人を幸せにする人になろう

ある原稿

◆白石の筆者への反論のもうひとつの柱は、被葬者論に寄りかかっているとの批判である。しかし、横穴式石室や須恵器について、白石をはじめとする考古学研究の成果をふまえており、本稿では不十分ながらも須恵器について多少言及する。ここでは、被葬者論についての考えを述べておく。
◆石室と須恵器の変遷観はおよそ共通理解にある。良好な資料が増えれば、石室型式と須恵器型式の厳密な対応関係が確立するだろうが、現状はまだそうなっていない。横穴式石室の暦年代は、現在、須恵器の年代観を前提とし、石室と須恵器の対応関係(現状は未確立)から導かれている。しかし、須恵器の推移の大局はわかるものの、例えば飛鳥Ⅰの古・中・新相といった編年は確立しておらず、暦年代を与える根拠も新相をのぞけばあまりない。横穴式石室の暦年代を須恵器に依拠するには、須恵器の年代基軸が未確立なのである。
◆そもそも、七世紀の考古資料の暦年代は、『日本書紀』から年代の判明する特定の遺跡にもとづいている。特定の遺跡を『日本書紀』に年代が記載されている宮殿や寺院あるいは個人墓にあて、暦年代の手がかりとする方法は、遺物である須恵器も遺構である石室も同じである。例えば、山田寺整地土の須恵器資料が六四一年以前となることと、石舞台古墳が蘇我馬子墓であると判断して、その石室を六二六年以前と考えることに、方法論として違いはない。違いは遺跡の種別にあるのではなく、ある遺跡を特定のものに比定する確度の差である。
◆石室の暦年代を須恵器の暦年代を介して決めなければならない理由はない。厩戸皇子の叡福寺古墳や蘇我馬子の石舞台古墳など、没年のわかる被葬者をあてうる古墳にもとづき石室の年代を考えることは、須恵器編年に暦年代を与える方法とまったく同じであり、須恵器の有無にかかわらず独立した方法である。むしろ、一括性や出土状況をふまえなければ年代基準となりにくい須恵器よりも、より直接的に年代を導くことができる。年代の基軸として未確立な未確立を介在させることで、石室の暦年代がいびつなものとなっているのである。
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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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