人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
2025年8月19日(火)いよいよ開梱・配列
◆学生らは9:30に集合し、考古学実習室1208の整頓
を頼
む。1208の部屋にいると、いろいろ指示してしまう。実際に使う大学院生がいろいろ考えて配置も変えたらいいし、任せることにし、自分の部屋の整頓に戻る。
◆この間、日通さんが、梱包した本をそれぞれ本棚に収めていく。本はすべて入ったが、昨日の続きの書類・ファイルを考えると、すべて本棚に収まらない。そこは、あれこれやりくりし、なんとか。
◆杉本では、机上に簡易な本棚を置いて、直近の重要なものを置いていた。が、新しい居室では邪魔なので置かないことにする。まあしかし本棚を使わないだけで、一段高い窓のところに書類を配列することにする。この日、PCも来て、なんとか杉本状態に復旧させるところまでこぎつけた(写真は8月21日朝)。
◆この間、日通さんが、梱包した本をそれぞれ本棚に収めていく。本はすべて入ったが、昨日の続きの書類・ファイルを考えると、すべて本棚に収まらない。そこは、あれこれやりくりし、なんとか。
◆杉本では、机上に簡易な本棚を置いて、直近の重要なものを置いていた。が、新しい居室では邪魔なので置かないことにする。まあしかし本棚を使わないだけで、一段高い窓のところに書類を配列することにする。この日、PCも来て、なんとか杉本状態に復旧させるところまでこぎつけた(写真は8月21日朝)。
2025年8月18日(月)疲れる
◆この日が荷物の移動日。次々に荷物が届き、3部屋分、置き場所を指示する。一方、教員室では移動してきた本棚の設置、1209の収蔵庫でも移設としたラックの組み立て作業が進む(これができないと明日、モノを配置できないので)。
◆この日の最後の荷物が届き、本日の作業が終わりましたと言ってきたのは17:39。が、自分のデスクトップPCが届かない。これらギリギリまで使い、最後に移動に向けて配線を抜くなどの処理をしたPCなどに、シールを貼り忘れていたようである(アホです)。明日(19日)の朝に電話することにする。
◆写真は朝、研究室から北方を見たもの。天気よく、茨木・高槻背後の丹波山地?を望む。ポンポン山ってどれなんだろう。
2025/8/17そのあと
◆高野山奥の院の駐車場脇の喫茶店で、冷たい飲み物をいただく。革
張りの椅子がとてもいい。そのあと、精進料理の店で話になった、法量のことなる椀を重ねるセットがほしいということになり(名前があった)、黒江に行くことにする。1630頃黒江に着くが、盆休みだった。
◆で義理の弟をホテルに送っていく。で、同じ東口の、めはり屋に行こうということになる。海南方面から和歌山駅に北上していると、
井出商店という人気の和歌山ラーメン屋がある。この交差点をいつ通過しても、店の外にならぶ順番待ちの列が長く続いている。それが、列がない!。暖簾は下がっていつので店はやっている。これはチャンスとラーメン屋に切り替える。うまかった。好みのラーメンですね。
◆この土日は、引っ越しもあり職場に行くことなく、ゆっくりしました。
◆で義理の弟をホテルに送っていく。で、同じ東口の、めはり屋に行こうということになる。海南方面から和歌山駅に北上していると、
◆この土日は、引っ越しもあり職場に行くことなく、ゆっくりしました。
2025年8月17日(日)お墓参り
◆義弟が東京から2泊3日で来ており、カミサンは同窓会に出席した後、
友人宅に泊まり。この日は、義弟の泊っている和歌山駅東口のルートインに930に行く。そこで集合。1時間ちょっとで行ってしまいますね。
◆海南まわりで、まず長谷宮泉福寺さんのお墓参り。草があまり生えていないは暑さによるのか。なおこの墓は一族の墓を移したものなので、カミサンのいとこたちもお参りすることがある。そのあと、高野山に行き、精進料理。あいかわらず欧米人の観光客も多い。そのあと普賢院に。真言宗では、大きな骨壺と小さな骨壺に分け、大きな骨壺の骨はお墓に、小さな骨壺は高野山に納める。
◆予約していなかったが、お盆の読経をしていただき、七回忌の話などをする。それから、いただいた卒塔婆を、奥の院に納めに行く。谷川が境界で、その手前に手水鉢?があり、ずらりと仏さんがならび、卒塔婆を納め、水をかけていく。
◆普賢院、そして奥の院で、河内鋳物師の灯炉というのを考えていた。四天王寺でもそうだが、釣り灯篭を購入?し、名前を書いてもらい、屋根裏に吊ってある。河内鋳物師は、朝廷の「灯炉」供御人となり鉄「灯炉」を納めることになっているわけだが、その「灯炉」とは、この手の釣り灯篭なのか、と。そうだとしても、いまは電気の明かりだが、かつては蝋燭、いや油か?。今のように屋根裏にずらっとならぶ姿ではあるまい。手の届く高さであったはずだ。朝廷の建物のまわりに、屋根裏から釣り下げのための長い鈎が下がっており、そこに鉄「灯炉」が下げられ、夜も明かりがともっている、というイメージ。
◆「灯炉」というと、いまは石灯篭を思い浮かべてしまう。その火を入れる部分が鉄だったというものではないのだろう。要するに平安時代・鎌倉時代と、河内鋳物師が納めた鉄「灯炉」とは、実際どんなものなのか、ということ。こういうの、誰に聞けば教えてもらえるのか。
◆海南まわりで、まず長谷宮泉福寺さんのお墓参り。草があまり生えていないは暑さによるのか。なおこの墓は一族の墓を移したものなので、カミサンのいとこたちもお参りすることがある。そのあと、高野山に行き、精進料理。あいかわらず欧米人の観光客も多い。そのあと普賢院に。真言宗では、大きな骨壺と小さな骨壺に分け、大きな骨壺の骨はお墓に、小さな骨壺は高野山に納める。
◆予約していなかったが、お盆の読経をしていただき、七回忌の話などをする。それから、いただいた卒塔婆を、奥の院に納めに行く。谷川が境界で、その手前に手水鉢?があり、ずらりと仏さんがならび、卒塔婆を納め、水をかけていく。
◆普賢院、そして奥の院で、河内鋳物師の灯炉というのを考えていた。四天王寺でもそうだが、釣り灯篭を購入?し、名前を書いてもらい、屋根裏に吊ってある。河内鋳物師は、朝廷の「灯炉」供御人となり鉄「灯炉」を納めることになっているわけだが、その「灯炉」とは、この手の釣り灯篭なのか、と。そうだとしても、いまは電気の明かりだが、かつては蝋燭、いや油か?。今のように屋根裏にずらっとならぶ姿ではあるまい。手の届く高さであったはずだ。朝廷の建物のまわりに、屋根裏から釣り下げのための長い鈎が下がっており、そこに鉄「灯炉」が下げられ、夜も明かりがともっている、というイメージ。
◆「灯炉」というと、いまは石灯篭を思い浮かべてしまう。その火を入れる部分が鉄だったというものではないのだろう。要するに平安時代・鎌倉時代と、河内鋳物師が納めた鉄「灯炉」とは、実際どんなものなのか、ということ。こういうの、誰に聞けば教えてもらえるのか。
2025年8月18日(月)森之宮に初出勤
◆森之宮の珈琲館。喫煙できるスペースはなくなり、喫煙室が脇にしつらえられていた。8:55に出撃。やはり通用口まで17分でした。いま9:26。部屋に入り、10時まで待機です。途中、教員室をのぞくが、部屋の幅が狭いので、両側に本棚を設置している方が少数かな。多くは片側のよう。わたしは本棚を新規購入せず、杉本から移すことになっており、入り口を入って左サイドに5本、右奥に3本を設置する予定。これ133室の本棚の継承である。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。