人を幸せにする人になろう

黒糖の生産

◆サトウキビ生産量の鹿児島県第1位は徳之島だったか。第2位が種子島、次いで沖永良部と喜界島がほぼ並ぶ。
◆喜界島は石灰岩で水はけがよすぎ、地下ダムというのが作られている。江戸期以来の黒糖生産の道具類が、歴史民俗資料館にならぶ。ノロというのも、琉球王国に組み込まれ、間切による支配が行われて以降のものだという。

2025年12月25日(木)喜界島

◆翌日は喜界島。名瀬から奄美空港に行き、喜界島行き9:35の飛行機に乗る。この飛行機に乗るまでにひと悶着あったが、まあそれはよし。前に喜界に行ったのはいつだったろう。10年前くらいか。Tさんが喜界町の埋文職員となり、テクズク遺跡を掘っていた時のこと。たぶんGWの頃だったんだろう。黒糖焼酎が終わった時期だった。
◆飛行機は15分から20分程度。飛んだと思ったら着陸する。レンタカーを借りる。前来た時の記憶で、見学先のメモを作っておいた。まずは歴史民俗資料館に行く。いまは絶滅した最後の喜界馬の剝製が出迎えてくれる。これは記憶にある。2つの展示室を見る。自然・民俗・歴史・文化、けっこう頑張って展示していると感じる。

2025年12月24日名瀬で

◆この日は博物館まで。Tさんは子供を保育園に迎えに行くので自宅で降ろし、ホテルに入る。そのあとご夫婦で1歳の子供と一緒に、ホテルに顔を出してくれる。お茶で歓談。
◆そのあと、飲みにでかける。纏(まとい)というところに入り、カウンターで楽しく飲みました。長命草の天ぷらとか。これらの写真はスマホで撮っていると思うので、またのちほど。

痛恨の日

◆まず1945に沖縄とともに本土と切り離され、アメリカ統治下に置かれる。1951年から復帰運動が激しくなる。同年の1951年にサンフランシスコ講和条約で、第3条として奄美は琉球や小笠原とともに返還対象に含まれなかった。この講和条約が発効し、日本本土が再び独立国となった1952年4月28日が、奄美にとって「痛恨の日」となる。
◆本土復帰の運動が高まるなか、翌1953年にダレスが奄美を変換する声明を発表、正式に変換されたのが12月25日(今回たまたま奄美群島に滞在することになった)。
◆詳しくは正確なことを調べないと、デリケートな問題なので危ない。奄美は鹿児島県であり、琉球とは違うという意識があったのかもしれない。とはいえ、それは17世紀以降の話で、その前は琉球国の領域であった。そして、その前は琉球でも日本でもなかったわけだ。
◆展示リニューアルしたガイドブックである本を購入したので読んでみよう。

苗字1字

◆ちゃんと解説文を読まないといけませんね。薩摩が2文字を禁止したようなことが、画像の上に書いてありますね。とにかく、奄美には1文字の人がいっぱいいるわけです。
【追記】江戸時代の建前では奄美は琉球国。なので、薩摩藩は統治のために現地の村役人を置き苗字を名乗らせるが、その際、中国姓に多い1文字にさせたのだそうである。

奄美大島7万人

◆奄美市に4万人、奄美大島全体で7万人。けっこうな人が暮らしており、諸産業もある。しかし、奄美言葉の継承が危ういという話を聞く。

名瀬にある奄美博物館

◆名瀬にある奄美博物館に行く。比較的最近リニューアルしたそうだ。前に奄美に来た時に見学したのかもしれないが、記憶がない。笠利の資料館だったのかもしれません。前に来た時というのは、宇検村の倉木崎海底遺跡の調査指導というもの。沈没船にあった中国陶磁の破片が、水深2mくらいの浅い海底に散らばっていたことを記憶する。
◆で奄美博物館。フワガネクの資料などを見る。まあ歴史史料や、民俗資料がやはり面白い。17世紀の薩摩の侵攻はよく知られているが、その前に琉球王国の侵攻があった。そういう時期区分にしたがって展示されている。これによって琉球の行政単位である間切が大島にも導入される。地域区分としては、いまでも使われているわけだ。

鶏飯をたべて大島紬の染見学

◆奄美といえば鶏飯。いっぱい店はあるが、有名なところに連れて行ってもらう。もしかして、役所勤めの際に最初に来た時にも、ここで食べたかもしれないな~と思うが、すべて不確か。
◆大島紬関係の、展示や即売をしているところがあちこちにあるようだ。そんななかで、Tさんのよく知っている工房の見学に行く。シャリンバイという木があり、それを削ってチップにして、ぐつぐつ煮て糸を漬ける。それを何度もやって赤くし、そのあと、山からの鉄分の多い水が溜まっている池があって、そこに漬けるのだそうである。そうすると黒になるのだとのこと。説明としてはそうなのだが、繰り返し繰り返し工程を重ねる実際のところは、長い時間見学していないとわかりませんね。
◆脇に物販コーナーもあって見てみるが、まあ高いわけだ。3万6000円とか。いいものだが、買うところまではいかない。正月飾りを購入する。

旧笠利村歴史民俗資料館

◆奄美は2回目。空港で奄美博・学芸員のTさんが迎えてくれた。
◆あやまる岬に行く。あいにくの雨。喜界島を遠望できるが、途中、雨がはげしくなる。で、奄美市立歴史民俗資料館に行く。
◆ほぼ昼。本来、資料館は昼休みは閉めるのだが、そこはTさんが話をしてくれて見学する。旧笠利村の資料館。遺跡が密集するところで、宇宿貝塚の資料などがならぶ。夜光貝について、全然間違った理解をしていた。内側の膜面が螺鈿になると思っていたのだが、全然違う。表面は海老色のようになっているのだが、その表面を研磨すると、巻貝の貝部分がすべて虹色をしてい る。これを小割りにして象嵌し、磨き上げて螺鈿細工にする。夜光貝の匙、これは実用?それとも輸出用なのか。貝から切り出すのは、かなり大変だと思う。
◆9世紀?10世紀?になると、兼久式土器となり、11世紀になると農耕が始まり、カムイ焼・石鍋・白磁などが登場するという。

2025年12月24日(水)いまから奄美

◆今日から3日間、奄美です。伊丹から奄美空港まで900kmだそうです。今日は奄美博物館くらいしか決めてません。明日は喜界島を再訪します。最終日は、Tさんと奄美を午後いっぱいまでめぐることになるのだろう。
◆岩橋千塚の論文に目を通しています。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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