人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
2020年11月8日、有松
◆11月7日(土曜日)、18:45に職場を出て、長居で御堂筋線に乗り換え、新大阪に向かう。早く着いたのでドトールで待ち合わせ。20:09のぞみにする(26番線)。
◆1時間で名古屋着。在来線で金山へ。21:30にはホテルに入り、外に呑みに行く。素材屋。日本酒、手羽先、みそ串カツ、サンマの刺身など。
◆テレビのリモコンなし。黒木瞳は久留米か。翌日未明?、ペンシルバニアなどでバイデンが勝ち、大統領にというニュースとなる。
◆11月8日(日)。8時にホテルを出て、北口側のカフェ・ド・クリエでモーニング。名鉄で有松に向かう。8:41の準急で、9時前には着く。駅のコインロッカーにカバンを入れ、カメラだけもって歩き始める。鉄道と平行して走る東海道筋の町。地勢はわからんが、東方の山地側の高台、海沿いの西側も高まっていて、この間が地溝帯のように細く窪んでいて、扇川が流れている。この川はどっちに流れているのだろうか。そこを旧東海道は通っている。
◆旧東海道を南北の新道が分断していて、街並みが東西に分かれている。まず東側へ進むが、まだ店などは開いていないので、桶狭間に向かう。2kmくらいで古戦場公園に着く。途中、大学があり今日はオープンキャンパスのよう。そのあたりが、信長軍が雨の間、今川勢に接近して待機していた場所なのだという。古戦場公園は、公園内で、清州城など、桶狭間にかかわる地点が配置され、ARで戦いの様子を見れるようだが、そこまではぜすに引き揚げ。
◆戻ると、絞りの店なども開けつつある。有松は、東海道53次の池鯉鮒(ちりゅう)宿と宮宿(熱田神宮)の間に作られた町だそうである。米軍捕虜収容所が近くにあったらしく、空襲されなかったとの説明を聞く。有松には3町あり、ある山車小屋の展示室に入る。そのうちのひとつ(いやこれは1世代前の現役でない文化財指定された布袋山車)。そこで絞りの映像を見る。糸を巻く技法(「やたら三浦」「匹田三浦」)、針を入れて絞るものなど。
◆そのあと、有松・鳴海会館という絞り普及のための会館。2階は300円有料。マスクとてぬぐいを買う。作務衣買わず。そのあともいろいろ絞り屋を見つつ、昼飯。「やまと」一期一会。2階。町屋は名古屋近郊で住んでいる人が多く、空き家は少なく、続けているところは絞りを作っている。棚橋というところに展示あり(アフリカ輸出)。中濱屋に入り、昔ながらのやりかたを守っている話を聞く。いまは絞るのは海外で、染めるのが有松で、それを有松絞としているものが多いようで、それへの違和感と、自分らは自分たちで絞ることにこだわってやっているとの話を聞く。お値段がぜんぜん違います。
◆西側に進む。薬屋になっていたところがガイダンス施設。解説ボランティアさんの基地。話を聞いていると、案内をしてくれることに。壊されようとした1軒は、デイサービスとして残された、と。伝建になったのがH28というから2016、比較的新しい。西端に近い〓家住宅が住む人がなくなったものを名古屋市が引き取り、公開している。が、譲り受けたまま荒れていて、入り口付近のみで、座敷には上がれない。公開施設として修理するには多大な経費がかかるのであろう。コーヒーを呑む。
◆有松美術館めぐり?と銘打ち、期間限定の公開をやっていて、「笹加」屋に入る。江戸末期のものなど、この店に残っている古い仕立てられた着物が掛けてある。ず~と解説してくれる。普段は、物販をやっているところだけなのだが、特別公開で脇の入り口を入り、展示を見て、物販のところまで建物内を進む。反物のまま並べてあるところでは、実物を示しながら説明を聞く。途中で母親も顔を出す。手ぬぐいなどを購入して出る。
◆鳴海宿に向かう。途中、左京山。道路が鍵の手になっているところの手前に、ごっつい屋敷がある。緑区生涯学習センターに入ると、明治30年くらいの写真が展示してあった。屋敷が2軒相対していたとか。そのうちのひとつが千代倉という富豪の屋敷だった(今はない)。鍵の手の角に、菊屋茂富という和菓子屋があり、購入。生涯学習センターはその先。
◆鳴海駅から名鉄で有松駅に引き返す。鳴海駅のエキナカのスーパーに立ち寄り、八丁味噌、ふ、みそ煮込みうどん、などを買う。
◆有松でコインロッカーから荷物を取り、名古屋駅へ。近鉄切符売り場に到達したのは16:05くらい。17時の「ひのとり」にする。飲み屋に向かう。刺身、クルマエビ、大あさり。金シャチ(名古屋の地ビール)はなく、三重の地ビール。近鉄の乗り場で缶チューハイと手羽先を買い、17:00発、18:37八木着。目の前に急行。国分19:00前?。
◆1時間で名古屋着。在来線で金山へ。21:30にはホテルに入り、外に呑みに行く。素材屋。日本酒、手羽先、みそ串カツ、サンマの刺身など。
◆テレビのリモコンなし。黒木瞳は久留米か。翌日未明?、ペンシルバニアなどでバイデンが勝ち、大統領にというニュースとなる。
◆11月8日(日)。8時にホテルを出て、北口側のカフェ・ド・クリエでモーニング。名鉄で有松に向かう。8:41の準急で、9時前には着く。駅のコインロッカーにカバンを入れ、カメラだけもって歩き始める。鉄道と平行して走る東海道筋の町。地勢はわからんが、東方の山地側の高台、海沿いの西側も高まっていて、この間が地溝帯のように細く窪んでいて、扇川が流れている。この川はどっちに流れているのだろうか。そこを旧東海道は通っている。
◆旧東海道を南北の新道が分断していて、街並みが東西に分かれている。まず東側へ進むが、まだ店などは開いていないので、桶狭間に向かう。2kmくらいで古戦場公園に着く。途中、大学があり今日はオープンキャンパスのよう。そのあたりが、信長軍が雨の間、今川勢に接近して待機していた場所なのだという。古戦場公園は、公園内で、清州城など、桶狭間にかかわる地点が配置され、ARで戦いの様子を見れるようだが、そこまではぜすに引き揚げ。
◆戻ると、絞りの店なども開けつつある。有松は、東海道53次の池鯉鮒(ちりゅう)宿と宮宿(熱田神宮)の間に作られた町だそうである。米軍捕虜収容所が近くにあったらしく、空襲されなかったとの説明を聞く。有松には3町あり、ある山車小屋の展示室に入る。そのうちのひとつ(いやこれは1世代前の現役でない文化財指定された布袋山車)。そこで絞りの映像を見る。糸を巻く技法(「やたら三浦」「匹田三浦」)、針を入れて絞るものなど。
◆そのあと、有松・鳴海会館という絞り普及のための会館。2階は300円有料。マスクとてぬぐいを買う。作務衣買わず。そのあともいろいろ絞り屋を見つつ、昼飯。「やまと」一期一会。2階。町屋は名古屋近郊で住んでいる人が多く、空き家は少なく、続けているところは絞りを作っている。棚橋というところに展示あり(アフリカ輸出)。中濱屋に入り、昔ながらのやりかたを守っている話を聞く。いまは絞るのは海外で、染めるのが有松で、それを有松絞としているものが多いようで、それへの違和感と、自分らは自分たちで絞ることにこだわってやっているとの話を聞く。お値段がぜんぜん違います。
◆西側に進む。薬屋になっていたところがガイダンス施設。解説ボランティアさんの基地。話を聞いていると、案内をしてくれることに。壊されようとした1軒は、デイサービスとして残された、と。伝建になったのがH28というから2016、比較的新しい。西端に近い〓家住宅が住む人がなくなったものを名古屋市が引き取り、公開している。が、譲り受けたまま荒れていて、入り口付近のみで、座敷には上がれない。公開施設として修理するには多大な経費がかかるのであろう。コーヒーを呑む。
◆有松美術館めぐり?と銘打ち、期間限定の公開をやっていて、「笹加」屋に入る。江戸末期のものなど、この店に残っている古い仕立てられた着物が掛けてある。ず~と解説してくれる。普段は、物販をやっているところだけなのだが、特別公開で脇の入り口を入り、展示を見て、物販のところまで建物内を進む。反物のまま並べてあるところでは、実物を示しながら説明を聞く。途中で母親も顔を出す。手ぬぐいなどを購入して出る。
◆鳴海宿に向かう。途中、左京山。道路が鍵の手になっているところの手前に、ごっつい屋敷がある。緑区生涯学習センターに入ると、明治30年くらいの写真が展示してあった。屋敷が2軒相対していたとか。そのうちのひとつが千代倉という富豪の屋敷だった(今はない)。鍵の手の角に、菊屋茂富という和菓子屋があり、購入。生涯学習センターはその先。
◆鳴海駅から名鉄で有松駅に引き返す。鳴海駅のエキナカのスーパーに立ち寄り、八丁味噌、ふ、みそ煮込みうどん、などを買う。
◆有松でコインロッカーから荷物を取り、名古屋駅へ。近鉄切符売り場に到達したのは16:05くらい。17時の「ひのとり」にする。飲み屋に向かう。刺身、クルマエビ、大あさり。金シャチ(名古屋の地ビール)はなく、三重の地ビール。近鉄の乗り場で缶チューハイと手羽先を買い、17:00発、18:37八木着。目の前に急行。国分19:00前?。
2020年11月3日、展示室オープン
◆10月29日(木)・30日(金)と列品。金曜日は10:30まで展示室に詰め、昼休みも詰め、修論中間 報告会のあとも、展示業者が引き上げる19時過ぎまでつきあっていた。担当の人と感慨深く話をしながら、ながめていました。
◆11月2日(月)、この日、朝の会議を失念していてすっぽかし。午後から最終の調整に展示業者が来る予定になっていて、こちらで製作するレプリカを打ち直して待機。3限の考古学実習を20分早く切り上げて、履修生に協力してもらい差し替えてきた。
◆で11月3日(祝)、開設オープニング式典。関係者のみのコじんまりしたものだったが。朝9時前から紹介の動画撮影。1番バッターで、9時スタートだが少し前に来るように指示を受けていた。概略を話する。使われるのは30秒程度だろう。11時から、学長や同窓会長などによるテープカット、それに続き内覧会。展示業者の方も3人来ていて、「けっこう情報量の多い濃密な展示になった。でも解説文はわかりやすかったですよ」と言ってもらえた。さて、ほんとのミュージアムの話はいつ出るでしょうね(ちょっと考えが違うところもあり)。すぐに次のステップに動き出すようなら、やることになろうが、将来目標として先送りとなれば、やるのは次世代ということになる。
◆11月2日(月)、この日、朝の会議を失念していてすっぽかし。午後から最終の調整に展示業者が来る予定になっていて、こちらで製作するレプリカを打ち直して待機。3限の考古学実習を20分早く切り上げて、履修生に協力してもらい差し替えてきた。
◆で11月3日(祝)、開設オープニング式典。関係者のみのコじんまりしたものだったが。朝9時前から紹介の動画撮影。1番バッターで、9時スタートだが少し前に来るように指示を受けていた。概略を話する。使われるのは30秒程度だろう。11時から、学長や同窓会長などによるテープカット、それに続き内覧会。展示業者の方も3人来ていて、「けっこう情報量の多い濃密な展示になった。でも解説文はわかりやすかったですよ」と言ってもらえた。さて、ほんとのミュージアムの話はいつ出るでしょうね(ちょっと考えが違うところもあり)。すぐに次のステップに動き出すようなら、やることになろうが、将来目標として先送りとなれば、やるのは次世代ということになる。
で明日(2020年10月30日)
◆明日は、9:00から10:30まで展示室。一方で、こちらが作る複製の製作(予算が限られているもんで)。水曜日にPDFは準備した。やっぱり水曜の夜に印刷すべきでしたかね。が、それなりの紙に精細な印刷をしたいので、情報編集室が閉まっているので無理。
◆10:30から修論中間発表会がスタート。昼休みには展示室でしょう。午後は17時まで発表会の続き。この間、展示室では、業者と施主側の大学で検査が14時からだが、立ち会えない。まあこれは事務の人でよし。まだなのが森の宮の屈葬人骨。これは医学研究科の安部先生がならべる。
◆10:30から修論中間発表会がスタート。昼休みには展示室でしょう。午後は17時まで発表会の続き。この間、展示室では、業者と施主側の大学で検査が14時からだが、立ち会えない。まあこれは事務の人でよし。まだなのが森の宮の屈葬人骨。これは医学研究科の安部先生がならべる。
2020年10月30日(金)になりました。
◆いま1時。最近は日が変わるまで仕事をすることはほぼない。まあ12時には寝る。11時に寝ることも。まあ、今日10月29日(木曜日)は大変でした。
◆朝、今日は1人なので、寝てたら7:30。8時には家を出て、鶴橋から歩いて、高齢者大学校の開場に向かう。10時からだが、9時前に着く。明日の修論中間発表会に向けて院生のレジュメを点検し、赤を入れたりして・・・。
◆展示室の現場から電話がかかり、わたしが昨日、人骨を今日のために研究室に持ち込んでいたのだが、それが朝から欲しいと言われ、事務に連絡して開けてもらうように指示。で、高齢者大学校の今年第1回目。早く終わるつもりが、12時近く。鶴橋から電車に乗って、杉本町に向かう。ちょっと1時に大学院演習を始められないとみて、JWESTのWIFIがつながっているので阪和線から連絡(環状線で携帯を忘れる)。また、13時前に展示室にブツを運び込むのを手伝ってくれと考古の院生に伝える。頭がぼけ~としていて、12時には大学に着き、13時までは展示室に貼りつけると、昨日まで錯覚していた。錯覚というより、あまりにも日々が忙しく、金曜日がどうなるか、当日にならないと思いおよばなかったわけ。どうかしてますが。
◆12:45.杉本駅の踏切にいると、むこうに考古の院生2人がおり、昼飯の調達だったのだろうが、そのままUターンして、人骨、弥生土器、須恵器、鋳物師関係資料を展示室に運び込む。モノを開けて、仮置きし、業者に指示をしてと。院演習は13時は無理で13:20スタートと伝えたが、それもまわる。あわてて部屋に戻り13:30スタート、15時まで。この日はそのあと考古学研究会。部屋をのぞくと準備できていたが、ちょっと展示室に行ってくると。
◆行ってみると、仮置きから本格置きになり、個々について、ピンやテグスなどでの固定方法の指示をせよとのことで、ひととおりの指示をしていて、またスタートが遅れる。
◆博物館実習室に戻り、研究会。トイレの考古学。16時前くらいには始めたかな。で、18時から市大日本史学会の委員会。ああ、終わらん。研究会の最後のところまで行かず、18時に抜け、部屋に戻り、ZOOMを開き参加。こんな調子なので、編集の資料は出してないわ、印刷経費を抑えるための対策案を提示するはずだったが、できていない。1週間前には意識していたが、結局、実際にアイミツをお願いしたりするのは直前までできておらず、まとまった話はできなかった。これが2時間たっぷりで、20時。
◆そこから院生2人の中間発表会にむけての指導を1時間強くらいずつやって、22:30。ヤツラは今日は泊まりです。自宅に帰宅したのが0時過ぎ。そこから「すき家」に飯を食いに行き、帰ってきたら1時だった。ちゃんちゃん。
◆朝、今日は1人なので、寝てたら7:30。8時には家を出て、鶴橋から歩いて、高齢者大学校の開場に向かう。10時からだが、9時前に着く。明日の修論中間発表会に向けて院生のレジュメを点検し、赤を入れたりして・・・。
◆展示室の現場から電話がかかり、わたしが昨日、人骨を今日のために研究室に持ち込んでいたのだが、それが朝から欲しいと言われ、事務に連絡して開けてもらうように指示。で、高齢者大学校の今年第1回目。早く終わるつもりが、12時近く。鶴橋から電車に乗って、杉本町に向かう。ちょっと1時に大学院演習を始められないとみて、JWESTのWIFIがつながっているので阪和線から連絡(環状線で携帯を忘れる)。また、13時前に展示室にブツを運び込むのを手伝ってくれと考古の院生に伝える。頭がぼけ~としていて、12時には大学に着き、13時までは展示室に貼りつけると、昨日まで錯覚していた。錯覚というより、あまりにも日々が忙しく、金曜日がどうなるか、当日にならないと思いおよばなかったわけ。どうかしてますが。
◆12:45.杉本駅の踏切にいると、むこうに考古の院生2人がおり、昼飯の調達だったのだろうが、そのままUターンして、人骨、弥生土器、須恵器、鋳物師関係資料を展示室に運び込む。モノを開けて、仮置きし、業者に指示をしてと。院演習は13時は無理で13:20スタートと伝えたが、それもまわる。あわてて部屋に戻り13:30スタート、15時まで。この日はそのあと考古学研究会。部屋をのぞくと準備できていたが、ちょっと展示室に行ってくると。
◆行ってみると、仮置きから本格置きになり、個々について、ピンやテグスなどでの固定方法の指示をせよとのことで、ひととおりの指示をしていて、またスタートが遅れる。
◆博物館実習室に戻り、研究会。トイレの考古学。16時前くらいには始めたかな。で、18時から市大日本史学会の委員会。ああ、終わらん。研究会の最後のところまで行かず、18時に抜け、部屋に戻り、ZOOMを開き参加。こんな調子なので、編集の資料は出してないわ、印刷経費を抑えるための対策案を提示するはずだったが、できていない。1週間前には意識していたが、結局、実際にアイミツをお願いしたりするのは直前までできておらず、まとまった話はできなかった。これが2時間たっぷりで、20時。
◆そこから院生2人の中間発表会にむけての指導を1時間強くらいずつやって、22:30。ヤツラは今日は泊まりです。自宅に帰宅したのが0時過ぎ。そこから「すき家」に飯を食いに行き、帰ってきたら1時だった。ちゃんちゃん。
日本学術会議
◆違和感。憲法第23条「学問の自由は、これを保障する。」。1928年、河上肇、京大経済学部を追われる。1933年、滝川事件・・・、 1940年、津田左右吉の辞職、などなど、そこまでの介入はない。加藤陽子先生も、やりたいことが疎外されている、ということはなかろう。
◆第19条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」。憲法で保障されている思想・信条の自由が守られていない、ということだ。いまの政府に反対意見を述べる、そういう団体に属する、運動をする、それは自由であって、それにもとづき任命を見送るのは憲法違反。なので、理由が説明できない、ということである。
◆第19条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」。憲法で保障されている思想・信条の自由が守られていない、ということだ。いまの政府に反対意見を述べる、そういう団体に属する、運動をする、それは自由であって、それにもとづき任命を見送るのは憲法違反。なので、理由が説明できない、ということである。
2020年10月24日、大県研究会
◆研究会は13時。朝、職場に出勤し、1時間半とにかく前日はメールを一 切見なかったので、その 始末をする(つながりマップなど)。
◆12時に帰宅し(いま阪神高速大和川線が通り、これを使えば25分くらいで行きかえりが可能となっています)、いろいろやって柏原市の資料館へ。3つの遺跡について、具体の鍛冶遺構を画像を示しながら、ひととおり説明を聞くことのできる、まとまった情報をえられる貴重な機会となりました。
◆帰宅後、家の近所で打ち上げをやっているとのメールをもらい、参加する。ちょうどこの日、『広報かしわら』が届いており、大県誕生1300年と銘打ち、見開き2枚、計4頁分にわたって文化財の職員が大県を解説しているのを見ていたところでした。そこにあった画像が右。まず上は、堅下・堅上時代。志紀郡の範囲が、上と下で違いますね。昔、自分が作った図ではどうなってたかな~。いずれまた。
◆で下。堅下と堅上が合体して大県郡にまとめられている。前に河内の郷域比定をした時からのこと。鳥坂郷・鳥取郷・巨麻郷・賀美郷、まあ山のところに4郷もある。そしてカナツヒコ神社・カナツヒメ神社がカリンド畑にある。つまり、6世紀の鍛冶工人は、田辺にも行ったのだろうが、大半はこれら4つの郷に移って鍛冶生産を続けたのではないかと思っている。これは地名辞典レベルの話だが、なかなか実際には鉄滓などが畑からゴロゴロというでもなく、わかっているわけではないのだ。
◆12時に帰宅し(いま阪神高速大和川線が通り、これを使えば25分くらいで行きかえりが可能となっています)、いろいろやって柏原市の資料館へ。3つの遺跡について、具体の鍛冶遺構を画像を示しながら、ひととおり説明を聞くことのできる、まとまった情報をえられる貴重な機会となりました。
◆帰宅後、家の近所で打ち上げをやっているとのメールをもらい、参加する。ちょうどこの日、『広報かしわら』が届いており、大県誕生1300年と銘打ち、見開き2枚、計4頁分にわたって文化財の職員が大県を解説しているのを見ていたところでした。そこにあった画像が右。まず上は、堅下・堅上時代。志紀郡の範囲が、上と下で違いますね。昔、自分が作った図ではどうなってたかな~。いずれまた。
◆で下。堅下と堅上が合体して大県郡にまとめられている。前に河内の郷域比定をした時からのこと。鳥坂郷・鳥取郷・巨麻郷・賀美郷、まあ山のところに4郷もある。そしてカナツヒコ神社・カナツヒメ神社がカリンド畑にある。つまり、6世紀の鍛冶工人は、田辺にも行ったのだろうが、大半はこれら4つの郷に移って鍛冶生産を続けたのではないかと思っている。これは地名辞典レベルの話だが、なかなか実際には鉄滓などが畑からゴロゴロというでもなく、わかっているわけではないのだ。
総合的・俯瞰的
◆みなさん多用しましょう。込み入った説明はする必要がない、「総合的・俯瞰的に」こう決めました、と言えばよい。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。