サンダーバードで富山まで行き、22時に日本海に乗り継いだ。ぎりぎりまで大学
で仕事をしていた。
◆サンダーバードでは酒を呑まずコーヒーにして、同
成社の原稿を仕上げることに。一通り書いたら12頁分くらいになっていたものを、10頁に縮める作業をする。
◆富山駅の乗り継ぎ時間に弁当とアルコールを買おうと思っていたが、ホームの売店はみな閉まっている。改札を出てコンビニに走り、あじけない食事を取る。A寝台のところにタバコが吸える場所があり、パソコンを打つ。日が変わる前くらいには、アルコールもまわり眠くなって寝台に横たわる。
◆横揺れがあって、眠れなさそうだったが、そのうちに眠りに落ちる。起きたのは4時頃から、それからはうつらうつら。しかし6時半前には完全に起きる。外を見ると秋田の田園風景が広がっている。
【追記】DS社の原稿を仕上げました。
◆サンダーバードでは酒を呑まずコーヒーにして、同
◆富山駅の乗り継ぎ時間に弁当とアルコールを買おうと思っていたが、ホームの売店はみな閉まっている。改札を出てコンビニに走り、あじけない食事を取る。A寝台のところにタバコが吸える場所があり、パソコンを打つ。日が変わる前くらいには、アルコールもまわり眠くなって寝台に横たわる。
◆横揺れがあって、眠れなさそうだったが、そのうちに眠りに落ちる。起きたのは4時頃から、それからはうつらうつら。しかし6時半前には完全に起きる。外を見ると秋田の田園風景が広がっている。
【追記】DS社の原稿を仕上げました。
断捨離って?
◆断捨離(だんしゃり)は、部屋の整理整頓と共に生活に調和をもたらそうとする、クラターコンサツラント「やましたひでひこ」の提唱する生活術(登録商標だそうです)。ヨガの「断業」、「捨行」、「離行」という考え方を応用して、人生や日常生活に不要なモノを断つ、また捨てることで、モノへの執着から解放され、身軽で快適な人生を手に入れようという考え。単なる片づけとは一線を引くという。断=入ってくる要らない物を断つ/捨=家にずっとある要らない物を捨てる/離=物への執着から離れる ということだそうです。〔ウィキ〕
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。