人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
でですね天理です
◆土曜日帰ってきてから、日曜日の天理のパワポを作り始める。こっちは授業でも他の講演会でも 使ってきたものがあるので、しゃべる筋にしたがって使えるものを配列しつつ、黒塚と行燈山のものを入れ込んでいく。だいたいできそうなメドが立ち、寝て、前日と同じように朝起きてから仕上げにかかる。同じように12時招集で、何時に出たのだったか、平端から天理駅に降り立ったのは11:30過ぎ。文化センターの方向に歩いていくが、市役所の方へ行きすぎ、引き返して到着。むかし大和天神山古墳の鏡がぜんぶ並べられたときに来たな~、と思い出す。山辺文化会議という名前で、天理の歴史文化を活かしたまちづくりなどをめざし、勉強会や、今回が5回目になるというシンポジウムを開催するなどしている。どこでも地域のために何かしたいと活動している人々がいます。
◆大学の先輩である天理大学Kさんが理事になっていて、今回の企画をセッティングしたようで、頼まれて断るわけにはいかない。3人が40分ずつしゃべって、結構長く討論時間があった。
◆黒塚の護岸工事の調査をやった反対側側面の方が残りよく、そのくびれ部を掘ったら、きっと葺石は残っていると思うし、全体に柳本藩の陣屋になり傷んではいるが、なんとか箸墓古墳に近いという判断ができる材料がえられるだろうと思う。あれだけの内容のものがあって、史跡は当然であるとしても、本来は、範囲確認をやって指定すべきなんだが・・・。まあそんなことは言いませんが、墳丘を確認してほしいという願望は表明しておきました。そして行燈山。なぜ崇神墓とみることができるか、という説明をして、ハツクニシラスの話をしてオチ、としました。参加者は230名くらい?。
◆大学の先輩である天理大学Kさんが理事になっていて、今回の企画をセッティングしたようで、頼まれて断るわけにはいかない。3人が40分ずつしゃべって、結構長く討論時間があった。
◆黒塚の護岸工事の調査をやった反対側側面の方が残りよく、そのくびれ部を掘ったら、きっと葺石は残っていると思うし、全体に柳本藩の陣屋になり傷んではいるが、なんとか箸墓古墳に近いという判断ができる材料がえられるだろうと思う。あれだけの内容のものがあって、史跡は当然であるとしても、本来は、範囲確認をやって指定すべきなんだが・・・。まあそんなことは言いませんが、墳丘を確認してほしいという願望は表明しておきました。そして行燈山。なぜ崇神墓とみることができるか、という説明をして、ハツクニシラスの話をしてオチ、としました。参加者は230名くらい?。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。