人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
2021年1月5日、中尾山古墳
◆埋め戻し直前、見せていただきました。感激です。墳丘・石槨・沓石、すべてが。そして竜山石なんだ。また底石の恐ろしい大きさ。
◆八木から橿原神宮前行きに乗り換えると、トレッキングにむかう年配の人だらけ。橿原神宮前駅では、みな吉野行きに乗り換えていた。元気な高齢者は、あまり行動を控えていない様子である。1人の80前後かと思われる男の人が、朝9時からスポーツ新聞を開き、ハダカの写真をあからさまに見ている。もうちょっと節度とかはないのだろうか。
◆八木から橿原神宮前行きに乗り換えると、トレッキングにむかう年配の人だらけ。橿原神宮前駅では、みな吉野行きに乗り換えていた。元気な高齢者は、あまり行動を控えていない様子である。1人の80前後かと思われる男の人が、朝9時からスポーツ新聞を開き、ハダカの写真をあからさまに見ている。もうちょっと節度とかはないのだろうか。
『考古学研究』の書評を読む
◆感激です。暖かいお言葉に涙が出そうです。かみしめたいと思います。歩みを続けなければなりません。
2021年、丑年
◆新年が始まりました。さすがに31日・1・2日は家におりました。31日は家の片づけをし、自分の 部屋をすっきりとさせました。夕方、息子が帰省。22時くらいからZOOMを開き、函館で修論を書いている娘とつなぎ、また年越しそばを食べ、寝る。
◆元旦、おせち料理を食べてから実家へ行く。父親の祭壇に手をあわせ、姉のところに顔を出し、翌日2日の打ち合わせをして帰ってきた。国分に戻り夕食。前日から、昔のビデオテープのPC取り込みを続けている。5月2日の結婚式の素材作りです。
◆2日、昼前、車ででかけることにする。太子町の道の駅、資料館のある竹内街道沿いを歩く。いつも車で資料館の駐車場に行き、街道沿いを歩いたことがなかったので。空き家がかなり多い。登録文化財となっている公開されている大きな屋敷が ある。年末年始で閉まっているが、改めて見学に行こう。どうせなんで、孝徳陵。ぐるりと背後も見て回る。きれいにしてあり、墳丘もよく見える。面があるようにも思ったが、改めてメタシェイプをすれば、多角形かどうかわかりそうにも思った。
◆竹内街道を奈良側に抜ける。當麻寺。中将餅は休んでいました。適当な参拝客で密ではない。門前で昼飯を軽く取り、河内国分に戻る。ブランシェタカギでケーキを買っ て、15時にそなえる。元旦、加古川に戻りながら、母親のところに行くのはやめておいたが、この日は、姉が入浴介護に行ってくれることになっており、ラインでテレビ電話を15時にスタートすることにしていた。前日の元旦に予行演習をしていたわけです。函館方面にも連絡。15:20くらいから小1時間ほど、みなで新年の顔合わせができました。
◆そんな正月を過ごし、3日(日)、息子は東京に帰っていき、わたしも職場に来たところです。
◆元旦、おせち料理を食べてから実家へ行く。父親の祭壇に手をあわせ、姉のところに顔を出し、翌日2日の打ち合わせをして帰ってきた。国分に戻り夕食。前日から、昔のビデオテープのPC取り込みを続けている。5月2日の結婚式の素材作りです。
◆2日、昼前、車ででかけることにする。太子町の道の駅、資料館のある竹内街道沿いを歩く。いつも車で資料館の駐車場に行き、街道沿いを歩いたことがなかったので。空き家がかなり多い。登録文化財となっている公開されている大きな屋敷が ある。年末年始で閉まっているが、改めて見学に行こう。どうせなんで、孝徳陵。ぐるりと背後も見て回る。きれいにしてあり、墳丘もよく見える。面があるようにも思ったが、改めてメタシェイプをすれば、多角形かどうかわかりそうにも思った。
◆竹内街道を奈良側に抜ける。當麻寺。中将餅は休んでいました。適当な参拝客で密ではない。門前で昼飯を軽く取り、河内国分に戻る。ブランシェタカギでケーキを買っ て、15時にそなえる。元旦、加古川に戻りながら、母親のところに行くのはやめておいたが、この日は、姉が入浴介護に行ってくれることになっており、ラインでテレビ電話を15時にスタートすることにしていた。前日の元旦に予行演習をしていたわけです。函館方面にも連絡。15:20くらいから小1時間ほど、みなで新年の顔合わせができました。
◆そんな正月を過ごし、3日(日)、息子は東京に帰っていき、わたしも職場に来たところです。
2020年12月30日
◆研究室。今年の年末年始は特別だが、まあ職場に来るのは今日までだろう。さすがに、31、1・2日は来ることはないだろう。昨日は懸案以外は、ほぼ雑用を済ませるので終わった。できるだけ身軽にしておき、年が明けてから、できるだけ集中できる時間を確保するためだ。今日は1日、伏見城に専念しよう。大学史ニュースの原稿は済ませてしまいたいところだが、もうちょい先延ばしにしておこうか。卒論の下原稿1本はざっと見る必要がある。
2020年12月28日(月)、久宝寺地内町を歩く
◆八尾アリオに行く。モンベルでいくつか買うため。そのあと、八尾駅の「河内うどん」。こない だ駅弁で取り上げられていたので。カレーうどんを食うべきでした。そのあと、寺内町歩きをすべく南下。八尾寺内町は八尾の中心部ですね。町屋はあまり残っていません。古い商店街に入り、八尾御坊を通り、長瀬川?のあとの水路を越えて久宝寺に。
◆久宝寺はいいですね。まちなみ資料館もあったが、今日は休館日。久宝寺寺内が蓮如時代に作ら れ(もうちと後か)、1606年だか、真宗が分裂する際に、大谷派が新たに八尾寺内町を作ったのだという。
◆久宝寺は、古い町並みが残るエリアを示す地図がありました。これ、伝建になるのとちがうやろか。久宝寺駅にも近く、規制を嫌うのかもしれないが、久宝寺の古い町並みは、是非ともこれからも維持してほしいもの。
◆そのあと、JR八尾駅まで歩き、渋川神社。JR八尾から柏原、堅下まで歩き、戻ってきた。
◆それから藤井寺に行き、眼鏡を作り、そのまままた柏原大平寺までいき、カタシモワイナリーで、ワインを買って戻ってきました。
◆久宝寺はいいですね。まちなみ資料館もあったが、今日は休館日。久宝寺寺内が蓮如時代に作ら れ(もうちと後か)、1606年だか、真宗が分裂する際に、大谷派が新たに八尾寺内町を作ったのだという。
◆久宝寺は、古い町並みが残るエリアを示す地図がありました。これ、伝建になるのとちがうやろか。久宝寺駅にも近く、規制を嫌うのかもしれないが、久宝寺の古い町並みは、是非ともこれからも維持してほしいもの。
◆そのあと、JR八尾駅まで歩き、渋川神社。JR八尾から柏原、堅下まで歩き、戻ってきた。
◆それから藤井寺に行き、眼鏡を作り、そのまままた柏原大平寺までいき、カタシモワイナリーで、ワインを買って戻ってきました。
2020年12月27日、ZOOM呑み会
◆27日の日曜日の18時から、9月に続き、台北・下関・松山・京都をつなぎ、呑み会をやりました。ホストでしたが、17:30まで仕事をして、帰宅してPCを立ち上げたのは5分前でした。気が付けば10時をまわっていたような。宮崎で買ってきた「千徳」が空きました。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。