人を幸せにする人になろう

番所庭園

◆番所庭園は2回目かな。前は和歌山の両親と一緒に行った。雑賀崎のなんとかの鼻という、最も突出したところを民間が所有しており、風光明媚な場所をいかし庭園整備をしたもの。ここは実は紀州藩のお台場跡で、大歴で特集を組んだ時に勉強した。遺跡なんだが、庭園になり、埋蔵文化財あるいは史跡としてはどうなん?という物件だが、ひとまず土塁等の遺構が保存されているならそれでいいとも思うが、やはり庭園としての整備のよる遺跡への影響があるのではないか、な。
◆今回行ってみて驚いたのは、駐車場満杯、人がわんさかいること。GW前半で、しかも天気はすこぶるよく、出かける人が多い日であることは間違いないが。でも、その時にでかける先にここが選ばれているわけである。訪れる多くの人は、お台場を見にきたわけでなく、景色やら庭園を楽しむ、またバーベキューをやるために行っている。1日8000円で、場所を貸してバーベキューができるようになっている。まあとにかく、新たな観光名所としてすっかり定着したことに驚いた。

2024年4月27日と28日

◆この土日は、カミサンの和歌山の実家の件で、義弟が東京からやってくるので、2日とも付き合う。27日の土曜日は、午後、海南駅で「くろしお」に乗ってくる義弟と待ち合せ。そこから海南市の親戚の家に行き話をする。この日はそれくらいで、国分に戻り、家に泊まってもらう。
◆翌日は11時にやはり海南市で待ち合わせの用があり、そこへ赴く。用事が終わってから黒江に昼飯を食べに行き、そのまま町あるき。漆器を見て、日本酒「黒牛」を購入。そのあと帰りの特急の時間にはまだ時間があるので、雑賀崎の番所庭園に行く。1530過ぎに義弟は帰って行った。われわれは帰ってきて、晩御飯を作るのもめんどうなので、スーパーで刺身などを買い、「黒牛」を飲む。
◆あれ、番所庭園の写真、撮ったはずだが、ない(そうか一眼レフか、家だ・・・)。

ちと戻るが還暦の冊子から

◆還暦パーティーをやってもらってから1月以上が経過してしまいました。集まっていただいたみなさんにお礼をしないといけないが、そのままです。
◆この時、奄美方面の工房で作成された冊子が1冊おいてあり、びっくりした。表紙が大学2年生の時の鳥取での写真!。これ限定1冊。
◆そのなかに、自分の撮影でない久津川の打ち上げ写真があって、とってもいいのがあるので、出しておきます。これ渡り土手の時かな~。

2024年4月21日、津山洋学資料館

◆この土日、岡山で考古学研究会が開催されていたが、行かないことになった。21日は大歴の現地見学検討会が重なって設定されていたので、岡山に行かないならこっち、と考えていた。
◆が、ある原稿を仕上げないといけないので、それをやっており、20日、丸1日やっても終わらず。仕方なく、21日もそれにあてることになり、検討会にも行けず。池淵さん、ごめんなさい。
◆で21日、中国道でカミサンを三田に送っていると、そのまま津山に行き、午後に戻って仕事をしようということになる。10時くらいには津山に下り立つ。目的は洋学資料館を再度訪れようというもの。
◆宇田川玄随―玄真―榕菴―興斎、そして箕作阮甫―秋坪という、津山の洋学者を再度学ぶ。ようやっと、頭に定着したか。
◆午後、原稿を続けるも終わらず、月曜日も・・・。最終的にできあがった日時は言わないでおこう。

大阪公大日本史

◆毎年の報告です。今年はとくに危ない状態でした。青の校了を見てもらうと、いかにこの2週間、これに忙殺されていたか、わかっていただけると思います。本日、17時過ぎに校了しました。おかげで、自分の論文は書いていません。

神戸海軍操練所の遺構

◆新聞記事で知りました。記事からは壊すという話ではなさそうなんですが、現場は見れるのでしょうかね。とっくに終わっている?

最後は燕市産業史料館

◆長岡から高速道路で新潟方面に戻り、燕市産業史料館に行く。ここで新潟大学の先生も合流する。展示もあったが見ず、子供がいるので体験コーナーに直行する。三条と燕は、ともに金物で発展したようだが、仲が悪いのだとか。新幹線の駅は燕・三条、高速道路のインターチェンジは三条・燕。
◆体験コーナーでは、小1の子がスプーンのメッキ、小5の子が錫の皿の成形。われわれ夫婦は銅製マグカップのタタキ。
◆そうこうするうちに、帰りの電車の時間が近づき、まだ上のお姉ちゃんが錫の皿の仕上げをしているなか、われわれは抜けることにする。
◆弥彦神社や山屋古墳なども行きたかったところ。また、豪農の屋敷にも行きたかったが、ちゃんと調べておらず、また次ですね。とにかく新潟は広大で簡単にはまわれません。桜が満開の行楽日和でした。ああ、桜の写真を撮っていない・・・。

長岡市立科学博物館

◆次に長岡市立の科学博物館に行く。1946年にできたというからすごい。いまは市役所と文化ホールなどの公共施設がかたまってある場所にあるが、最初できた時は違うところだったらしい。県内第1号の登録博物館だそうです。植物・昆虫・鳥獣そして考古の4研究室で出発し、いまはもっと部門が増えています。
◆長岡藩の殿様は牧野というのだそうです。別途、牧野家史料館が、同じ建物の上階にある。長岡の城はいまの駅あたりだそうで、ほとんど地上遺構は残っていない。
◆この長岡藩、戊辰戦争時にやられ、城下も焼け、牧野家史料館の展示では、そこからの復興のことや、近代に活躍した人物を取り上げた展示がよかった。米百俵の話が有名なんですね。戊辰戦争後、支藩から米百俵が送られたが、領民に配らず、金に換え、それで学校を建てたという話。復興そして発展を支えるのは人だ、だから学問だというわけです。幕末以降の26人を取り上げた冊子を無料で配布していました。たしかに人材を輩出している。戦後すぐに博物館を立てたのも、長岡という城下町で育まれた学問や文化を背景とするのでしょう。

2024年4月14日、新潟県立歴史博物館

◆翌日、レンタカーを借り、新潟大学の先生のご家族とでかける(先生はこの日の大学でのセミナーに出席)。このご夫婦とは、インターラッドのスペインでの学会でご一緒し、われわれ夫婦と奥さんとは、セビリア観光に一緒に行って以来のおつきあいです(カミサンはその前からか)。大阪に来られた時に飲みにも行きました。その後、子供を2人出産され、上の女の子が小5、下の男の子が小1になっています。
◆家の近くの最寄り駅で集合し、奥さんと子供2人を乗せて、長岡の県立歴史博物館に向かう。
◆開館の930の10分前に着き、入り口で開くのを待つ。すぐ横には縄文の国史跡があって展示施設もあるようだが、立ち寄りませんでした。
◆県立博物館は、考古系としては縄文が特別に部屋があって、火焔文土器がずらっとならんでいました。面白かったのは、雪国の暮らしが展示の柱のひとつになっており、大阪の住まいのミュージアムのように、雪が2階の高さまで積もっている村の様子を再現しているもの。写真ではわかりにくいですね。家の本体があり、軒があって、そこは冬に通路として歩けるような造りになっており、道の中央部は、うずたかい雪の壁になっている。

2024年4月15日 網野銚子山をドローン撮影

◆3月の委員会での議論。2024年度は整備はサインの設置くらい。墳丘の傷みを補うなどの整備工事は基本的に23年度で完了し、いまがいちばん状態がいいと。この機会にいい写真を撮っておけ、という話。ドローンの話は自分だっかた。
◆京丹後市にドローンを貸し出したことがあり、その提案に対し、今度も機材を提供するから撮ってはどうかと、会議では話をする。が、自分でやってみたいと思い、4月はじめあたり行くかもと、会議の帰り際に伝える。とはいえ時間はなく、「草が生えてきました~」という催促を受け、4月15日に行くと。
◆10時に現地に行こうとするも、やはり片道3時間はかかりますね。
◆思い出しつつやるも、なかなかうまくいかない。風も強く、いい静止画・動画は撮れなかった。20分飛ばして1時間充電というのを4回やったが・・・。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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