人を幸せにする人になろう

2026年2月20日(金)西都原の委員会

◆朝、カミサンは福岡に向かい、こっちはSさん・Y先生と西都原に向かう。昨年の発掘の続きでは、埋葬施設の断面が現れた壁面を移植で削り、線を引いてみた。昨日は、Y先生も含め、ああだこうだと壁を検討する。
◆終了後、空港に送ってもらい、Sさんの福岡便は早いのだが、こっちは待ちが2時間。鳥の黒焼きでビールを飲みながらブログを書いていました。

宮崎へ戻る

◆飫肥城をあとにし、高速道路が通っている内陸の谷筋の道を宮崎にむかう。両側の山地は杉林である。飫肥杉で著名。殿さんが奨励し、いまも杉の出荷量は宮崎県が第1位を続けている、そういう産業になっているわけです。
◆レンタカーを返すとちょうど18時。そこからホテルに向かう。プロ野球のキャンプなどでなかなかホテルが取れないんだそうである。
◆19:30から懇親会があるので県庁の南のお店に行く。終了後、おとなしく解散となるが、織田薪に釜揚げうどんを食べに行く。

小村寿太郎記念館

◆旧山本猪平家に寄り、最後は小村寿太郎記念館。これは新しく作った立派な施設で、飫肥のガイド団体の基地になっているようでした。
◆これもリニューアルしたとのこと。乃村さんのようである。小村寿太郎の生涯を紹介する別室がある。
◆高校日本史では、陸奥宗光と小村寿太郎が、不平等条約の条項廃止に成功したと習う。陸奥が治外法権の廃止で、小村が関税自主権の回復か。とはいえ、展示では、日露のポーツマス条約の締結が大きく取り上げられている。比較的若く亡くなっているのですね。

飫肥のデンケン

◆飫肥のデンケンのエリアはこうなっております。

2026年2月21日(土)福島に向かう

◆今日は東に向かい、福島出張である。3連休の新大阪駅は人だらけですね。9:09の新幹線、いまどこだろうか。

商家資料館

◆資料館を出て本丸跡に行き、また戻ってきて、御殿を復元している松尾丸に行く。城を出て、東に行き、南に行き、デンケンのまち歩きを開始する。
◆南まで行って商家資料館。飫肥城歴史資料館で見た動画によると、城下は武家地が多く、町人町は限られた一画だったようだ。商家資料館は移築したもの。度量衡博物館で、その手の枡や秤や、そういったものが展示されている。ここの展示はちょっと古そうである。

平部嶠南

 ◆この飫肥城歴史資料館の展示の一画で、ミニ企画展をやっていた。小村寿太郎は飫肥生まれなのだが、平部の弟子が小倉処平のようで、その弟子が小村寿太郎のようだ。小倉処平は西南戦争で没する。飫肥藩からは1000人が参加し、200人が亡くなったと書いてあった。小村はハーバードだかに留学中だったが、師匠の死を知り慟哭する。
◆城付属の資料館で、リニューアルしてよくできた展示になっただけでなく、展示空間の一画を使って、手作り感のある企画展をやっていることに感銘を受けた。

城内の資料館

◆2022年にリニューアルしたそうです。どこにもある大名家に残る甲冑その他の資料なのだが、なかなか展示として工夫されていて、普段はだいたいスッ飛ばすものなのだが、ひきつけられる。
◆その前に、入り口を入るとプロジェクションマッピングがあり、お城と城下の概要を知ることができた。
◆さらに奥にもビデオがあった。覚えていない。その横が平野。

飫肥城

◆飫肥城へ。中世の城が近世の城にったことがよくわかる。両側の堀は空堀で、城内側は土塁で、大手の入り口の両脇くらいが石垣なのである。なお、地震被害があり、17世紀に大きく改造したそうで、その時にかなり石垣が積まれたという。
◆当初の本丸があったいちばん高い廓は、いまは静かな杉林である。大改造した時に、本丸をいま小学校になっているところに移したそうである。いま松尾丸という廓に御殿が復元されているが、これは絵図や発掘調査にもとづくのではなく、こんなものだっただろうということで再現したものとのことである。

飫肥城に到着

◆8か所共通券800円を購入。その横の、おび天の店で、おび天と厚焼卵を購入。名物ということは、行きの飛行機の中で調べた。厚焼卵は、まあプリンですな。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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