人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
前期難波宮
◆宮内の官衙の様子もわかりはじめ、また宮外かと思われる官衙の報告もあった。建築的には、八
角建物、複廊、前殿と後殿をつなぐ工字形の建物、白壁、巨大な門、すべて前期難波宮が初出。むろん広大な朝堂に朝庭、内裏前殿の構造も。16朝堂にみあう中央官制が打ち立てられたであろう。また曹司もともなうと。当然に京もあるはずだ。難波に10年、ミヤコがあったわけだ。宮の造営が進むのと平行して、京域も整備されたはずだ。もっとも宮完成から飛鳥にもどるまで2年、どこまでできあがっていたかは別として、プランがあり施工されつつあったのだろう。
◆7世紀の大化の政府がめざした姿がそこにうかがえる。最後に振られてしゃべったこと。蘇我排除は必然。新機軸を打ち出すのに、飛鳥を離れる刷新をめざす。その場合に、なぜ難波か。それは全国区の政府を打ち立てるには、やはり淀川流域に出てこそではないか。その際には、古くからの拠点がある大阪を選ぶのも必然だろう。改進の最大の考古学的証拠は難波宮。朝堂からは中央官制が、そして木簡から地方行政制度も作られた、と。
◆ただ問題は、飛鳥に短期間で戻ってしまうこと。また反対派も多かったと一般にはみられており、急進的改革に対する反動があったとみられている(いまの大阪市を考えればイメージしやすい?)。しかし、飛鳥に戻るのは政治的な問題であって、戻った以上、それは狭い飛鳥でやっていかねばならず、だからといって改進で打ち出した方針が後退したかどうかは、また別と思う。まったく頓挫してしまい、天智朝を待たねばならん、などとは思っていない。天下立評され、665の国-評-五十戸の木簡が出てくるのは、スムーズだと思う。美濃が特別だとは思わないし。中央官制だって、飛鳥の執務形態は知らんが、それですっかりご破算になったなんて考えることはないだろう。
◆すべてが順調にとはいえまい。だが、そんなに反動の証拠はあるのだろうか。
◆7世紀の大化の政府がめざした姿がそこにうかがえる。最後に振られてしゃべったこと。蘇我排除は必然。新機軸を打ち出すのに、飛鳥を離れる刷新をめざす。その場合に、なぜ難波か。それは全国区の政府を打ち立てるには、やはり淀川流域に出てこそではないか。その際には、古くからの拠点がある大阪を選ぶのも必然だろう。改進の最大の考古学的証拠は難波宮。朝堂からは中央官制が、そして木簡から地方行政制度も作られた、と。
◆ただ問題は、飛鳥に短期間で戻ってしまうこと。また反対派も多かったと一般にはみられており、急進的改革に対する反動があったとみられている(いまの大阪市を考えればイメージしやすい?)。しかし、飛鳥に戻るのは政治的な問題であって、戻った以上、それは狭い飛鳥でやっていかねばならず、だからといって改進で打ち出した方針が後退したかどうかは、また別と思う。まったく頓挫してしまい、天智朝を待たねばならん、などとは思っていない。天下立評され、665の国-評-五十戸の木簡が出てくるのは、スムーズだと思う。美濃が特別だとは思わないし。中央官制だって、飛鳥の執務形態は知らんが、それですっかりご破算になったなんて考えることはないだろう。
◆すべてが順調にとはいえまい。だが、そんなに反動の証拠はあるのだろうか。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。