人を幸せにする人になろう

風が強まり波高く

◆小野津の集落へ下りて行ったが、風が強まり、白波が海岸に押し寄せている。北端をまわり、灯台に行き、平家上陸の地に行く。壇ノ浦の後、平資盛以下約200名が、奄美大島などに渡る前に喜界島(志戸桶集落)に最初に上陸したという。

ムチャカナ公園

◆ムチャカナの話はネットで調べてみてください。母親は喜界島にたどりつき、娘は突き落とされて、奄美に遺体が流れ着いたんですね。とはいえ、これもネットで読んだひとつで、説話にはいろんなバリエーションがあるよう。

サトウキビの一本道

◆喜界島では著名なビューポイントである。

埋蔵文化財センター

◆2回目の訪問である。展示室は1室であるが、城久遺跡以外を含めた、喜界町の遺跡調査でわかってきたことをまとめている。
◆圃場整備事業がずっと続いているようで、あちこちで工事現場を見た。これにより遺跡の調査もけっこう大変なようである。サトウキビという、この島を成り立たせている重要産業の環境を整えることは重要であるが、遺跡の保存とを両立させてほしいものである。

城久遺跡

◆前に来た時、国史跡にはなっていなかったが、遺構表示をしている場所を、1か所、見た記憶がある。
◆その後、国史跡となり、この看板も新しい。歴史民俗資料館には、遺跡の紹介はあるが、まとまった展示スぺ―スを設けるところまではいっていない。出土品を見るには、埋蔵文化財センターに足を伸ばすのがよい。いずれまとまったガイダンス施設なども設けてほしいものである。

サトウキビの刈り入れ

◆いまちょうど刈り入れのシーズンなだそうです。3月・4月までが忙しい時期になる。刈り入れては、黒糖の工場に運び込まれる。
◆傾いたようなサトウキビも、このマシンで刈り込み、軸部以外は吐き出され、軸部は数10センチほどの長さに切断され、大きな収穫袋に詰められ、それを回収するトラックが走り回っている。

ところでソテツが

◆奄美大島ではソテツが、害虫の影響で壊滅しているらしい。奄美空港やあやまる岬などに植えられているソテツはすべてやられていた。ここ俊寛の銅像のところで、虫にやられたソテツがあったので、画像を出しておきます。これはまだ葉がやられて枯れる途上であるが、奄美大島ではほぼ葉はなくなり、ソテツの葉の独特の姿がほぼ失われてしまっている。

俊寛の墓

◆再訪した。説明文を読むと、昔から俊寛の墓と言い伝えられ、それを発掘し、遺骨等も見つかり、古代学協会?が、それらにより背格好などを復元し、それにもとづき銅像を作った、といった説明があった。流されて数年後には亡くなったようである。
◆俊寛が流された鬼界島の候補はいくつかあるようだ。が、ここ喜界島とみるのが妥当かなと、昔、Tさんの卒論で城久遺跡のことを知り、思ったことを記憶する。大宰府が、南海産の夜光貝の獲得に関与し、奄美大島ではなく喜界島に出先を置く(これが城久遺跡)。そういう目の届く場所にこそ、流刑地として犯罪人を島流しにするんだろう、と。とはいえ、硫黄島というのが有力だそうです。

軍関係の遺跡

◆ガイドブックに、市街地近くのよく残っている掩体壕などが数か所出てくる。が、もっともっといろんなものが山中に残存しているらしい。文化財側は把握しているようだが、それを見どころとしては打ち出していないようである。戦争遺跡をどこまで文化財として扱うか、あるいは別枠で扱うか、なかなかに難しいところです。
◆戦後80年、コンクリートも劣化する。文化財とすれば、とたんに補修も必要となる。画像のものは公開施設としているひとつ。喜界町として、中には入れないようにして、戦争関係の遺産として管理しているようである。

享保期の検地帳

◆阿伝村の検地帳があるではないか。こういうのが作成されているのですね。薩摩からは代官が派遣され、地元では何とかという役職が置かれる。そういう南島が、薩摩藩の流刑地にもなる。奄美大島には、西郷さんが流され住んでいたところが残っている(足を伸ばさなかったが)。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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