人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
今西家住宅
◆豊中市のホームページから。
◆寿永2年(1183年)豊中市の桜井谷・原田・小曽根・服部・穂積の一帯に広がる摂関家の荘園「垂水西牧(たるみにしまき)」が奈良春日社に寄進されたのを契機に、社家の中から現地管理をおこなう目代(荘官)として、また南郷春日神社の祭祀を司るため下向した今西氏の屋敷です。
現在も今西氏が居住する屋敷地は、かつて外堀をめぐらした方2町(約216m四方)の範囲があったとされ、その中央に南北1町(108m)、東西半町(54m)の居宅を構えるものです。発掘調査でも、その堀跡などの遺構が各所で確認されています。
現在、屋敷地には宝永8年(1711年)建築の主屋、延享3年(1746年)に奈良春日社の若宮社殿を移築した南郷春日神社本殿があり、伝来する膨大な中世文書からも当時の様子が総合的に復元できる貴重な史跡として国の指定を受けています。
◆800年以上住み続け、いまも居住している、すごい家ですね。こんなの、全国にどのくらいあるのだろうか。
◆寿永2年(1183年)豊中市の桜井谷・原田・小曽根・服部・穂積の一帯に広がる摂関家の荘園「垂水西牧(たるみにしまき)」が奈良春日社に寄進されたのを契機に、社家の中から現地管理をおこなう目代(荘官)として、また南郷春日神社の祭祀を司るため下向した今西氏の屋敷です。
現在も今西氏が居住する屋敷地は、かつて外堀をめぐらした方2町(約216m四方)の範囲があったとされ、その中央に南北1町(108m)、東西半町(54m)の居宅を構えるものです。発掘調査でも、その堀跡などの遺構が各所で確認されています。
現在、屋敷地には宝永8年(1711年)建築の主屋、延享3年(1746年)に奈良春日社の若宮社殿を移築した南郷春日神社本殿があり、伝来する膨大な中世文書からも当時の様子が総合的に復元できる貴重な史跡として国の指定を受けています。
◆800年以上住み続け、いまも居住している、すごい家ですね。こんなの、全国にどのくらいあるのだろうか。
池田城にはじめて行く
◆池田氏は、最後は家臣の荒木村重に実権を握られ、村重は池田を廃城として伊 丹に有岡城を新た に築城する。この池田城、猪名川から見ると、とてもよく目立ちます。いままで池田に行くことは何度もあったが、行かなかった。公園として整備され、発掘調査がなされ遺構が確認され表示もされている。しかし、それとは別に南西部に櫓が建てられている。1階部分に簡単に池田氏と池田城の説明があるが、あまりリキは入っていない。資料館の展示面積が限られるなか、池田のマチの出発点となった、池田市・池田城の歴史を、この建物でしっかりやってほしいもの。
◆池田市の実情はわからないが、最後に面白いパネルでの説明文があったので、示しておきます。この櫓、白壁・瓦葺の外郭塀、目の前にある庭園、これらはすべて池田城になかったツクリモノということである。市としては、城なんだから城らしくという、文化財保護部局とは別の市長部局の要請に押し切られたんでしょうね。
◆池田市の実情はわからないが、最後に面白いパネルでの説明文があったので、示しておきます。この櫓、白壁・瓦葺の外郭塀、目の前にある庭園、これらはすべて池田城になかったツクリモノということである。市としては、城なんだから城らしくという、文化財保護部局とは別の市長部局の要請に押し切られたんでしょうね。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。