人を幸せにする人になろう

2023年6月5日、堺

◆Fさんの案内で堺のまちあるき。水野鍛錬所というところにいく。包丁を鍛えている職人は堺にま だ多くいるが、刀を作っているのはここだけなのだとか。現役の仕事場を案内してもらう。
◆前に来た時より、町屋がそこここに残っているな、と感じる。
◆本願寺堺別院のところに石碑があり、堺県庁址とある。税所篤はここに通っていたということか。
◆阪神高速横の土居の東ヘリに高まりがあり、見せてもらった断面図からすると、環濠の内側の土塁にあたる。どこまで江戸時代の土塁が残っていて、どこまでがイメージ作りのものか、よくわからん。ある段階で崩されてしまっていたら、阪神高速の工事をやった時に、わざわざ盛り上げる必要はないのかもしれません。なので、いま残る高まりは往時の名残なのかも。これ知らんかった。

大阪湾岸の防砂堤

◆1961年、海に突き出す堤がそちこちに設けられ、南からの海流により砂が北上するのを防いでい る。これ、どこかの時点で実施された公共工事なんだろうが・・・。元をただせば江戸時代?。

大阪の銀行

◆第五国立銀行、大阪→東京、元薩摩藩士らによって設立。1898年に浪速銀行(旧・第三十二国立銀行)に合併。現・三井住友銀行。
◆第十三国立銀行、大阪、1897年に鴻池銀行に業務継承、満期解散。同行は1933年に三十四銀行、山口銀行と合併し三和銀行。現・三菱UFJ銀行。
◆第二十六国立銀行、大阪、元岡山藩士らによって設立。1883年に営業停止、閉鎖。1885年に解散。
◆第三十二国立銀行、大阪、両替商千草屋によって設立。頭取は当主平瀬亀之助。浪速銀行を経て1920年に十五銀行に合併。現・三井住友銀行。
◆第三十四国立銀行、大阪、1933年に鴻池銀行、山口銀行と合併し三和銀行。現・三菱UFJ銀行。
◆第四十二国立銀行、大阪、1901年に任意解散。北浜銀行は1919年に摂陽銀行に改称、1926年に三十四銀行に合併。(三菱UFJ銀行)。
◆第五十一国立銀行、岸和田、1940年に和泉銀行・貝塚銀行・岸和田銀行・寺田銀行と合併し阪南銀行。1945年に住友銀行に合併。現・三井住友銀行。
◆第五十八国立銀行、大阪、1909年に百三十銀行に合併。現・みずほ銀行。
あと3つくらいある。以上、ウィキ。

造幣局

◆明治3年11月にほぼ竣工した大阪の造幣局は、空前の洋風建築であった。そうか、京都や江戸城や ら、新政府の役所の多くは江戸時代の建物の転用。新たに建てたものがあったとしても、規模はそう大きくない。そのなかで、政府機関として最初の新規洋風建物として突出した規模のものだったんだ。

今度は今城塚と

◆周濠の輪郭はあっているような・・・
◆狐井城山は武烈墓なんでしょうかね~、なかなか否定しにくいわな。
◆遊んじまった。授業のレジュメ、なんとか終わり。さて、金曜日のプレゼンテーションの準備・・・。明日には資料を出せと言われており、今日は午後、それをしようと思っていたが、授業準備で終わっちまった。

狐井城山はなんかやっている

◆2022年1月に、岡ミサンザイと重ねていますね。

室宮山

◆空中レーザーの成果図をはじめてさわりました。後円部と前方部のトップがあまり変わらず、上 石津型とみてきたが誉田型かな~、と昨日だったか思ったのですが、明日の授業の準備をしていて、少しやってみる気になった。誉田ではあわない。で、やはり上石津の方がしっくりきますね。上石津280歩vs室宮山180歩です。前方部の高さが高まっていることは、どういうことなんだろう。
◆現地で前方部埋葬だ、と思ったんですが、張り出しが片側に寄ってますね。
【追記】その後の検討で、誉田御廟山型との見方に戻った、と思う。

天変地異が心配

◆阪神タイガースが負けない!。何か天変地異が起こらなければいいのですが・・・。ま、今年こそ優勝ですね。

ある原稿

◆日本史大辞典だけからのごくオーソドックスなもの。

◆「大阪市史編纂資料」のうち51点が重要物産同業者組合関係の簿冊である。明治時代に入り株仲間が解散すると粗製品の乱造・乱売が生じ、同業商工業者の組合設立の動きが始まる。政府は明治17年(1884)に「同業組合準則」を定め、株仲間にかわる組合設立を促した(「準則組合」)。賛成多数で設立されると加入が義務付けられたが非加入者への罰則がなく実効が上がらなかった。そこで明治33年(1900)に「重要物産同業組合法」が制定され、以後、急速に普及した。しかし粗製品の取り締まりは組合に任されたため、「弊害の矯正」という目的は十分ではなかった。昭和に入り、工業組合や商業組合が法制化され、役割は低下し昭和18年に廃止された。

まことに恥ずかしい事態

◆昨年の大歴大会報告およびヒストリアにまとめた論文のうち、キーとなっている佐紀陵山古墳のスケールが少し違っていたよう。なかり早い時期に陵墓図をトレースし、いろんなところで使ってきて、いろいろ複製があるなかで、たとえば1/1000としていたものでも、やや実際にはより縮んでしまっていたものを、ダイレキ大会報告の準備段階から使ってしまっていたようだ。数日前から、各陵墓ごとに統一されていなかったものを整序していて、複数のトレースデータを重ね、ズレを見つけてしまいました。まことに恥ずかしい限り。やはり150歩なんでしょうかね。
◆データの整序とは、0方位にあわせたトレース原図があり、次に1主軸を縦にしたもの、次に2発掘調査が行われているものはその調査区を記入したもの、次に3墳丘復元をしたもの、次に4設計寸法を記入したもの、あとはシルエットにしたものとか断面作成作業用など。ひとつにしてもいいのだが、重くなりがちなので。これを、これまで作業してきた陵墓についてファイルの階層をすべて統一する作業です。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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