人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
フォトスキャン測量
◆昨夏、調査区の等高線を例えば10㎝刻みで入れたりするところまでいった。そうなると、もう手測りはやめよかと。むろん、任意点のデータで等高線をPCに書かせるわけでなく、実際の墳丘形状を3D化しているから虚測ではない。1点1点落としていく、あの醍醐味はすてがたいのだが、もしうまくいくなら、情報量的には25㎝コンタに負けないはずである。
◆いきなり200mの前方後円墳はたいへん(だいたいが無謀ですが)。そこで月末に久津川でやってみようと思います。久津川の測量、線路東側の南端部がちょこっとだけ残っていて、それを月末にやることにしている(測量報告もせなあきませんね)。だが、史跡地外の街路、ここも遺構は広がっているし、過去の城陽市の調査区を落とし込むうえでも、周囲を図る必要がある。が、しかし、墳丘とちがって街路の輪郭を測っていくのは面白くもなんともない。
◆それならフォトスキャンでやっちまえ、と。なので、できれば月末の前に、1人行って、周辺をブロックに分けながら写真を撮り、穴がないかどうかチェックしながら、画像そのものは得て、ブロックごとでいいのでマッチングをしてしまう。で、月末に学生らが測量に入る時に、残りを終わらせた後、街路の不動点の座標を20点とか落としてもらえば、あとは内業ということになる。
◆望ましくは、写真を撮りながら、不動点を決めて、写真を撮影する際も、そこは鮮明に見えるよう な画像も撮っておけば、よりよいかな、と。市街地だとマッチング用のマーカーも不要だろう。
◆西陵にむけて、どんなふうに作業をしようかと頭でイメージを作って行っております。で、まず久津川街路で、と。
◆あとはドローン。年末にようやく飛んだのですけど(右写真)。でもまだそこまではいかんな・・・。
◆いきなり200mの前方後円墳はたいへん(だいたいが無謀ですが)。そこで月末に久津川でやってみようと思います。久津川の測量、線路東側の南端部がちょこっとだけ残っていて、それを月末にやることにしている(測量報告もせなあきませんね)。だが、史跡地外の街路、ここも遺構は広がっているし、過去の城陽市の調査区を落とし込むうえでも、周囲を図る必要がある。が、しかし、墳丘とちがって街路の輪郭を測っていくのは面白くもなんともない。
◆それならフォトスキャンでやっちまえ、と。なので、できれば月末の前に、1人行って、周辺をブロックに分けながら写真を撮り、穴がないかどうかチェックしながら、画像そのものは得て、ブロックごとでいいのでマッチングをしてしまう。で、月末に学生らが測量に入る時に、残りを終わらせた後、街路の不動点の座標を20点とか落としてもらえば、あとは内業ということになる。
◆望ましくは、写真を撮りながら、不動点を決めて、写真を撮影する際も、そこは鮮明に見えるよう な画像も撮っておけば、よりよいかな、と。市街地だとマッチング用のマーカーも不要だろう。
◆西陵にむけて、どんなふうに作業をしようかと頭でイメージを作って行っております。で、まず久津川街路で、と。
◆あとはドローン。年末にようやく飛んだのですけど(右写真)。でもまだそこまではいかんな・・・。
地域研究なくして文化財保護なし
◆N大Sさんからメールをいただきました。文化庁の講習会が福岡県であったそうで、2日目のシンポジウムは《埋蔵文化財の保護と地域研究》だったそうです。「地域研究なくして文化財保護なし」ということが確認され、大変重要な記念すべき講習会だったと。「お役人であるが、専門職。専門がいないと、文化財のことはわからんし、それを活用していくのもできない。そして文化財をより深く理解し、総合し、地域の歴史や文化を復元していくこと、それなしに判断や使い方、すなわちこれからの地域づくりも考えられないんだ」、ということ。まずは自分たちがそう自覚することから始める必要があるのでしょう。
文化財専門職員の数
◆亡くなった福岡県の橋口さんが、昔、1万人に1人、といっていたのを思いだす。都道府県にも人がいるので、半分で考えていました。例えば大阪市は人口269万人だそうです。なので134人いるわけです。22万人だったら11人、13万人の市なら6.5人。これが目標です。
閑話休題
◆
できないことを「できる」というのが工学者
できないことを「できない」というのが技術者、
できることを「できる」「できない」というのはオモンナイ奴、だそうです。
◆7掛けも2回続けば5割以下
◆中学受験ごときで、小学校を休んでいるようじゃ、先は知れている。
できないことを「できる」というのが工学者
できないことを「できない」というのが技術者、
できることを「できる」「できない」というのはオモンナイ奴、だそうです。
◆7掛けも2回続けば5割以下
◆中学受験ごときで、小学校を休んでいるようじゃ、先は知れている。
2018年2月6日、定期試験の成績を出して・・・
◆ようやっと月曜の晩に採点はしてしまったものの、翌日、レポート点含め、集計その他、マークシートに転記、提出まで、あほみたいに時間がかかってしまいました。そのあと、ようやく、3月の調査の話を少し進め、あわせて研究費等の残額執行の計画を立てていたら、終わってしまいました。2月9日試問分の修論1本と卒論あと1本が読めていない・・・。
◆働くとは、クリックすることではない。
◆働くとは、クリックすることではない。
2018年2月5日、豊臣石垣の会議
◆が10時から大阪歴博でありました。別に大阪城の整備基本計画?の会議も進んでいて、今年度、来年度でまとめるとのこと。
◆この豊臣石垣の会議、経済戦略局観光部の仕事で、教委もメンバーに入っているという形態。大阪市役所の職員は優秀で、ちゃんと資料を作り説明してくれるが、特別史跡大阪城の展示施設の話が教育委員会主導ではないわけだ。
◆そこが(専門を1人配置しているが)、現状変更や調査に関して教委と相談し、研究所と相談して安全や保存などを相談し、天守閣と展示のことを相談しと、そんなふうにやっているのだろう。むろん事業実施担当部署が別である以上、そうならざるをえないのだが、効率がいいはずもない。他とは異なる違和感を抱き続けてきた。専門+事務職、力をあわせてやってくれればいい、むろんそうしようとしているわけだが、教委が後景にしりぞいている印象。
◆相手にしているのは大坂城、専門で中身のわかっている側が、コンセプトや具体の技術的なところを提案し、そしてそれを計画としてまとめあげ事業を推進する事務方、という姿が望ましいだろう。大阪の魅力を発信していこう、歴史や文化を打ち出していこうとするとき、行政の組織・体制はどういう形がいいのか、そこのところも考えてほしいと最後に発言した。
◆この豊臣石垣の会議、経済戦略局観光部の仕事で、教委もメンバーに入っているという形態。大阪市役所の職員は優秀で、ちゃんと資料を作り説明してくれるが、特別史跡大阪城の展示施設の話が教育委員会主導ではないわけだ。
◆そこが(専門を1人配置しているが)、現状変更や調査に関して教委と相談し、研究所と相談して安全や保存などを相談し、天守閣と展示のことを相談しと、そんなふうにやっているのだろう。むろん事業実施担当部署が別である以上、そうならざるをえないのだが、効率がいいはずもない。他とは異なる違和感を抱き続けてきた。専門+事務職、力をあわせてやってくれればいい、むろんそうしようとしているわけだが、教委が後景にしりぞいている印象。
◆相手にしているのは大坂城、専門で中身のわかっている側が、コンセプトや具体の技術的なところを提案し、そしてそれを計画としてまとめあげ事業を推進する事務方、という姿が望ましいだろう。大阪の魅力を発信していこう、歴史や文化を打ち出していこうとするとき、行政の組織・体制はどういう形がいいのか、そこのところも考えてほしいと最後に発言した。
2018年2月4日(日)
◆とある1日(日曜日!)のお仕事。
◆9:20研究室。城陽講演会のファイル整理9:48。卒論・修論試問の時間割表を貼り換える9:54。卒 論・修論を読む作戦を立てる9:56。8日の大阪府高齢者大学校の資料を送る10:41(改新シンポ1回目そのまま)。明日の豊臣石垣の資料が送られてきていたのでざっと見る10:59。来年度時間割が送られてきているので再チェック。2か所間違っていた。見てよかった。11:13。昨日の新聞をざっとチェックする11:23。大学メールチェック。博士論文の全文リポジトリ関係の庶務委員としての仕事をこなす13:52。大学ミュージアム(資料館)の構想について関係者に投げる14:07。事務仕事ばかりで採点はできません。恒藤の年表を仕上げる14:34。12日の大阪城の表面波探査にいちおう参加すると返事14:39。陵墓関係の書類を作り、運営委員会に送信16:00。某自治体の埋文行政に関するメールを読み、返すなどする16:47。某自治体に関する文書を書く18:18。某自治体の問題で、関係方面に、ちゃんと直接話をしてほしい、とのメールを出す20:34。あ~あ・・・。
◆まあ、こんな調子で、仕事になりませんでした。
◆さらにある方面にメール21:12。明日、午前中いないのでアルバイトへの指示を置いておく21:29。帰ろか、お~外は寒そう・・・
◆9:20研究室。城陽講演会のファイル整理9:48。卒論・修論試問の時間割表を貼り換える9:54。卒 論・修論を読む作戦を立てる9:56。8日の大阪府高齢者大学校の資料を送る10:41(改新シンポ1回目そのまま)。明日の豊臣石垣の資料が送られてきていたのでざっと見る10:59。来年度時間割が送られてきているので再チェック。2か所間違っていた。見てよかった。11:13。昨日の新聞をざっとチェックする11:23。大学メールチェック。博士論文の全文リポジトリ関係の庶務委員としての仕事をこなす13:52。大学ミュージアム(資料館)の構想について関係者に投げる14:07。事務仕事ばかりで採点はできません。恒藤の年表を仕上げる14:34。12日の大阪城の表面波探査にいちおう参加すると返事14:39。陵墓関係の書類を作り、運営委員会に送信16:00。某自治体の埋文行政に関するメールを読み、返すなどする16:47。某自治体に関する文書を書く18:18。某自治体の問題で、関係方面に、ちゃんと直接話をしてほしい、とのメールを出す20:34。あ~あ・・・。
◆まあ、こんな調子で、仕事になりませんでした。
◆さらにある方面にメール21:12。明日、午前中いないのでアルバイトへの指示を置いておく21:29。帰ろか、お~外は寒そう・・・
2018年2月3日(土)
◆夏の現場の時、城陽市歴史民俗資料館友の会の方から講演を頼まれひきうけた。この一番忙しい時期の2月3日は失敗で す。結局、2日の午後から3日の午前まで、これに時間を割かざるをえない。
◆当日、天王寺のスタバで準備をし、ちゃんとした資料はあきらめ、図面だけとし、PDFにしてコンビニに飛び込んだのが12:30。寺田に向かい、14:15には会場につく。久津川車塚の発掘としたが、それだけではもたないかと思い、芝が原とか、西山古墳群とか、これまでしゃべったネタを前にもってきたが、膨大になり、5世紀の話だけに絞る。それでも結局は、設計の話と芭蕉塚の話にはおよばなかった。
◆前方後円墳の割り付けの話は、2017年の6月ごろにやっていた。だいたいのことは覚えているが、細部は忘れかけている。
◆こないだ網野でも、こういう表まではいかないが、墳丘長150歩。後円部径90歩に対し、網野銚子山は後円部が85歩で、後円部背面側で90歩の径より2.5歩短くなる。おそらく前方部の長さを2.5歩分縮め、墳丘長145歩にしている、といった見通しをえた。前に明石市でしゃべった時には、五色塚の場合は、後円部径90歩、前方部を10歩縮め、墳丘長140歩に仕上げていると理解できると判断した。陵山の設計をもとにしながら、個別で仕上がりが異なってくる具体相が、だんだんわかってきている。車塚の場合も、誉田御廟山の設計をもとにするが、300歩を130歩にしての各部寸法はその比率で出るわけだが、実際には後円部半径を39歩にすることはなく40歩としていると考えられるが、こうした複製の具体相を明らかにしたいものである。
◆帰りの電車では、卒論1本を読み、国分に戻り、定期試験の採点の続きをする。全体の半分くらいまでは進んだが、まだ未完。
◆当日、天王寺のスタバで準備をし、ちゃんとした資料はあきらめ、図面だけとし、PDFにしてコンビニに飛び込んだのが12:30。寺田に向かい、14:15には会場につく。久津川車塚の発掘としたが、それだけではもたないかと思い、芝が原とか、西山古墳群とか、これまでしゃべったネタを前にもってきたが、膨大になり、5世紀の話だけに絞る。それでも結局は、設計の話と芭蕉塚の話にはおよばなかった。
◆前方後円墳の割り付けの話は、2017年の6月ごろにやっていた。だいたいのことは覚えているが、細部は忘れかけている。
◆こないだ網野でも、こういう表まではいかないが、墳丘長150歩。後円部径90歩に対し、網野銚子山は後円部が85歩で、後円部背面側で90歩の径より2.5歩短くなる。おそらく前方部の長さを2.5歩分縮め、墳丘長145歩にしている、といった見通しをえた。前に明石市でしゃべった時には、五色塚の場合は、後円部径90歩、前方部を10歩縮め、墳丘長140歩に仕上げていると理解できると判断した。陵山の設計をもとにしながら、個別で仕上がりが異なってくる具体相が、だんだんわかってきている。車塚の場合も、誉田御廟山の設計をもとにするが、300歩を130歩にしての各部寸法はその比率で出るわけだが、実際には後円部半径を39歩にすることはなく40歩としていると考えられるが、こうした複製の具体相を明らかにしたいものである。
◆帰りの電車では、卒論1本を読み、国分に戻り、定期試験の採点の続きをする。全体の半分くらいまでは進んだが、まだ未完。
大阪市の文化財保護
◆以下、個人的めも。すこし議論が進められるようになったか、な?
大阪市には教育委員会に文化財保護課があり、(公財)大阪市博物館協会(2010年(平成22)設立、経済戦略局所管)のなかに4つの博物館と遺跡調査部門である大阪文化財研究所がある。大阪文化財研究所は、1979年に設立された(財)大阪市文化財協会を引き継いだものである。
大阪維新の会の首長となり、大阪府と大阪市の二重行政の解消の検討や都構想の中で、大阪府・大阪市の遺跡調査および博物館運営について統合する検討も進められたが、実現はしなかった。しかし、2013年(平成25)8月にまとめられた『基本的方向性』のなかで、発掘調査業務は、「自治体監理への移行を前提に民間活力の導入を図るなど整理再編を行う」とされた。また「それらの業務を行うにあたっての適正な職員数や組織体制のあり方等を検討する」とされている。
その後、都構想をめざす橋下大阪市長は、2014年(平成26)3月の出直し市長選挙を経て、大阪都構想の協定書をまとめ、いったん否決されたが2015年(平成27)3月に可決される。この動きの中で、2013年度段階の大阪文化財研究所の整理・再編案以前の問題として、都構想における特別区5区案における文化財業務のあり方が検討された。しかし、2015年5月の住民投票で大阪都構想が否決・廃案となり、実現しなかった。
一方、大阪市は博物館を地方独立行政法人化することを以前より国に求めてきたが、地方独立行政法人法施行令が2014年(平成26)2月に改正され、博物館業務が対象に加えられる。博物館の地方独立行政法人化にむけた予算は議決で否決されたため、現状維持で推移してきた。しかし、2017年(平成29)3月に関連予算が可決され、2017年・2018年度の2年間をかけて準備し、2019年(平成31)4月に独立行政法人化することとなった(大阪市立科学館も含める)。これにより、(公財)大阪市博物館協会は2019年3月末に解散することになり、遺跡調査部門である大阪文化財研究所はこのままでは消滅する。しかし、大阪文化財研究所をどうするのかという話は聞こえてこない。
大阪市は、これまで難波宮跡や大坂城跡の半世紀を超える調査をはじめ、質の高い調査を数多く重ねてきた。それは、大阪市が設立した大阪市文化財協会、いまの大阪文化財研究所により続けられてきた40年間にわたる営為である。大阪市域の遺跡調査を担ってきた大阪文化財研究所は、遺跡の把握、調査から整理・報告までの技術や経験、出土資料の保管や活用、普及活動まで、遺跡の調査研究という重要な公的業務を果たしてきた。
大阪市の遺跡について質の高い調査を今後も継続していくことが必要であり、そのためには大阪文化財研究所が培ってきたものを受け継ぐことが不可欠である。2013年8月の『基本的方向性』の謳う民間調査組織の導入は不適切である。一方、経済成長時代の発掘業務の激増に対応して設置されてきた財団法人組織について、いま全国的に行政での実施に切り替えることが進んでいる。それは望ましいことではあるものの、いまの財団職員を公務員化するか、多数の新規採用が必要であり、2019年4月に大阪文化財研究所からの継承・転換を図ることは現実的ではない。
大阪市においては、遺跡調査への対応を今後どのような体制で実施していくのか、埋蔵文化財だけではない文化財保護という重要な公益的業務であることに立脚し、管理・調査・保護活用・普及についての理念をもち、十分な議論にもとづき行政機能や調査組織についての方針をいま確立させる必要がある。公立調査組織の設置がもっとも望ましいが、いずれにしても今後の遺跡調査体制を設計した上で、現在の法人組織を存続させ、移行を図っていくことが合理的で妥当な筋道である。
存続が不可欠と考える大阪文化財研究所をどうするのかを含め、こうした議論がどこまで進められているのか、まったく不明である。大阪市の遺跡を含めた文化財保護の重要な転換点と考えられ、関係部局および組織において十分に議論し、すみやかに適切な方向性を出し、その実現に向けて尽力いただくことを願うものである。さらに、大阪の歴史や文化にかかわる関係部署や組織が連携・協力して、地域の歴史文化遺産を大事にする大阪市民を育み、それを重要な行政課題とする大阪市とすることを、使命として共有し取り組まれることを望む。
大阪市には教育委員会に文化財保護課があり、(公財)大阪市博物館協会(2010年(平成22)設立、経済戦略局所管)のなかに4つの博物館と遺跡調査部門である大阪文化財研究所がある。大阪文化財研究所は、1979年に設立された(財)大阪市文化財協会を引き継いだものである。
大阪維新の会の首長となり、大阪府と大阪市の二重行政の解消の検討や都構想の中で、大阪府・大阪市の遺跡調査および博物館運営について統合する検討も進められたが、実現はしなかった。しかし、2013年(平成25)8月にまとめられた『基本的方向性』のなかで、発掘調査業務は、「自治体監理への移行を前提に民間活力の導入を図るなど整理再編を行う」とされた。また「それらの業務を行うにあたっての適正な職員数や組織体制のあり方等を検討する」とされている。
その後、都構想をめざす橋下大阪市長は、2014年(平成26)3月の出直し市長選挙を経て、大阪都構想の協定書をまとめ、いったん否決されたが2015年(平成27)3月に可決される。この動きの中で、2013年度段階の大阪文化財研究所の整理・再編案以前の問題として、都構想における特別区5区案における文化財業務のあり方が検討された。しかし、2015年5月の住民投票で大阪都構想が否決・廃案となり、実現しなかった。
一方、大阪市は博物館を地方独立行政法人化することを以前より国に求めてきたが、地方独立行政法人法施行令が2014年(平成26)2月に改正され、博物館業務が対象に加えられる。博物館の地方独立行政法人化にむけた予算は議決で否決されたため、現状維持で推移してきた。しかし、2017年(平成29)3月に関連予算が可決され、2017年・2018年度の2年間をかけて準備し、2019年(平成31)4月に独立行政法人化することとなった(大阪市立科学館も含める)。これにより、(公財)大阪市博物館協会は2019年3月末に解散することになり、遺跡調査部門である大阪文化財研究所はこのままでは消滅する。しかし、大阪文化財研究所をどうするのかという話は聞こえてこない。
大阪市は、これまで難波宮跡や大坂城跡の半世紀を超える調査をはじめ、質の高い調査を数多く重ねてきた。それは、大阪市が設立した大阪市文化財協会、いまの大阪文化財研究所により続けられてきた40年間にわたる営為である。大阪市域の遺跡調査を担ってきた大阪文化財研究所は、遺跡の把握、調査から整理・報告までの技術や経験、出土資料の保管や活用、普及活動まで、遺跡の調査研究という重要な公的業務を果たしてきた。
大阪市の遺跡について質の高い調査を今後も継続していくことが必要であり、そのためには大阪文化財研究所が培ってきたものを受け継ぐことが不可欠である。2013年8月の『基本的方向性』の謳う民間調査組織の導入は不適切である。一方、経済成長時代の発掘業務の激増に対応して設置されてきた財団法人組織について、いま全国的に行政での実施に切り替えることが進んでいる。それは望ましいことではあるものの、いまの財団職員を公務員化するか、多数の新規採用が必要であり、2019年4月に大阪文化財研究所からの継承・転換を図ることは現実的ではない。
大阪市においては、遺跡調査への対応を今後どのような体制で実施していくのか、埋蔵文化財だけではない文化財保護という重要な公益的業務であることに立脚し、管理・調査・保護活用・普及についての理念をもち、十分な議論にもとづき行政機能や調査組織についての方針をいま確立させる必要がある。公立調査組織の設置がもっとも望ましいが、いずれにしても今後の遺跡調査体制を設計した上で、現在の法人組織を存続させ、移行を図っていくことが合理的で妥当な筋道である。
存続が不可欠と考える大阪文化財研究所をどうするのかを含め、こうした議論がどこまで進められているのか、まったく不明である。大阪市の遺跡を含めた文化財保護の重要な転換点と考えられ、関係部局および組織において十分に議論し、すみやかに適切な方向性を出し、その実現に向けて尽力いただくことを願うものである。さらに、大阪の歴史や文化にかかわる関係部署や組織が連携・協力して、地域の歴史文化遺産を大事にする大阪市民を育み、それを重要な行政課題とする大阪市とすることを、使命として共有し取り組まれることを望む。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。