人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
金曜日の大歴の例会
◆関学の2日目、終わってから大歴の例会発表。準備をしてきたが、当初の構想に近づいては来たが、思っていたようなところまでは行かないみたい。「古墳築造に用いられた尺度」。関心は7世紀にあるのだが、前提として前期以来の話を前半でやってと考えており、いま7世紀前半まで来たが、もう時間がない。薄葬令そのものを正面から論じることは難しそうだ。
◆とはいえ、やっぱり生来のサボリとしては、こうした発表機会をもらうと、やはり何かと得るところはある。いい勉強になっている。いま重要なポイントはこれというのを掴みかかっているのだが、それで新たな新機軸を打ち出せるかどうかは、あと2晩ほどにかかっている。ポイントは5世紀の南朝尺の、1尺25㎝。前に「前方後円墳の墳丘規模」の付記に書いた話。6世紀後葉とか、7世紀前半に、高麗尺によって墳丘は造られたのか、イヤ違う、25㎝尺ではないか、ということ。そして尺数そのものではなく歩数の規定がなお使われていて、それがヒロではないか、ということだ。これいけるんと違うかな。
◆例えば、定北の墳丘は唐尺という。が、0.3m*5尺=1.5m=0.25m*6尺(1歩)なんですよね。つまり唐尺といえるか?、それは5世紀以来の25㎝尺で歩数で墳丘規模を規定していく、それで説明可能なわけだ。
◆資料を読んでいると、0.3㎝尺もそれを切るモノと越えるモノで微妙に違い、2種類あるというような話があった。山田寺でもそう。これって、25センチの1歩と、ほんとうに中国の29.2㎝とかの新来の尺度のふたつ、ということはないだろうか。まあ、そんなことを考えているのです・・・。
◆ちなみに、歴博の共同研究だが、王権論をやれと言われて、佐紀とか葛城とかをテーマにしようと前は考えたが、それはそれでやるとして、尺度規定からみた秩序を、墳丘やら石室やらで明々白々に打ち出すことこそ、倭王権を考えろというテーマにふさわしい、つまりは古墳の表徴の内実の具体像、という意味で重要かな、と思い始めている。
◆とはいえ、やっぱり生来のサボリとしては、こうした発表機会をもらうと、やはり何かと得るところはある。いい勉強になっている。いま重要なポイントはこれというのを掴みかかっているのだが、それで新たな新機軸を打ち出せるかどうかは、あと2晩ほどにかかっている。ポイントは5世紀の南朝尺の、1尺25㎝。前に「前方後円墳の墳丘規模」の付記に書いた話。6世紀後葉とか、7世紀前半に、高麗尺によって墳丘は造られたのか、イヤ違う、25㎝尺ではないか、ということ。そして尺数そのものではなく歩数の規定がなお使われていて、それがヒロではないか、ということだ。これいけるんと違うかな。
◆例えば、定北の墳丘は唐尺という。が、0.3m*5尺=1.5m=0.25m*6尺(1歩)なんですよね。つまり唐尺といえるか?、それは5世紀以来の25㎝尺で歩数で墳丘規模を規定していく、それで説明可能なわけだ。
◆資料を読んでいると、0.3㎝尺もそれを切るモノと越えるモノで微妙に違い、2種類あるというような話があった。山田寺でもそう。これって、25センチの1歩と、ほんとうに中国の29.2㎝とかの新来の尺度のふたつ、ということはないだろうか。まあ、そんなことを考えているのです・・・。
◆ちなみに、歴博の共同研究だが、王権論をやれと言われて、佐紀とか葛城とかをテーマにしようと前は考えたが、それはそれでやるとして、尺度規定からみた秩序を、墳丘やら石室やらで明々白々に打ち出すことこそ、倭王権を考えろというテーマにふさわしい、つまりは古墳の表徴の内実の具体像、という意味で重要かな、と思い始めている。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。