人を幸せにする人になろう

モガリ

◆今日の卒論演習でモガリの発表があったが、まあ7世紀以降は宮殿の南庭でやるのが基本になるようだ。6世紀までは、欽明が河内古市、敏達が広瀬と、出身地とか本拠地に遺骸を戻す、と理解できる。
◆わからんのは、和田アツム氏が河原で骨化させるみたいなことを考えている、その根拠で、それはタケチの挽歌の解釈らしい。でもそれだけ?。で、和田先生は、ぜんぶそれで解釈しようとしている、それは無理があると感じざるをえない。古墳で骨が片付けられているものもあるのも確かながら、少数派であって、ほとんどは横たえられたままでしょう。骨を洗うとか、どっから来るのか知らんが、根拠は確かなのか。それでもって導水施設をモガリの場という解釈が出てくる。たぶん大方の支持はえられていないのだろうが。
◆敏達のモガリの広瀬は、のちの広瀬郡の、あっちの地でしょう。とはいえ、敏達王統が、あっちに本拠地をもつのは確かだが、それは息子の代以降では確実ということ。敏達の時に所領をえたと考えているのだが・・・。百済宮の議論を含め、キノヘの問題も、オレには何が何だかわかりません。小澤さんに聞いてみよう。
◆で、欽明の河内古市。やっぱりタシラカは古市で欽明を産んだんでしょうね。やっぱりそう考えざるをえまい。そうすると、蘇我氏の本拠地は南河内?、とも思ってしまう。稲目は欽明とともに大和に乗り込んでいく?。確かにタシラカとの婚姻は必要、だが、欽明が当初から本流の血統として大事にされていたかどうか、怪しいかもしれませんね。
 

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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