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筑備播讃

◆筑備播讃、倭国明治維新説で、明治維新と違うのは、江戸に本拠を構えたことだろう。むろんサラの地に本拠をつくることはある。藤原や平城や平安もそうだろう。倭国形成を東部瀬戸内なりの勢力が乗り込んできて、と考えているみなさんは、纒向は新たに形成したと見ているんだろう。江戸→東京と、そこは違うわけである。江戸というベースがあり、そこに乗り込んで行った薩長。
◆藤原や平城や平安はいい、国家権力がデンとあって、次はココ、立ち退き!、と簡単に命じることができる。が、そういうことが、外部勢力が乗り込んできて可能であるんだろうか。たとえとしての明治維新との違和感をひとまず指摘しているだけ。そんなことあり?。東との接点でもあり、選地したと、そりゃ勝手だが、「そこがいい」からといって実現するだろうか。
◆それよりも、昨今の年代観からいけば、纒向は卑弥呼共立にさかのぼるヤマトの自律的な動きなのだ。それは、ヤマト国が自分の内部に本拠を建設するのだから、サラ地にあたらしくふさわしいものを作りあげる、というのはあっていいわけである。
◆で、そうなると筑備播讃説は、江戸→東京に近づく。だから成り立つわけではないが、評価も変わる。ヤマトが纒向を建設するだけのジツリキを有しており、石塚を生み出していくことは、出雲や吉備となんら変わりはないのである。さて、纒向に仮に連合国家本拠が置かれたのだとしても、その前提としてのヤマト国・纒向を評価しなければならない。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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