人を幸せにする人になろう

芝が原の原稿もドンツキ

◆文章は書き上げた。よくわからんままに書いとるな~。はなから頁数がわずかなので、こんなも んとはいえ、しかし原稿を書くという営みは重要ですね。こういうのでもないと認識は深まらない。久世の大谷川扇状地のに面する古墳群、発掘事例は多いが、それをどう料理するのがよいのか。今回はまあこんなもん。
◆ほんとに久世の地域を理解しようとすれば、個々の資料に向き合う必要がある。さらにいえば、八幡や大住や飯岡など、南山城の状況を把握することが必要だ。機会があればまた。
◆図面を付けないとさびしいかなと思い、1枚つくってみたが、手元に『城陽市史』くらいしかなく、なかなか盛り込みがしんどい。編年表もほしいが、これはあきらめよう。
◆改新シンポのパワポは岩屋山式と唐尺までいくが、まだ。

岩屋山式石室の年代観の相違

◆パワポの1枚を作った。ご覧あれ。

◆文献史では、1尋=1.8m(2尋=1丈2尺)という。が、墳丘9尋がこれだと16.2mとなるが、そ の規模の墳丘が多くあるというわけでなく、定北の表では空白。考古学からは1尋=1.5mで、9尋=13.5mとみており、両者あい入れない状態。これをどう考えたらいいのか、お昼前後に考えていた。
◆考古学からみた1.5mは譲りがたいし、文献史の1.8mという見解も手堅い。旧俗改廃の詔の布2尋、これがおそらく伝統的な賦課の単位なんだろう。1.5mとすれば3.0m。そのもとは1尺25㎝の6尺1歩=尋というのがわたしの見解。文献史が一方で改新詔で1丈2尺となっており、同じ長さの布であると考え、唐尺で換算した数値なんだろうというのは理解しやすい。整合を取るとすれば、6尺1歩=尋という理解が定着しているなかに、唐尺1尺30㎝がやってきたと。そうすると6尺1歩=尋=1.8mと、布の実長が長くなったのだという見方しかないのかな、と。それは1丈2尺ですと。苦しいだろうか。
◆そもそも、横穴式石室は高麗尺だ、また6世紀後葉に古代寺院建築が始まり、高麗尺が再登場するが、これはあくまで度地尺なんだろう。建物は高麗尺とはいえない(あれ、それでいいんだっけか)。つまり、古墳時代において、あるいは7世紀において、土地や石室といったものでない、建物や器物の尺度はなんなのか、ということはあんまりきかない。これ調べないといけませんね。
◆吉川さんの議論をトレースすると、「7世紀の尋の単位尺は高麗尺であるから」とあり、それは林紀昭さんを論拠とするが、これがそもそもちゃうと思うわけ。で、ヒロが人間が手を広げた長さだから、それに近似するのは5高麗尺=1.78mだと(ヒロがそんな長いかえ~)。だから唐の12尺、これで1丈2尺。そういう論法。改新詔の1丈2尺が唐尺で1.8mというのはそれでいいんだろうが、改新詔では尋は出てこない。尋は旧俗改廃の詔で用いられているもの。う~ん、わからんけど、
◆考古学側の13.5mとして、鉢伏山西峯・二子14、ちょっと大きいが石のカラト、この3つをパワポでは示すつもり。10数例くらいあれば堅いんですけど。

豊臣石垣が出てきている

◆来週の計測にむけて、本日の大学院入試の午後の部である専門試験の3時間の間に、大阪城に下見に行く。大阪市、共和 さん、それと天守閣館長も顔を出してくれた。1982?年だかの再発掘も進み、石垣が顔を出している。石が大きく、なかなかの迫力である。目に付く算木積みの大石は礎石の転用材。これは写真を撮らなかったので、またいずれ。3月8・9の連続講演会の時に一般公開も予定されている。前の時も3600人来たというので、それ以上になることは間違いないだろう。
◆ついでに大阪城総合調査時の豊臣石垣保存施設のものも、来週、計測する。そのまえの掃除を市大の考古のメンバーでやることになっている。で、今日の下見で実際に下りてみました。高低差は7mはあるのかな、落ちたら死ぬと思うが、取り付けられた梯子をつたって石垣面へ下りてみました。ものを落としてはいけないので、カメラを地上に置いてきてしまったので、近接写真はない。オレのあと、共和さんが下りているところをパチリ。
◆来週の計測がうまくいきますように。

改新シンポは 記事№2200

◆15日にそこそこパワポを作るが(34枚)、道半ば。16日は、家族全員で勉強で、大学には行かず。オレは芝が原の原稿にむかい、だいたい書き上げた。もうちょっとやれば終わるかな。条里制研大会に向けてはゼロだが、ちょっと本日17日、対策を講じた。
◆今日明日は大学院入試。あいまに少しずつ・・・

まあ

◆最初に就職したのは、ひとつの研究室に4人、次の東京の職場は5人、いまの職場も5人、実にちょうどいい。同僚のみなさんにも恵まれ、気持ちよく仕事をし、ここまで生きてくることができた。1人もつらいだろうし、2人ならソリが合わなければつらい、あまりの大所帯もまた問題。一人ひとりが適切に力を発揮するには3人から7人くらいの単位くらいがいいのだろう。
◆もっとも規模の問題だけでない。メンバーが価値観や目標をちゃんと共有し、よりよい実現や達成に努力する、お互いに啓発しあえる仲間でありたいもの。そこは人間的にあわないとなると不幸だ。しかしそれでも、まっとうな職場であれば、そういうことはあっても、職務というものがあって、だからといっていがみ合い、足を引っ張り、やる気をそぐ、そんなことにならないよう努めなければならない(むろんどうしようもない場合は、移動させるしかない。前にアカハラの講習かなにかを受けたとき、ある程度の規模の会社などで移動が可能ならばよいが、大学というところは、その教員と院生とか、なかなか代替できず移動もできず、しんどい面があるという話を聞いたことがある)。
◆もとに戻して・・・。能力というものも職をえることで獲得していく側面がある。むろん採用するときは、その時の実績や将来性を判断するのだろうが、それはそうせざるをえないが、そんなに差があるわけでもない。人間は職を得てそこで力をつけていくものなのだ。職場で上に立つ者、大学で指導する側にいる者は、後輩や学生・院生を育てていく必要があるわけだ。オレは失敗を続けてきたので、あまりえらそうなことは言えないが。仕事をしたい、こういうことがやりたい、こういう勉強がしたい、という意欲をもって入ってきた者を、いかに伸ばしていくかに労力を惜しむことなく努力するのが、いまいる者のつとめだろう。
◆どこそこの組織のような姿は知りたくない・・・

これも中国

◆日本大学のY氏にいろいろと御著書などをいただきながら、ちゃんとお礼できていない。すいません。Y氏 による陵山里古墳群の東側の百済官人墓の発表を聞いて、感動したわけである。まずこれぞ岩屋山式の原型と思ったのと、規格がちゃんとあるというところに、薄葬令につながるものを感じた。6世紀後半がピークで、7世紀にはいると劣勢になるのか崩れていくんだとか。
◆で、Y氏の発表資料を見返すと、薄葬令の規定は、やはり唐のものを直接的には参照したということなんでしょうね。

尺度の変化模式図

◆世の中には26センチとか27センチもあるとのことだが、まだよくわからない。現時点での理解を 示した図、大歴の考古部会例会発表の時に作ったものだが、色をつけ、改良してみた。

あと

◆律令国造の就任儀礼は、すべての国別国造について行われていたのか、そうでないのか、わたしにはわからないが、出雲国造と紀伊国造のみ儀式書が残る。で出雲が紀伊と比べて少し特別であるのだとか。きっと出雲の国譲り神話が、日本神話に組み込まれたことと関連するのでしょうね。服属儀礼としての国造就任儀礼の筆頭に出雲国造が位置づけられるが、それは国譲りとセットなんだろう、と。
◆どこにでも国譲り神話があったかどうか、そんなことは知らないが、倭王権に従うといった局面はどこにでもあったわけだ。なぜに出雲か、そこがわからんが、出雲を突き放して言えば、出雲がある理由で選ばれ、記紀に出雲を舞台にした国譲り神話を代表として組み込み、国別国造就任儀礼の第一として位置づけた、と。

あきたので

◆卒論で律令国造というのを学んだ。天武朝には「国別国造」があり、設置時期を示すものでなく、既にいるので、設置はさらにさかのぼる。この卒論を読んでオレが考えたのは、旧国造は評司になるとともに、その地域で最有力の国造が、より広域の「国別国造」に任命され、派遣される国宰とは別に「現地国司」として一定の役割をもたせられていたのではないか、ということ。律令期の在地支配は、旧国造層を取り込んで行われたことはよく言われていることだが、さらに「国司」の役割もそうだったのではないか。「国別国造」これは名誉職的ながら奈良時代にも平安時代にも続き、著名なのが出雲と紀伊なわけだが、「国別国造」が機能したのは7世紀後半なのである。やがて国司が実際に任地に赴くことによって、「国別国造」は役割を終えていく。「国別国造」というのが、改新と大宝令をつなぐ現実施策として設定されたこともまた、7世紀史を考えるきわめて重要なコトガラではないだろうか。
◆ほんまか~、そうかもしれないけど、それが機能したか~、いろんな反論はありうるが、論理的に考えれば、上記のような結論になると思う。機能したかどうかは証明不可能だが、少なくとも、実にスムーズに展開が説明できることは確かであり、「現地国司」としての役割をもたせられていた可能性を積極的に考えてみたい。
【追記】写真に意味はありません。ハルカスのグランドオープンまで、あと26日というカウントダウンの表示のようです。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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