人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
21世紀の平城宮跡を考える会
◆研究室の書架もめいいっぱい、時々、本も捨てる・・・。こないだ、この冊子を捨てましたが、1990年頃の奈文研で、
いつまで掘るのかといった調査のこととか、整備や管理をどうしていくのか、ということが議論されていた。当時の平城調査部の、金子・毛利光・山崎室長などが報告し、議論している。
◆これはオレが入る前でした。表紙には発行年がないけれど、1990年くらいだったように思います。これは記録集で、当日の議論をテープ起こしして冊子にしたものです。結局、わたしのいる5年間のうちに第2回目が開催されることはありませんでした。この先どないすんねんという、一種の危機意識のもと、どこでどう発案されたかは知りませんが、開催にこぎつけ、何を議論するかということも設定して始めたのでしょうが、そのままとなりました。バブル後の景気対策で、一挙に補正予算がつき、朱雀門と東院庭園を復元することになり、それどころじゃなくなったのかもしれません。
◆こういう機会が、たとえ年1回でも、所員を集めて議論する機会が継続されていてもよかったのでしょうが。まあしかし、内部的に議論をしても、そうなるというものでもなく、結局は独立行政法人となり、ずいぶんと組織形態も変わっていくことになります。しかし、こういう議論は無駄ではないですよね。30年間掘ってきたから、これからも掘り続けるのは当たり前として、何も考えないのではなく、自分らは何を目的に何をやっているのか、ということを確認する/考える機会はあるべきなんでしょう。
◆これはオレが入る前でした。表紙には発行年がないけれど、1990年くらいだったように思います。これは記録集で、当日の議論をテープ起こしして冊子にしたものです。結局、わたしのいる5年間のうちに第2回目が開催されることはありませんでした。この先どないすんねんという、一種の危機意識のもと、どこでどう発案されたかは知りませんが、開催にこぎつけ、何を議論するかということも設定して始めたのでしょうが、そのままとなりました。バブル後の景気対策で、一挙に補正予算がつき、朱雀門と東院庭園を復元することになり、それどころじゃなくなったのかもしれません。
◆こういう機会が、たとえ年1回でも、所員を集めて議論する機会が継続されていてもよかったのでしょうが。まあしかし、内部的に議論をしても、そうなるというものでもなく、結局は独立行政法人となり、ずいぶんと組織形態も変わっていくことになります。しかし、こういう議論は無駄ではないですよね。30年間掘ってきたから、これからも掘り続けるのは当たり前として、何も考えないのではなく、自分らは何を目的に何をやっているのか、ということを確認する/考える機会はあるべきなんでしょう。
- << 大英博物館
- HOME
- むかしの新聞記事(君が代問題) >>
プラグイン
カレンダー
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
最新記事
(02/05)
(02/05)
(01/27)
(01/16)
(01/13)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。