人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
2024年11月29日 大仙古墳
◆宮内庁の実施している大仙古墳北西部の工事予定箇所の確認調査の見学に参加した。17学会から42名が参加。過去2回の内堤の調査には参加していない。これは残存状況確認のためであったが、今回は従来の工事計画を立てるための調査。計7か所の調査区があった。
◆写真は中堤の外側、つまり手前は第3濠である。堤の斜面が2段になっているのがなんとなくわかるでしょうか。下が本来の堤で、上が後世のかさ上げであることが判明した。それは、1か所の調査区で深く掘り込んで、上の2mがあとからの盛土であることが確認されたので。ここで検出された地山面、つまり残存する堤の高さは、中堤内側の第2濠の水面に近い。で、写真に戻ると、汀に葺石材が多数集積しているのが見えますね。
◆で、この手前の第3濠だが、渡り土手調査区での直交方向の壁面から、濠底を掘り下げている様子がよくわかった(写真は出しませんけど)。
◆で、今回4か所掘っているのは、さらに外側の、第3濠の外側斜面。つまりは宅地や道路との境界に面した斜面である。うち1か所では、ゆるゆると上がる地山を確認。濠側の裾では葺石かもと残している石が4石ほど。別のトレンチでは転落した埴輪片がまとまってあり、外縁に埴輪を立てていたと考えていいのではないか。
◆写真は中堤の外側、つまり手前は第3濠である。堤の斜面が2段になっているのがなんとなくわかるでしょうか。下が本来の堤で、上が後世のかさ上げであることが判明した。それは、1か所の調査区で深く掘り込んで、上の2mがあとからの盛土であることが確認されたので。ここで検出された地山面、つまり残存する堤の高さは、中堤内側の第2濠の水面に近い。で、写真に戻ると、汀に葺石材が多数集積しているのが見えますね。
◆で、この手前の第3濠だが、渡り土手調査区での直交方向の壁面から、濠底を掘り下げている様子がよくわかった(写真は出しませんけど)。
◆で、今回4か所掘っているのは、さらに外側の、第3濠の外側斜面。つまりは宅地や道路との境界に面した斜面である。うち1か所では、ゆるゆると上がる地山を確認。濠側の裾では葺石かもと残している石が4石ほど。別のトレンチでは転落した埴輪片がまとまってあり、外縁に埴輪を立てていたと考えていいのではないか。
『温故知新』8
◆1979年11月27日発行の、高校時代の地歴考古学クラブのいまでいうニュースレター『温故知新』が出てきた。このB4両面ガリ版刷りの現物は、この世に何枚残っているのだろうか。画像を出している表は粟津遺跡の調査の記事、裏面は山崎城の石垣等の発掘調査の記事になっている。とはいえ、ここに書かれている高校1年時の2か所の発掘調査には参加していない。軟式テニス部に入っていたので。同じクラスのY君が考古学クラブの唯一の高1の部員で、こっちが考古学に興味をもつことを知り勧誘され、結局はテニス部をやめ考古学部に入ったのが、この11月頃だったんだろう。この学年、高2になった段階で、同級生新部員が5人くらい加わることになる。
◆で、2年生の夏に長尾タイ山古墳群の発掘に行くことになる。年明け1月には前期前方後方墳の経塚山古墳の測量をやったと記憶する。
◆森之宮移転にむけて、少しずつモノを少なくしている一環でした。
◆で、2年生の夏に長尾タイ山古墳群の発掘に行くことになる。年明け1月には前期前方後方墳の経塚山古墳の測量をやったと記憶する。
◆森之宮移転にむけて、少しずつモノを少なくしている一環でした。
で塚森古墳の調査
◆この記事、ある程度書いたのにデスクトップPCがクラッシュ。このPCも怪しいか?。
◆で塚森古墳。こっちは基準点測量をやり、塚森古墳の原稿担当のK君に、墳丘周囲の図面のチェックをまずしてもらう。周囲の図面はぜんぶわたしが書いたが、K君がトレースするのに、よくわからないところがあるというので、畔やら水路やらについて、トレースできるよう図面に追記や注記をしてもらった。原図として失格ですね。その点検に午前いっぱいかける。こっちは、基準点測量を終え、ボーリング地点を落とすのに適切な測量基準点にマシンを据えて、先行的にボーリングをやってみた。その感触では小方部はなく円墳ではないか、と思われた。
◆そして午後、こっちはトータルステーションの読み手にまわり、K君にボーリングとその位置落としをすべて任せる。合計、放射方向に6測線。ボーリングは、経験してみないとどんなもんか、わかりません。耕土が30㎝くらいあって床土が固い。しかしそれは抜ける。その先、周溝堆積のあるところでは、す~と落ちていく。むろんそう思ってはいるのだが、実際のところはわからないという面もある。
◆まあこれでやれることはやった。それにもとづき今書き込むことができる記述をすればよい。
◆で塚森古墳。こっちは基準点測量をやり、塚森古墳の原稿担当のK君に、墳丘周囲の図面のチェックをまずしてもらう。周囲の図面はぜんぶわたしが書いたが、K君がトレースするのに、よくわからないところがあるというので、畔やら水路やらについて、トレースできるよう図面に追記や注記をしてもらった。原図として失格ですね。その点検に午前いっぱいかける。こっちは、基準点測量を終え、ボーリング地点を落とすのに適切な測量基準点にマシンを据えて、先行的にボーリングをやってみた。その感触では小方部はなく円墳ではないか、と思われた。
◆そして午後、こっちはトータルステーションの読み手にまわり、K君にボーリングとその位置落としをすべて任せる。合計、放射方向に6測線。ボーリングは、経験してみないとどんなもんか、わかりません。耕土が30㎝くらいあって床土が固い。しかしそれは抜ける。その先、周溝堆積のあるところでは、す~と落ちていく。むろんそう思ってはいるのだが、実際のところはわからないという面もある。
◆まあこれでやれることはやった。それにもとづき今書き込むことができる記述をすればよい。
2024年11月24日 塚森古墳
◆今年度、われわれのやった宿禰塚古墳と塚森古墳の測量調査の報告が相生市で予算化され、院生らの分担を決め、このあいだ、第1回の読み合わせをやった。
◆このため、宿禰塚古墳については、図面合成や世界測地系への変換を再度チェックして微修正をしたりした。が、塚森古墳の方は、そもそも国土座標に位置付ける測量が残っていたので、ついにやらざるをえず、24日に出撃することにした。塚森古墳は帆立貝で小方部が削平されているとみられるものだが、読み合わせをしていると、そのへん、まったく手がかりがないので記述のしようがない。で、国土座標への変換のための測量に行くのだから、ついでに帆立貝の小方部を確かめるボーリング調査を組み込むことにし、前日に相生に入り、朝から動くことにした。
◆朝、まずは宿禰塚古墳に立ち寄り、読み合わせ時にチェックが必要と考えられた点、テラス面の状況や葺石の有無についての確認に行く。
◆このため、宿禰塚古墳については、図面合成や世界測地系への変換を再度チェックして微修正をしたりした。が、塚森古墳の方は、そもそも国土座標に位置付ける測量が残っていたので、ついにやらざるをえず、24日に出撃することにした。塚森古墳は帆立貝で小方部が削平されているとみられるものだが、読み合わせをしていると、そのへん、まったく手がかりがないので記述のしようがない。で、国土座標への変換のための測量に行くのだから、ついでに帆立貝の小方部を確かめるボーリング調査を組み込むことにし、前日に相生に入り、朝から動くことにした。
◆朝、まずは宿禰塚古墳に立ち寄り、読み合わせ時にチェックが必要と考えられた点、テラス面の状況や葺石の有無についての確認に行く。
2024年11月23日 大阪の歴史演習
◆今年度から科目担当ではなくなる。担当は近世史のSさん。なので授業としては、1回分の現地見学をもつのみ。
◆河内国分13時集合。玉手山に上がる時間的余裕はなく、国分の旧道を歩いて松岳山古墳に行き、対岸に移動して高井田横穴と高井田山古墳、最後は資料館というコース。今年は資料館に連絡し、横穴のガイドをお願いし、鍵を開けてもらい、横穴のなかに入ることができました。館長さんにたいへんお世話になりました。
◆古墳を見てもらうのが趣旨だが、資料館の企画展では大和川の付け替えの展示をやっており、みなさん、これについても興味深く見入っていた。15:30終了予定が16時過ぎとなり、解散する。
◆そのあと相生へ移動する。
◆河内国分13時集合。玉手山に上がる時間的余裕はなく、国分の旧道を歩いて松岳山古墳に行き、対岸に移動して高井田横穴と高井田山古墳、最後は資料館というコース。今年は資料館に連絡し、横穴のガイドをお願いし、鍵を開けてもらい、横穴のなかに入ることができました。館長さんにたいへんお世話になりました。
◆古墳を見てもらうのが趣旨だが、資料館の企画展では大和川の付け替えの展示をやっており、みなさん、これについても興味深く見入っていた。15:30終了予定が16時過ぎとなり、解散する。
◆そのあと相生へ移動する。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。