人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
人間ドッグで
◆夫婦で人間ドッグにこないだ行ったのですが。ほとんどAで、少しB、ひとつだけC。これは脂肪肝。寝る前に呑むな、とのこと。はい。次の機会には肺のCTスキャンをしてはと言われ、そうですねと。気になったのは、身長が1㎝縮み170㎝を切ってしまったことと、背骨が湾曲していること。姿勢が悪いんでしょうね。
◆一方、カミさんは、Cもたくさん、Dもたくさん、これはまずい。とにかく高血圧。で、いませっせとお茶を飲んでおります。カミさん曰く、あんたストレスないんやろね~、と。そんなことはありません。
◆正式な報告書も送られてきた。まあ、いまのところ健康でありがたい限り。
◆一方、カミさんは、Cもたくさん、Dもたくさん、これはまずい。とにかく高血圧。で、いませっせとお茶を飲んでおります。カミさん曰く、あんたストレスないんやろね~、と。そんなことはありません。
◆正式な報告書も送られてきた。まあ、いまのところ健康でありがたい限り。
ビバップハイヒールで
◆関西の6カ所の記念館特集を偶然に見た。ひとつめがこのブログでも出した「おまけやズンゾ」、あとはなんだったか。横尾忠則のやつと、それと西堀栄三郎、1位が南方熊楠(白浜の方)でした。
平城調査部の現場4カ所
◆先週、発掘情報をもらい、本日2月3日(月)、院生とまわる。(1)まず薬師寺。薬師寺の現場は毛利光さん
の現場に手伝いに行って以来か。20年くらい前?。十字廊とよばれるもの。2月中旬公開とか。(2)中山瓦窯。昔、押熊瓦窯の立ち会いに行ったことはあるが、中山瓦窯は集落のなかに埋もれており、見に行くこともなかったが、これは「見ておかな」とのぞく。(3)西大寺、回廊の東北隅部で、礎石抜き取り列が出ている。西大寺の現場も、金子さんの池だったかなんかの深く掘られた穴を見たカスカな記憶がある、あれ以来だろう。(4)大極殿前。このへんの発掘も、階段の石の抜き取り溝を再発掘をしているのを見たくらい。
◆今日は暖かいが、寒い中、若い研究員が現場に取り組んでいるのを見せてもらった。写真は撮らなかったので、ついでに行った石のカラトの写真を上げておく。
◆大学で、和泉黄金塚の残りの資料をつくっちまおう。
◆今日は暖かいが、寒い中、若い研究員が現場に取り組んでいるのを見せてもらった。写真は撮らなかったので、ついでに行った石のカラトの写真を上げておく。
◆大学で、和泉黄金塚の残りの資料をつくっちまおう。
1月31日奈文研庁舎お別れ会
◆昨日書いたようなモロモロの調整をやっていると、時間が経ち、おっと西大寺の現場を見る時間
はなくなり、15:30開始に滑り込む。西大寺駅でT氏と一緒になり、古代郷の話をしながら奈文研にむかっていると、鈴木嘉吉元所長の姿もあった。
◆新しくできた2年間の仮設施設の会議室に入ると、とたんに、場違いなところに来てしまった・・・、と。OBといっても、もっと上の方々ばかりで、わたしはひょんなことから追加で案内をもらったが、若ゾーもいいところ。
◆記念写真を撮影し、旧庁舎を1階から上へ、最後は屋上まで、荷物が運び出されガランとなった各部屋部屋をのぞいていく(途中、大歴の代表委員からの電話が入り、長々と相談していて、後追いとなったが)。平城調査部のあった2階が生活舞台で、3階もあんまり行くこともなかったし、屋上に
上がることもなかった。で、屋上の風景を。
◆会場を平城資料館の講堂に移し、懇親会に進む。現役世代も現場などの仕事を終え、参加してくれる。で、若いところから自己紹介が始まり、途中からは参加したOB側にも振られる。当然、OBにも昔話をせよという指名があるだろうが、オレに回ってくることもないと思っていたが、OB側も若いところからということで、いきなりやれと・・・。あとから、こういうことを言うべきだったか、とか思うこともあるが、まあまあ。
◆とてもありがたかったことがひとつあるのだが、それはまた改めて。20時頃には終了したが、残る者は仮庁舎に移動し、2次会が始まる。22時頃までおり帰る。
◆新しくできた2年間の仮設施設の会議室に入ると、とたんに、場違いなところに来てしまった・・・、と。OBといっても、もっと上の方々ばかりで、わたしはひょんなことから追加で案内をもらったが、若ゾーもいいところ。
◆記念写真を撮影し、旧庁舎を1階から上へ、最後は屋上まで、荷物が運び出されガランとなった各部屋部屋をのぞいていく(途中、大歴の代表委員からの電話が入り、長々と相談していて、後追いとなったが)。平城調査部のあった2階が生活舞台で、3階もあんまり行くこともなかったし、屋上に
◆会場を平城資料館の講堂に移し、懇親会に進む。現役世代も現場などの仕事を終え、参加してくれる。で、若いところから自己紹介が始まり、途中からは参加したOB側にも振られる。当然、OBにも昔話をせよという指名があるだろうが、オレに回ってくることもないと思っていたが、OB側も若いところからということで、いきなりやれと・・・。あとから、こういうことを言うべきだったか、とか思うこともあるが、まあまあ。
◆とてもありがたかったことがひとつあるのだが、それはまた改めて。20時頃には終了したが、残る者は仮庁舎に移動し、2次会が始まる。22時頃までおり帰る。
1月も終わり、か
◆今年は卒論が少ないので助かっているが、来週、二つの試験をしてその採点もあり、バタバタに
突入か。大阪歴史学会の現地見学検討会を4月26日(土)に伊丹郷町でやることになり、大方、委員の1人がやってくれて助かっているが、伊丹市はじめ、調整のやりとりをしています。もうひとつは、今年度、最終年度となる伏見城の現状調査について調整してきた。これもようやく、まとまった、かな。大阪城の豊臣石垣のレーザー計測を2月後半にやるが、そのことでも大阪市と少し。また、こないだの根来寺本の書評会のことでのやりとり。そして堺市の現場に行ったり。今日はこれから奈良。奈文研の建物建て替えで、1980年以来のあの庁舎とのお別れ会としてOB会が開催される。知らなかったのだが連絡をもらって行くことにする。
◆かばんに修論が2本。できれば集中して読みたいところ、だが、ぶちぶちと途切れ途切れ。9日に和泉黄金塚の話を仰せつかっているので、土日はその資料作りだろうか。
◆写真は生駒市のミュージアムが2月1日にオープンするとのポスター。こないだ、東高野街道を歩いた時、東大阪の発掘ふれあい館に貼ってあったもの。宣伝しておきます。
◆かばんに修論が2本。できれば集中して読みたいところ、だが、ぶちぶちと途切れ途切れ。9日に和泉黄金塚の話を仰せつかっているので、土日はその資料作りだろうか。
◆写真は生駒市のミュージアムが2月1日にオープンするとのポスター。こないだ、東高野街道を歩いた時、東大阪の発掘ふれあい館に貼ってあったもの。宣伝しておきます。
ホームページ
◆4年前にホームページを作ろうとしたが、頓挫した。が、いま3月末公開に向けて作成中です。フレームとともに、設定した項目に一定のデータを載せた形にしたいとは思いますが、どこまでいくかはわかりません。いずれ更新していくものですから、新しい情報を挙げつつ、データも整備充実させていくべきもので、整ってくるのは先なんでしょうが、まずはスタートをめざしております。
◆また、自分で更新ができないといけないし、またマニュアル化して、誰でもできるようにもしないといけないんでしょう。そこは、いまのHPビルダーはよくなっていて、そう難しくはないようですが。
◆さ、今日が後期最後の授業。講義2つ。
◆また、自分で更新ができないといけないし、またマニュアル化して、誰でもできるようにもしないといけないんでしょう。そこは、いまのHPビルダーはよくなっていて、そう難しくはないようですが。
◆さ、今日が後期最後の授業。講義2つ。
26日、東高野街道を行く
◆翌日、急遽、東高野街道を歩くことに。とにかく出る。交野まで行って南下しようかと思ったが、近鉄河内国分から2駅だけ行き、堅下で下
り(だいたい10:30)、そこから北上する。前は、街道よりも東側の村々を結ぶ細い道をうねうねとたどって楽音寺まで行ったが、今回は街道そのもの。柏原市域は現道として交通量も多いが、恩地からはそうでもなくなる。ヌデヒコ・ヌデヒメ神社や、もうひとつ式内社にも寄るが、恩地神社や枚岡社は、前にも行き、街道から入っていかないといけないのでパス。
◆山が迫っていたのが、高安に入ると、東に退き、高安山がそびえる。田畑もまだ多く残る。生駒山系
の山越えの峠との対応関係がいまひとつわからず、これはこれで山登りマップなどもあるわけだが、両者をつなぐ必要がある。神社はたいてい東高野街道に面し鳥居があってわかるが、街道両側にいろいろ見所はあるはずだ。現地には説明看板があるのだろうが、街道脇に、ここから入れなどの案内表示はあんまり見あたらない。東高野街道という表示そのものも、あんまり見ない。現国道で、歩く見学者はあまり想定しておらず、史跡巡りとしてはより交通量の少ないところを通らせる必要もあるのだろうとは思うが。
◆そのまま東大阪に入り、見たことのある風景。東大阪市の発掘ふれあい館。立ち寄ると、家族連れなどが入っている。瓢箪山の商店街へ。昼飯を食べ、さらに北上。目標を野崎観音参りとす
る。石切に入っていく。大阪の中央大通り(大阪城・難波宮)からまっすぐに東の地点。善根寺の花崗岩巨石を探したいところだがパス。阪奈道路(長いこと通ったことない)を抜け、大東市に入り、大阪産業大(桐蔭中高)を抜け、野崎観音に到達。JR野崎駅から帰る(15:58発)。
◆山が迫っていたのが、高安に入ると、東に退き、高安山がそびえる。田畑もまだ多く残る。生駒山系
◆そのまま東大阪に入り、見たことのある風景。東大阪市の発掘ふれあい館。立ち寄ると、家族連れなどが入っている。瓢箪山の商店街へ。昼飯を食べ、さらに北上。目標を野崎観音参りとす
25日は根来の書評会
◆大阪駅前第2ビル4階のコンソーシアム大阪のセミナー室で開催。10:30~17:00まで。満席で盛況
でした。惣国とか都市とか、考古学で形成期の、つまりどこから国といえるか、どこから都市といえるか、という議論ともつながる点がありますね。また、雑賀が横ならびで、根来が系列関係を多数含みながら求心性をもつなど、といった内実の形態についても。
◆いずれにしても、根来研究の進展とか、昨年の本の意義とか、そこで展開されている議論の中身や、課題など、いろいろと勉強になった。
◆ふと、西側尾根の要害を問題にしてきたわけだが、西の山城とか、大きな掘とかを考えると、天正10年以降の防備体制をちょっと広い目で考える必要があるかなと感じた。一乗閣移転地は大門とともに最終防御ラインになるんだろうが、その手前のところでも施設を構築している可能性を考えないといけないかな、と。
◆昨年の本が現時点のひとつの到達点として基本文献になっていくことは間違いないところだが、今回の書評会の内容や議論もまた、『ヒストリア』でまとめておけば、さらに意義深いものとなるかなと思い、企画者側に原稿化することも考えほしいとお願いしてみた。
【追記】それにしても、白山平泉寺が勝山市がねばり強く取り組み、ガイダンス施設を設けたり、遺跡の整備にも進んでいる姿とのギャップは何なのだ、と思わずにはいられなかった。
◆いずれにしても、根来研究の進展とか、昨年の本の意義とか、そこで展開されている議論の中身や、課題など、いろいろと勉強になった。
◆ふと、西側尾根の要害を問題にしてきたわけだが、西の山城とか、大きな掘とかを考えると、天正10年以降の防備体制をちょっと広い目で考える必要があるかなと感じた。一乗閣移転地は大門とともに最終防御ラインになるんだろうが、その手前のところでも施設を構築している可能性を考えないといけないかな、と。
◆昨年の本が現時点のひとつの到達点として基本文献になっていくことは間違いないところだが、今回の書評会の内容や議論もまた、『ヒストリア』でまとめておけば、さらに意義深いものとなるかなと思い、企画者側に原稿化することも考えほしいとお願いしてみた。
【追記】それにしても、白山平泉寺が勝山市がねばり強く取り組み、ガイダンス施設を設けたり、遺跡の整備にも進んでいる姿とのギャップは何なのだ、と思わずにはいられなかった。
横口式石槨の石槨規模
◆前にも出したグラフ。前はとにかく、たぶん塚口先生の研究を踏まえた近つの図録の表にあった
数字をざ~と入れて散布図を作っただけだが、その時にも、9尺とか5尺とか4尺とかのみならず、一定の尺度にところに近いものがあり、当たり前だが本来は規格的にデータは格子状にまとまるだろうとみていた。なので、今回、図面にあたり採寸し、設計寸法を勝手に決めて作り直した。ひとつまえの西峯みたいな作業を経て、表を作り直すべきなのだが、時間もないし、方格をあてはめておらず、図面での作業だが。まあでも、たぶん大丈夫。宮前山とか松井塚は、確かに石棺を囲む石積みの規模が、ほぼ2.7m*1.5mですね。
◆土日の作業の後始末はこのくらいにして。授業の準備を・・・
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。