人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
幡枝元稲荷窯
◆むかし、大学院浪人をやっていた1987年に、岩倉の報告書に幡枝元稲荷窯の須恵器を収録させて欲しいと、横山浩一先生に手紙を書き、どうもOKになったらしく、博物館助手の菱田さんに、新博物館への引っ越しのため、どこぞの地下倉庫に積み上げられている木箱を、見せてもらう便宜をえた。
◆ノートを見ると、五十川さんと菱田さんに、見るときにどこまでやるか相談したときのメモもある。その前に、佐原さんが瓦を整理しての原稿があることを知り、五十川さんが持っていたコピーを複写させてもらっていた(この原稿、世に出ていない。幡枝の瓦を分類したのは佐原さんである)。こうして5月、数日間、幡枝元稲荷窯のすべての発掘資料を点検した。そのノート2冊が手元にある。もう考古学をやめようと思っていた頃だが、岩倉の仕事だけは片付けようとしていた(1991年までかかる)。けっこうな、やる気と集中力でやった記憶がある。
◆軒瓦や須恵器は少ないが、こうしたお宝に出くわしたときは感激した。確か、高句麗式の瓦当裏面が剥離していて、箱が違っており、顔のある破片の裏側を見たとき、これはもしかして同一個体?と合わせてみたら一致した。もともとわかっていたのに分離していたのではないかと思うが・・・。
◆岩倉の報告書の時、須恵器は、いま大阪市文協にいる宮本君の担当だった。彼には、学部時代から、ほとんど岩倉をやってもらい、苦労をかけた。すまん。元稲荷の須恵器も、実測はすべて彼がやったのではなかったか。トレースしたものが出てきた。
◆横山先生も佐原さんも亡くなられた。幡枝が日の目を見ることはないか・・・。
◆ノートを見ると、五十川さんと菱田さんに、見るときにどこまでやるか相談したときのメモもある。その前に、佐原さんが瓦を整理しての原稿があることを知り、五十川さんが持っていたコピーを複写させてもらっていた(この原稿、世に出ていない。幡枝の瓦を分類したのは佐原さんである)。こうして5月、数日間、幡枝元稲荷窯のすべての発掘資料を点検した。そのノート2冊が手元にある。もう考古学をやめようと思っていた頃だが、岩倉の仕事だけは片付けようとしていた(1991年までかかる)。けっこうな、やる気と集中力でやった記憶がある。
◆軒瓦や須恵器は少ないが、こうしたお宝に出くわしたときは感激した。確か、高句麗式の瓦当裏面が剥離していて、箱が違っており、顔のある破片の裏側を見たとき、これはもしかして同一個体?と合わせてみたら一致した。もともとわかっていたのに分離していたのではないかと思うが・・・。
◆岩倉の報告書の時、須恵器は、いま大阪市文協にいる宮本君の担当だった。彼には、学部時代から、ほとんど岩倉をやってもらい、苦労をかけた。すまん。元稲荷の須恵器も、実測はすべて彼がやったのではなかったか。トレースしたものが出てきた。
◆横山先生も佐原さんも亡くなられた。幡枝が日の目を見ることはないか・・・。
この記事にコメントする
プラグイン
カレンダー
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
最新記事
(02/05)
(02/05)
(01/27)
(01/16)
(01/13)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。