人を幸せにする人になろう

再度、尺度

◆とにかく、上田宏範先生が『日本の考古学』Ⅴで、6末7初の墳丘は高麗尺になると言ったもんで、それが通説になってしまったことが、事態をb32cef67.jpg悪くしてしまった。赤坂天王山が高麗尺だなんて、日本古文化研究所の測量図で言えるか?、そりゃ無理な話なんです。ところが、それがほぼまかり通ったもので、それを前提に7世紀の墳丘の尺度が議論されてしまい、ヘンテコリンなことになってしまったと思う。そして25㎝尺というのが、甘粕先生の原著論文をちゃんと読んだ人はともかく、前期以来の23センチは知っていても、25センチ尺になったということは、ほとんど知られていない。
◆わたしのみるところ、6世紀はまだ25㎝尺で、それで7世紀にそのまま突入するのだろうと・・・。
◆大歴の例会報告でこしらえた模式図を示しておく。高麗尺はだから、日本では横穴式石室に特化しており、7世紀に度地尺となるのは、寺院建築にともなって再上陸し、それが普及すると考えた方がいいと思っている。いかがでしょうか(時間軸が明確ではありませんが・・・。縦の帯は改新ですよ)。
 

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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