人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
吉田の田部(たなべ)家
◆田部、「たなべ」と読む。近世以来製鉄の経営を
やってきた鉄師といわれる大きな家のひとつで、いまも存続する。たたら場を5,6箇所もち、必要な炭を作るため広大な山林を所有する(日本三大山林地主のひとつらしい)。
◆吉田の町は、斜面の高い側にある博物館から川の流れる盆地の中央部へ本通りとよばれる一本道があり、これに沿って町がある。下って行って、いちばん下に広大な屋敷地をいまも所持し、最盛期には蔵が24棟あり、いまも15棟が残るのだとか。田部家でも砂鉄1トンによる復元操業を年2回やっているとのこと。
その時期に行くのがいいのではないか。蔵のいくつかは宿泊施設にしたところという。
◆この田部家は、1923年後も製鉄にかかわってきた多くの職人を養っていくために、苦労しながら多角経営をやって吉田の町を支えてきたようだ。再現した、たたらによる鉄を利用した物販(とても高い・・・)、および田部家の歴史を紹介する店舗がある。そこでも、おばさんが熱心に語ってくれました。田部家は、元は田辺家で、紀伊田辺の出なんだそうです。本宅には、木の幹を刳り抜いた茶室があるとのこと。調べて見ると写真が出てきます。これは入ってみたいですね。
◆川の方に少し下ってから引き返す。和菓子屋にも寄る。
◆吉田の町は、斜面の高い側にある博物館から川の流れる盆地の中央部へ本通りとよばれる一本道があり、これに沿って町がある。下って行って、いちばん下に広大な屋敷地をいまも所持し、最盛期には蔵が24棟あり、いまも15棟が残るのだとか。田部家でも砂鉄1トンによる復元操業を年2回やっているとのこと。
◆この田部家は、1923年後も製鉄にかかわってきた多くの職人を養っていくために、苦労しながら多角経営をやって吉田の町を支えてきたようだ。再現した、たたらによる鉄を利用した物販(とても高い・・・)、および田部家の歴史を紹介する店舗がある。そこでも、おばさんが熱心に語ってくれました。田部家は、元は田辺家で、紀伊田辺の出なんだそうです。本宅には、木の幹を刳り抜いた茶室があるとのこと。調べて見ると写真が出てきます。これは入ってみたいですね。
◆川の方に少し下ってから引き返す。和菓子屋にも寄る。
菅谷たたら山内
◆奥出雲町から雲南市吉田に向かう。雲南市は平成大合併でけっ
こうな数の町がひとつになったもの。
◆ここにも展示施設があるが、まずは菅谷たたら山内に行く。昭和42年に重要有形民俗文化財の指定されたのだとか。駐車場に止め、高殿に向かう。長屋の右が事務所になっていて受付をする(350円)。その女性の方に、そのあと丁寧に解説してもらう(あとで大阪から来た人だということを知る)。
◆まずは高殿から。全国でこれ1棟だけが残っているという。そしてケラ
を割る場所とか、選別場とか、事務棟など、大正まで操業していた建物がひととおり残っている。とにかくここはいいですよ。機会があれば足を運んでください。出雲の砂鉄によるたたら製鉄は、明治以降の洋式の製鉄技術の前に徐々に少なくなり、1923年に一斉に廃業したそうである。製鉄はしなくなったが、炭焼きはしばらく継続しており、この高殿は、製品である炭を置いておくところとして使っていたため残ったようである。
◆文化財指定が1967年、1923年の製鉄廃業から44年、よく壊されませんでした。
◆ここにも展示施設があるが、まずは菅谷たたら山内に行く。昭和42年に重要有形民俗文化財の指定されたのだとか。駐車場に止め、高殿に向かう。長屋の右が事務所になっていて受付をする(350円)。その女性の方に、そのあと丁寧に解説してもらう(あとで大阪から来た人だということを知る)。
◆まずは高殿から。全国でこれ1棟だけが残っているという。そしてケラ
◆文化財指定が1967年、1923年の製鉄廃業から44年、よく壊されませんでした。
2025年10月10日(金)奥出雲にむかう
◆快晴。レンタカー屋はホテルのすぐ東。たたらをめざす。高速道路で
なく山を抜けるルートを選ぶ。たぶん雲南市の菅谷を指定。グーグルでもルートを検索しており、それでは別ルートだったが、車のカーナビでは中海に沿って9号線沿いに進み、そこから山間部に入っていくルートになっていた。それにしたがうが9号線がめちゃ込みだった。米子西高等学校のところで9号線から離れることにする。予定のルートに入り、出雲の赤屋根の由緒正しい村々を通っていく。栗を拾う。
◆道の駅に入る。醤油・荏胡麻ドレッシングを購入。出ようとすると、コウダケを採ってきたおばさんがモノを持ち込み、物販での値札を付け始める。それを待って購入。ここは奥出雲町。2005年に仁多郡仁多町・横田町が新設合併してできたそうだ。
◆砂の器に出てくるという亀嵩(かめだけ)を通る。映画になった記念碑がある。そのまま進むと亀嵩駅。これが940くらい。駅そばが有名になっているようだが10時からだったので先へ進む。
◆道の駅に入る。醤油・荏胡麻ドレッシングを購入。出ようとすると、コウダケを採ってきたおばさんがモノを持ち込み、物販での値札を付け始める。それを待って購入。ここは奥出雲町。2005年に仁多郡仁多町・横田町が新設合併してできたそうだ。
◆砂の器に出てくるという亀嵩(かめだけ)を通る。映画になった記念碑がある。そのまま進むと亀嵩駅。これが940くらい。駅そばが有名になっているようだが10時からだったので先へ進む。
大坂は19世紀に入ると力をなくす
◆18世紀後半は全盛期。が、19世紀には元気をなくすんだそうです(確か人口も多い時で40万人だったが、幕末にはけっこう減っているという話を読んだことがある)。市史の簡略版を見たが、そんなことは書いてない。市史本体をざっと見てみようか。
2025年10月8日(水)屋上テラス
◆南端の4つならぶエレベータの向かいに、もうひとつエレベーターがあ
り、13階に展望テラスという表示があったので行ってみた。建物の南西隅で、西への眺望はよい。南はURの建物がある。北東隅のヘリポート(開学直前に鍵がかかりました)より視界が開けていない。東もダメ、北もダメ。
◆なかなか事務仕事が追いつきません。
◆新しい建物になり、教員室も見た目にはきれい。なので、散らかさないよう、細々としたことも処理して、キレイな状態を維持しようとしてしまう。佐原さんのように、カオスからの創造ということにならない。ま、いちばん大事なことからやる、ことでしょうか。
◆がっつりやったるで、という湧き上がるパワーがあまりなくなっている。カミサンいわく、そうではなく楽しくやる、で、と。そして「やったるで」という意欲ある若者を応援しららいいんだ、と。
◆なかなか事務仕事が追いつきません。
◆新しい建物になり、教員室も見た目にはきれい。なので、散らかさないよう、細々としたことも処理して、キレイな状態を維持しようとしてしまう。佐原さんのように、カオスからの創造ということにならない。ま、いちばん大事なことからやる、ことでしょうか。
◆がっつりやったるで、という湧き上がるパワーがあまりなくなっている。カミサンいわく、そうではなく楽しくやる、で、と。そして「やったるで」という意欲ある若者を応援しららいいんだ、と。
2025年10月7日(火)考古学実習
◆3限。2週目。考古学を専攻しようという人もいないのに、土器の
実測をさせてもね~、と毎年思いながらも・・・。先週は展示ケースにならべていた資料を開梱して配列してもらった。今回も、1209収蔵庫の整頓をしてもらう。糞置の遺物、角田さんの縄文土器、難波宮の遺物、考古学研究会の遺物。そしてその他もろもろ。狭い収蔵庫だが、いまのところあふれていない。引っ越しで、アバウトには分別できているが混在しているものをグルーピングして棚に再配置する。コンテナに表書きしていないものは、展示ケースから出して梱包したものなどがあるので、それらも平行して出していく。
◆履修者6名、90分でだいたいやっつけた。めでたしめでたし。もうちょっと整えてもいいとは思う。もう1回くらい、考古学実習の時間にあててもいいのかもしれないが。
◆履修者6名、90分でだいたいやっつけた。めでたしめでたし。もうちょっと整えてもいいとは思う。もう1回くらい、考古学実習の時間にあててもいいのかもしれないが。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。