人を幸せにする人になろう

2018年2月23日、陵墓(四条塚山古墳)立入り観察への参加(2)

◆「おおくぼまちづくり館」、正式名称はこれでした。展示もなかなかで した。ビデオも3本あり、 うち1本の13分のを見ると、洞村移転の概要を知ることができる。神武陵の整備・拡張、橿原神宮の整備拡張、洞村移転、一帯としての整備、これらがわかるようになっているのだが、これ別々でなく、1枚もので変遷がすべてわかる図ができるのに、と悪い癖だが思ってしまう。

2018年2月23日、陵墓(四条塚山古墳)立入り観察への参加(1)

◆2月27日、入試の採点業務も終わり、一息ついている。
◆2月23日、神武陵と洞村の見学。元、ミサンザイ。幕末にふたつの小丘があり、それをコアに神武陵 が作られたのだそうです。そのあと、その西南、畝傍山の東北裾部にあった洞村跡を見学する。100戸を越える大きな村だった。移転前の写真も残っている。
◆その背後の畝傍山山麓に、神武陵のもうひとつの候補であった丸山があるのだが、神武陵の付属地ということで、これは本庁での許可がいるらしく、上がっていくことはできなかった。
◆そのあと「おおくぼふるさと館」に行く。洞村の移転先となった場所にある記念館に行く。明治期に神武陵ができた段階ではそのままだったが、神武陵が拡張整備されていくなかで、それを見下 ろす場所にある洞村が移転することになり、こうした労苦を後世に伝え残す記念館である。元の建物の建築材を切り縮めるなどして移転地に移り、その昔ながらの建物も20年前まではあったようだ。が、なにせ限定された移転地に詰め込まれ道も狭く、20年前に街路を整備しての再開発がなされ、その時にほぼ新しい建物に変わったとのこと。しかし、この記念館のみは元の建物を残し、展示館として開館したものである。

そのあと現地

◆行ってみました。でかい!。また無謀な・・・。210mはでかいですわ。立ち木の関係も、前のイ メージよりもあるな~、と。それなりに小さい常緑樹もあってジャマ。汀付近はかなり繁茂。摩湯でもそうでした。それと恥ずかしながら周囲一回りもしておりませんが、堤側はたいへんそうです。
◆で、後円部墳頂でフォトスキャンの実験用の写真を撮りました。86枚撮影し、大学に戻ってやってみかしたが、あきません。たったの6枚しかアラインされない。久津川のぜんぜんダメを反省して、わりとまめに撮ったのですが・・・。どうだろう、全体の1/8くらいしかできてない、というところか。まあ、それでもできないわけではない、くらいの気休めにはなる。85枚を撮るのに5分程度。画像をみながらまた反省。失敗を繰り返しながら、要領をつかんでいきたい。何より撮り方ですね。天候とか明るさにも影響を受けるので、そこは均質な良質画像を着実に撮影することですね(写真を撮ること自体はそう時間はかからないので)。
◆レーザー測量の時、業者は三脚に取り付けた丸い球を4つとか配置して計測している。今回はピンポールに発泡スチロールの球かキューブを取り付けたもの(直方体の場合はマーカーを貼る)を、マッチングのために使おうと思っている(今日は何もまだない)。そして、本日失敗した墳頂なら、とにかくこの範囲と決めた中央部に1個立て、まわりにも3つとか立て、中心部から螺旋状に写真を撮ってみようと思う。今日は、墳頂平坦面を対象に、肩を動きながら内側に向いて写真を撮ったわけだが、逆をやってみようかな、と。
◆で、トータルスターション3チーム、+オレは写真測量、と考えています。まず初日は、基準点の杭を、3チーム分担でぜんぶ打ってしまう。できたところから本測量。測量は院生にすべて任せる。オレはPCとカメラをもって別に動くかな、と。大型前方後円墳を3台のトータルステーションで測るのは、あの古墳以来だな。とにかく、9日間で、墳丘はすべて終えるのを目標とする。あとはスキャナも持ち込んで、毎日、トレースをしてもらおうかとも思っています。
◆なんで宿泊が必要か理由書を出せ、とお役所的ご下命。さっさと出しときましたが・・・。

岬町に行ってきました

◆2月22日午前。摩湯山の件でFさんと墳丘の話をする。昼過ぎ、岬町に出かける。いくつか確認したい ことがあったのだが、メルアドがわからないので、直接、担当者と話をする方が早いと思い。
◆15時、町道の現場でお会いする。ひとつは基準点測量が間に合わないかもしれないので、任意座標で、国土座標はあとづけでもしゃーないか、と。ただし高さがほしいので、それを聞くのがひとつ。
◆帰ってくると業者からメールが入っており、基準点測量も間に合いそうである。
◆そうそう、3月2日から10日の9日間で、トータルステーション3台(2台はレンタル)、25㎝コンタでやります
◆もひとつは駐車する場所。結局はないみたい。で、国道沿いに中華料理屋があり、毎日、昼はそこで食って、置かしてもらったら、と。いつも見学の際は、線路沿いのところにコソッと駐車しているが、そこの方に挨拶がてらお願いしようと思っていたのですが、難しいような話だったので、そうするほかないかな、と。ちなみに、南海線の南では、国道から折れて入っていく生活道路の拡幅工事中である。いまやっている現場の町道はその延長になるようである。

埴輪がなんとか立体に

◆ひとまずテクスチャーを貼るところまで行きました。オルソ表示にもしました。拡大すると、ハ ケメもいちおう見えます。ライティングでもう少し出るようにする必要があるかな。が、こっから先のことがわからん。

スマホの画像

◆いや~、グーグルアース風のスマホの地図、いじっていると飽きません。画像にして3Dにする と、画像がかなりくっきりキレイ。思わず写真を撮りました(笑)。いったいこのなかに何基の前方後円墳があるのでしょうか。

2018年2月21日(水)久津川車塚に行ってきました

◆3件の用があった。ひとつはものを取りに行くこと。
◆2つ目は、埴輪のフォトスキャン。いまデータを移しております。45枚の写真、38枚がアラインされ、高密度クラウド、まだPCがやっております。
◆そのあと、車塚現地へ行きました。JR複線化の工事が進んでおります(写真)。昨年の西くびれ部上段の トレンチ、埋め戻し土が流れてトレンチ壁面が少し見えています(写真)。なんと かしないといけません。
◆で、そのあと史跡地外の街路の写真を2時間近く撮影してきたのですが、帰ってきてからフォトスキャン合成をやってますが、なかなかうまくはいきません。どうすりゃいいのかな。写真の撮り方なんでしょうね。あんまりコマギレというわけにはいかないし・・・。西陵のフォトスキャン測量が危ぶまれる。トータルステーション3台で、基本、今まで通りでやるしかないか。
【追記】2時間かけて650枚ほど撮影したが、ぜんぶ使えませんでした。あ~あ。

2018年2月19日、東京

◆17日(土)、ついにスマホになる。 
◆19日(月)、朝10時からの打ち合わせが入り、前日18日(日)に東京へ向かう。こだま4時間コースで、論文を読んでいた。息子とメシでも食うかとも思ったが、早々にホテルに入り仕事をするも、夜はだれた。
◆終了後。大阪に向かい、16時過ぎ職場。さて、メールを処理し、明日の最終の準備をしてと。西陵の宿を予約する。

昨年末に撮った写真

◆年末に北海道に行った時、関空から飛び立った飛行機から淡輪の2基を撮ったもの。

文化庁の役割

◆法律改正されるようです。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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