人を幸せにする人になろう

2023年4月1日、宿禰塚

◆今日から、相生市宿禰塚古墳の測量に入る。。 
◆昨日夜、杭打ちプランを立て、紙割りを考えた。平面座標は任意。水準は、1990年の 図(50㎝等高線)のトップ点を使う。平面は、旧図にだいたいあわせて重ねよう。まあそれでよいかと。
◆実際に現場に来ると、やはり墳頂四方に杭がいる。さてと、新規杭のデータを整理しておこうか。まあ初日は、到着した11時前から基準点の測量をやり、まあ順調にすべり出すための杭は設置できた。等高線測量は午後から。でも4時間半はやったかな。2班編成。
◆初日の飲み会をやり、スキャンもトレースもせず。

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◆次は釜塚古墳。石室に入れるわけではない。加布里という、条里の固有里名 というよりサト名なんだ  ろうか、また音をあてた古めかしい地名ですが、その名前の駅の近傍です。市営住宅かなにかの一画にある。5段築成のようになっている。
◆記念写真を撮りました。もう1枚、マスクをはずして撮ったものもあるのですが、肖像権の問題もあり、マスクをしているものとする。

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◆そのあと、一貴山銚子塚。戻りになってますね。30数年ぶり。で、糸島の博物館の図録に、新し い測量図が掲載されていた。
◆前に行燈山型か、としたこともある。後円部がもう少し大きくなると可能性が出てくるが、現時点ではわかりませんね。右くびれ部の、いまの緑の範囲の外の部分も発掘調査してくれれば、一定の復元が可能となろう。

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◆伊都国歴史博物館。3回目くらいかな~。以下、ウィキ。

1987年(昭和62年)7月、「伊都歴史資料館」として開館(旧館建物)。2004年(平成16年)10月29日、前原市の博物館として開館(新館建物)。2010年に市町合併によって前原市が廃止され糸島市が新設されてからは糸島市立の博物館となった。

◆旧館は北向きで、そっちに到達したが、いまは裏口で、南まで、雨の中まわりこむ。やはり平原の迫力はあるわな。それだけでなく井原ヤリミゾとか。三雲の王墓の遺物は、九博、九歴、それからここ、あちこちに分散しているようですね。四葉座金具も、ガラス璧も。
◆そのあと現地。とはいえ雨の中、三雲南小路とか、端山・築山とか、よくわからないまま、平原のみ。で、平原も、ちょっと寂しい。広大な三雲遺跡を史跡にするのは困難だし、また、いまのところ保存されていくだろう田園風景。そのなかにあって、ピンポイントな平原はじめ現地は、博物館にある実大模型をもう1個据えるとか、現地に足を運んでもらうシカケがあってもいいのでは、とも感じる。

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◆そのあと、古代の森会館。菜畠遺跡のところにマツロ館という展示施設があるのですね。知って いれば行ったのに。そこは情報不足。古代の森会館は、かなり開館の古い唐津市の展示施設だろう。
◆開館時期を調べていたら、以下の新聞記事にでくわす。

 「唐津市は1日、鏡地区の歴史資料館「古代の森会館」を廃止する条例案を同日開会する市議会9月定例会に提出する。2023年4月1日の廃止と同時に建物をサークル活動の拠点など社会教育の役割を果たす「鏡公民館」に名実ともに用途変更する内容。可決成立すれば、遺跡の出土品が並ぶ展示室(約240平方メートル)を4月から無料開放するが、一部の展示物は撤去する。
 古代の森会館は1985年2月、合併前の旧市内や東松浦郡の主要な遺跡から出土した石器や土器、装身具、鉄器、甕棺などを集め「市民の学習・研究に寄与する」ことを目的に開館した。」

◆まあ40年近くになり、展示も古くなっているのは確か。で、どうするんでしょうね。マツロ館の方を見ていないので、なんともいえないが・・・。

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◆西九州道というのは、なんかややこしそう。今宿バイパスとか、当面活用区間とか。それはさて おき、浜玉で降り、虹の松原を唐津に向かう。天気は画像のように、薄暗く雨。松浦川の橋を渡ると、唐津城。
◆橋をわたってすぐ、城の南に駐車場がある。そこから道路を渡り、城に取り付き、階段を上がる。藤棚が立派です。樹齢100年を超えているのだとか。天守に入る。500円也。寺沢は2代で断絶なんですね。で、譜代大名が入れ替わり、幕末は小笠原なんだ。長行は有名だが藩主になっていないんですね。台場をやってた時に名前を知るが、唐津藩主の子ながら、継いだのは養子で、長行は世嗣でありながら、老中に なったのですね。
◆唐津くんち、が有名。以下、ウィキ。「毎年11月2日から4日にかけて行われる、唐津神社の秋季例大祭です。笛、鐘、太鼓で奏でられる三ッ囃子や曳子の「エンヤ、エンヤ」「ヨイサ、ヨイサ」の掛け声に乗って14台の豪華絢爛な曳山が勇壮に旧城下町を巡行します。曳山はそれぞれ形が異なり、獅子や兜、亀や鯛)などさまざまな形をしており、和紙や漆、金箔などで仕上げられた世界最大級の乾漆造の美術工芸品となっています。」。だ、そうです。

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◆10時博多集合。が、レンタカーの関係で、地下鉄で六本松駅の集合となる。新幹線を降り、地下鉄空港線の駅ま ではすんなり。が、上り下りのどっちに乗るんだ?という状態。天神から七隈線天神南まで歩くことも、いちおう調べてPDFにしていたものの、よくわかっていなかった。で、スマホのマップで調べると、七隈線が博多駅と直交しているではないか。直接行けるんとちゃう、もしかして乗り場は別なのか?と頭をよぎるが、空港線地下鉄博多駅のホームには何の案内もない。
◆学生らと合流し、天神から天神南駅に行くと、3月27日乗り入れ開始というポスター?があった。惜しい・・・。福岡市営・地下鉄の車両はスケルトンで斬新でした。
◆レンタカー屋では、前の客があーだこーだと長く、いらいら。ようやく手続き。博多駅前乗り捨てにしてもらい、出発。福岡ドーム(いまはペイペイドームというらしい)の辺から高速道路に乗り、西に向かう。

九州旅行おわる

◆学部生3名、院生1名。21日。雨。唐津城、古代の森会館、鏡神社。菜畑・宇木汲田は、雨のためパス。伊都国歴史博物館。平原。三雲をあまりうろうろせず。一貴山銚子塚古墳、釜塚古墳、丸隈山古墳、今宿大塚古墳、若八幡(17時を過ぎ入れず)、山の鼻1号墳。宿。
◆22日。天気よし。鋤崎古墳。史跡有田遺跡、吉武高木遺跡。そこから宗像大社、神宝館。海の道むなかた館(展示施設があって実物ならぶ)。新原・奴山古墳群。宮地嶽神社と、宮地嶽古墳。大野城心のふるさと館。Tさん。九博。大宰府天満宮(学生らのみ)。大宰府跡、そして水城。宿。
◆23日。小雨。那珂八幡古墳。九歴。小郡市埋蔵文化財センター。筑紫野市歴史博物館。春日市奴国の丘資料館と遺跡。福岡城(ちらっ)と鴻臚館。福岡市博物館。板付遺跡と展示館。これにて終了。空港へ1人送り、残りは博多駅へ。予定通り、だいたい17時だった

2023年3月21日、博多にむかう

◆一度延期したのだったか、考古の研究室旅行。朝、6:12発の近鉄急行、新大阪駅の発は711だったか、いま岡山駅に着きます。ワイファイでネットにつながるので、メールを処理した。むろん仕事はあるが、新幹線車中であくせく何かする気がおこらん。24時間、戦わずともよし。

弥生と近つ

◆新期間の指定管理で、乃村が選ばれたのですね。少し前に聞いてはいたが、府センターは降りたということか。 で、学芸員2名の募集をしている。1年雇用の更新、指定管理者制度ではそうなるわな。誰かが行くのであれ、3年、5年先は、なんの保証もないわけだ。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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