人を幸せにする人になろう

西陵2018年3月6日

◆後円部(大澤・上野)、くびれ部(道上・山崎)、前方部(自分11:00まで、阿部・山口)。天気 良好!。撤収18:00。
◆見学者、大阪府教委3名。

西陵2018年3月5日

◆雨には勝てません。少雨なら木の下でいくらかできるかもと出撃するも、とにかく中に入ると暗 く、これではやれません。早々に宿舎に戻る。
◆4日までの成果をまとめてみました。

西陵2018年3月4日

◆後円部班(大澤・吉村)。だいぶ埋まってきました。
◆くびれ部班(道上・木下・山崎)。テラスくびれ部に杭を打ったのですが、上の杭からいけ るところまでやるということで、テラス面に到達してしまいました。まあ平板との違いですね。平板は半径15m程度にしておくべきでしょうが、TCならターゲットが見える限り40mでも飛ばしゃいい。
◆前方部(自分・阿部・上野)。テコ入れに入る。墳頂部の図面を見ると、抜けが3本。しかも測ると、どうも前の等高線がおかしい。がひとまず前面上段斜面をざ~と稼ぐ。テラス肩部まで到達。その後の展開のために杭を3本新設。そのあと、北側面にかかり測量していくと、やはり等高線がずれている。機械高か、ミラー高か、こういうミ  スが大きな時間的ロスとなる。しゃーないから、墳頂平坦面の等高線を低い方からやり直し修正していくと、なんぼだったかで前の等高線と合致した(修正の痕跡が見えるところ)。念のため、さらに検証しておいた方がいいが、前端トップあたりは大丈夫なんでしょう。そうか、機械高を旧標高データを使った可能性がある。約10㎝それでずれたのかも。
◆天気よく、夕方になってもみなやめる気配なく、撤収は18:05でした。

西陵2018年3月3日

◆後円部(自分・大澤)、くびれ部(道上・合田・山崎)、前方部(阿部・松井・上野)。午前中 はよく晴れたが、午後は曇り、夕方に近づくと、TCからのぞくターゲットを探すのに苦労する。前から同じことを言ってますが、発光ターゲットはできないものか。
◆8:00宿舎を出て、撤収は17:25。昼は深日(ふけ)の弁当屋さんから届けてもらうことになる。
◆後円部、だいぶ稼がしてもらいました。テラスももう少し。
◆くびれ部。
◆前方部。

淡輪の朝

◆3月3日、朝、旅館の2階からの大阪湾。海は北、である。この海から紀氏は朝鮮半島に向かい、死 んだ小弓はまたここにもどってきて葬られたわけである。

西陵2018年3月2日

◆参加:自分、道上・阿部・大澤・合田・松井・山崎・テジョン
◆9時前に宿舎に行き、宿泊表をわたす。紀淡の駐車場に行き岬町担当者と会い、現状変更許可の書類をもらう。そのあと杭の位置を教えてもらう。学生・院生ら7人は9:19みさき公園駅着。
◆車を渡堤横につっこみ機材を下ろし、参加者の荷物を積み込む。機材を前方部頂に運び、基準点測量の準備。レンタルTCはねじが径38ミリ(1台)。ターゲットのライカGPR1も同じではない。基準点データが来て、測量を開始。しかし墳丘側から杭2を測り込むと1㎝近く差があり、悩み始める。昼休みの時点ではどこまでいったのだったか。
◆昼は紀淡さん。午後、後円部の上面テラス(=中段テラス=上段裾テラス)P13まで。一方で、前 方部チームは測量を開始する(阿部・松井・テジョン)。最後はくびれ部チームも(大澤・合田・山崎)。これは墳頂部肩の3点のみ。
◆17:40終了。歩いて宿舎にむかってもらう。車で宿に行き荷物を下ろす。部屋に入り作業スペース等のセッティング。19:00夕食。そのあと、基準点の確認、紙割、明日の打ち合わせ等をやって、初日の飲み会。なお、基準点の高さが間違っているとの連絡が入り、換算する。前方部班の初日の等高線はやり直しである。

2018年3月1日(木)

◆第1回卒論演習。
◆この日、業者が基準点測量。大学にレンタル測量機器が届き、機材を積み込む(昼)。チビミラーがなく、あわてて追加発注。2日午前に宿舎に届くよう手配。現地横の中華料理屋の紀淡さんに電話し、駐車場をお願いし了解をもらう。基準点測量は、やはり樹木のためGPSでは墳丘内は無理で、堤に2点を落とすとの連絡が入る。計算し、初日2日の10時頃に座標が上がる予定。

あ~疲れた

◆27日は研究室で徹夜。何をやっとったんですかね。西陵の紙割、久津川のトレース、大歴委員会の処理、エトセトラエトセトラ。朝、2時間ほど寝て、大学史ニュースの原稿を書き始め、気が付いたら10:00をまわり、ありゃ共通教育の追試があった!。あわてて8号館に行く。そのあとは入試採点の総合点検。戻ってきて大学史ニュースの原稿を完成させ、追試の採点をして届け、と。なんとかこなしとります。

倭国王墓は同時代最大規模墳です

◆いまのところ例外はなさそう。
◆と、こう宣言してから、いただきましたご著書、読ませていただきます。ありがとうございました。

西陵の汀

◆前方部側面の汀の葺石。いま満水でなく、50センチ程度は水が引き、斜面の続きが見えてます。摩湯では、この斜面も入れた。
◆汀より上の墳丘本体があり、水際に斜面が続き、転落石がある。その辺を入れて いくのは結構たいへんです。まずは崖端までですが。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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