人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
国立広島原爆死没者追悼平和記念舘
WEB
【銘文】原子爆弾死没者を心から追悼するとともに、その惨禍を語り継ぎ、広く内外へ伝え、歴史に学んで、核兵器のない平和な世界を築くことを誓います。
【趣旨】 国立原爆死没者追悼平和祈念館は、原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律に基づき、国が原爆死没者の尊い犠牲を銘記し、恒久の平和を祈念するため、原子爆弾の惨禍に関する国民の理解を深め、その体験の後代の国民への継承を図り、及び原子爆弾による死没者に対する追悼の意を表す施設として、広島市及び長崎市に設置するものである。
○「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」(平成6年法律第117号)第41条 (平和を祈念するための事業)国は、広島市及び長崎市に投下された原子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記し、かつ、恒久の平和を祈念するため、原子爆弾の惨禍に関する国民の理解を深め、その体験の後代の国民への継承を図り、及び原子爆弾による死没者に対する追悼の意を表す事業を行う。
【設置者】 国(厚生労働省)
【開館日】平成14年8月1日
◆1994年に法律が出来、2002年にできあがったわけだ。![20eecfd6.JPG](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/9b81cb9acec3d207b2fd2f606e86b648/1321198800?w=150&h=112)
◆右に示すのは、入館して最初のところに掲げられた趣旨文。「誤った国策により犠牲になった」とある。この文言、国立施設で入れるのは困難だろう。「誤った国策」、右より政治家がいちばん嫌う言葉であろう。ここには盛り込まれたが、そこ以外はホームページにもチラシなどにも基本的に出てこないようにも思う。1994年というと、村山内閣の産物かも。仕方なく作ったのではないのか。
◆原爆死没者のデータベース基地で検索ができるようになっている。1人1人をきちんと記録することに異議はない。なによりも写真があって本人と向き合える、名前があり、1人の人間の存在を認識できる。が、展示施設というか、モニュメント空間で、金をかけた凝ったものだが実がない。
◆で、人が入っていない。ロケーションが悪いし、原爆ドームまでの導線のなかで、ちゃんと位置づけられていない。1人1人の写真や名前だって、例えば平和の礎のように、屋外に、それこそ写真と名前を陶板に焼き付
けたものを14万枚配置してもいいのではと思う。法律は被爆者援護が主旨で、追悼施設は付属的なものなのだろうが、国(厚労省)が作ったものの、いまは指定管理で、結局、記念資料館を運営する市の認可した財団が運営しているのだそうだ。
◆無駄じゃないの。記念館は広島市が作った、それに国の慰霊施設ができたと。はじめから一体的にやった方がいいんではないのか。中身のない豪華な施設を別に作る必要はない。主機能である死没者のデータにしても、調べるのも国が独自にやったわけじゃないだろう。データベースのサーバーは市の記念館に置き、1人1人を顕彰するような施設は公園のなかの屋外に、平和の礎のようにもっと目を引くように場所を考えて作るべきだ。その金を法律により国が出すものの、はじめから平和記念公園の一環として任せればいいのである。原爆を前に、広島市は広島市、国は国ではないだろう、というのが言いたかったこと。
【銘文】原子爆弾死没者を心から追悼するとともに、その惨禍を語り継ぎ、広く内外へ伝え、歴史に学んで、核兵器のない平和な世界を築くことを誓います。
【趣旨】 国立原爆死没者追悼平和祈念館は、原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律に基づき、国が原爆死没者の尊い犠牲を銘記し、恒久の平和を祈念するため、原子爆弾の惨禍に関する国民の理解を深め、その体験の後代の国民への継承を図り、及び原子爆弾による死没者に対する追悼の意を表す施設として、広島市及び長崎市に設置するものである。
○「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」(平成6年法律第117号)第41条 (平和を祈念するための事業)国は、広島市及び長崎市に投下された原子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記し、かつ、恒久の平和を祈念するため、原子爆弾の惨禍に関する国民の理解を深め、その体験の後代の国民への継承を図り、及び原子爆弾による死没者に対する追悼の意を表す事業を行う。
【設置者】 国(厚生労働省)
【開館日】平成14年8月1日
◆1994年に法律が出来、2002年にできあがったわけだ。
◆右に示すのは、入館して最初のところに掲げられた趣旨文。「誤った国策により犠牲になった」とある。この文言、国立施設で入れるのは困難だろう。「誤った国策」、右より政治家がいちばん嫌う言葉であろう。ここには盛り込まれたが、そこ以外はホームページにもチラシなどにも基本的に出てこないようにも思う。1994年というと、村山内閣の産物かも。仕方なく作ったのではないのか。
◆原爆死没者のデータベース基地で検索ができるようになっている。1人1人をきちんと記録することに異議はない。なによりも写真があって本人と向き合える、名前があり、1人の人間の存在を認識できる。が、展示施設というか、モニュメント空間で、金をかけた凝ったものだが実がない。
◆で、人が入っていない。ロケーションが悪いし、原爆ドームまでの導線のなかで、ちゃんと位置づけられていない。1人1人の写真や名前だって、例えば平和の礎のように、屋外に、それこそ写真と名前を陶板に焼き付
◆無駄じゃないの。記念館は広島市が作った、それに国の慰霊施設ができたと。はじめから一体的にやった方がいいんではないのか。中身のない豪華な施設を別に作る必要はない。主機能である死没者のデータにしても、調べるのも国が独自にやったわけじゃないだろう。データベースのサーバーは市の記念館に置き、1人1人を顕彰するような施設は公園のなかの屋外に、平和の礎のようにもっと目を引くように場所を考えて作るべきだ。その金を法律により国が出すものの、はじめから平和記念公園の一環として任せればいいのである。原爆を前に、広島市は広島市、国は国ではないだろう、というのが言いたかったこと。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。