人を幸せにする人になろう

15時30には米子に引き返す

◆今日は、カミサンが1630からのオンライン議、こっちは18:30から21:00まで編集会議がある。雲南吉田ICの道の駅の蕎麦屋で「ムラゲ膳」というのを食べ、帰りは高速道路で米子に引き返す。大山がきれいである。
◆レンタカーはガソリンを入れ1620頃に返却。ホテルで編集委員会の資料をダウンロードし、米子駅内のセブンでプリントする。21時過ぎに終了し、名物のサバしゃぶというのを食べに出る。

吉田の田部(たなべ)家

◆田部、「たなべ」と読む。近世以来製鉄の経営をやってきた鉄師といわれる大きな家のひとつで、いまも存続する。たたら場を5,6箇所もち、必要な炭を作るため広大な山林を所有する(日本三大山林地主のひとつらしい)。
◆吉田の町は、斜面の高い側にある博物館から川の流れる盆地の中央部へ本通りとよばれる一本道があり、これに沿って町がある。下って行って、いちばん下に広大な屋敷地をいまも所持し、最盛期には蔵が24棟あり、いまも15棟が残るのだとか。田部家でも砂鉄1トンによる復元操業を年2回やっているとのこと。その時期に行くのがいいのではないか。蔵のいくつかは宿泊施設にしたところという。
◆この田部家は、1923年後も製鉄にかかわってきた多くの職人を養っていくために、苦労しながら多角経営をやって吉田の町を支えてきたようだ。再現した、たたらによる鉄を利用した物販(とても高い・・・)、および田部家の歴史を紹介する店舗がある。そこでも、おばさんが熱心に語ってくれました。田部家は、元は田辺家で、紀伊田辺の出なんだそうです。本宅には、木の幹を刳り抜いた茶室があるとのこと。調べて見ると写真が出てきます。これは入ってみたいですね。
◆川の方に少し下ってから引き返す。和菓子屋にも寄る。

鉄の歴史博物館

◆たたら場から吉田の町に戻り、鉄の歴史博物館に行く。山側の、町としては裏側から入って行ったようだ。この博物館は病院だった建物。
◆まずビデオ。1923年廃業後、1969年に復活させようとする動きが始まり、これが1970年に実現する。その記録映像を岩波が作成したもの。当時は、廃業した大正期に製鉄にかかわった人たちが80歳代でぎりぎり存命であった。1923年頃には30代だったのだろう。この明治生まれの職人がまだ残っていた1970年という、ギリギリの時期にたたら製鉄を再現したわけだ。この時に従事した人たちの紹介もあり、4年後には亡くなったとのパネルもあった。なかなかいい展示です。

菅谷たたら山内

◆奥出雲町から雲南市吉田に向かう。雲南市は平成大合併でけっこうな数の町がひとつになったもの。
◆ここにも展示施設があるが、まずは菅谷たたら山内に行く。昭和42年に重要有形民俗文化財の指定されたのだとか。駐車場に止め、高殿に向かう。長屋の右が事務所になっていて受付をする(350円)。その女性の方に、そのあと丁寧に解説してもらう(あとで大阪から来た人だということを知る)。
◆まずは高殿から。全国でこれ1棟だけが残っているという。そしてケラを割る場所とか、選別場とか、事務棟など、大正まで操業していた建物がひととおり残っている。とにかくここはいいですよ。機会があれば足を運んでください。出雲の砂鉄によるたたら製鉄は、明治以降の洋式の製鉄技術の前に徐々に少なくなり、1923年に一斉に廃業したそうである。製鉄はしなくなったが、炭焼きはしばらく継続しており、この高殿は、製品である炭を置いておくところとして使っていたため残ったようである。
◆文化財指定が1967年、1923年の製鉄廃業から44年、よく壊されませんでした。

奥出雲たたらと刀剣館

◆旧横田町に入る。たたら製鉄のひとつの心地。日刀保たたらも、この旧横田町にある。
◆奥出雲町の「たたらと刀剣館」に行く(530円)。最初に映像を見る。日刀保たたらの今日の操業の様子を映像化したもの。展示では、たたらの実物大模型があり、断面を見せるように作られている。天秤ふいごの体験もできる。奥に刀鍛冶の体験施設があり、その奥に映像館もある。途中 で団体客がやってきた。
◆出雲で製鉄を経営する大きな家が9家あり、そのうちビッグ4というのがあるらしい。

2025年10月10日(金)奥出雲にむかう

◆快晴。レンタカー屋はホテルのすぐ東。たたらをめざす。高速道路でなく山を抜けるルートを選ぶ。たぶん雲南市の菅谷を指定。グーグルでもルートを検索しており、それでは別ルートだったが、車のカーナビでは中海に沿って9号線沿いに進み、そこから山間部に入っていくルートになっていた。それにしたがうが9号線がめちゃ込みだった。米子西高等学校のところで9号線から離れることにする。予定のルートに入り、出雲の赤屋根の由緒正しい村々を通っていく。栗を拾う。
◆道の駅に入る。醤油・荏胡麻ドレッシングを購入。出ようとすると、コウダケを採ってきたおばさんがモノを持ち込み、物販での値札を付け始める。それを待って購入。ここは奥出雲町。2005年に仁多郡仁多町・横田町が新設合併してできたそうだ。
◆砂の器に出てくるという亀嵩(かめだけ)を通る。映画になった記念碑がある。そのまま進むと亀嵩駅。これが940くらい。駅そばが有名になっているようだが10時からだったので先へ進む。

2025年10月9日(木)いま米子にむかってます

◆職場の会議が終わったのが19時。19:15には森之宮から鴫野駅に向かう予定にしていたが、まあ間にあった。新幹線で岡山へ、そこから「やくも」で米子に向かう。新見着(22:23)。
◆今回は、前から行こうといっていた奥出雲のたたら山内を見に行くというもの。前日に決まり、木曜日の出発日にもろもろ手配。
◆23:32米子着。ミズカゼ瑞風が前に停車している。

大坂は19世紀に入ると力をなくす

◆18世紀後半は全盛期。が、19世紀には元気をなくすんだそうです(確か人口も多い時で40万人だったが、幕末にはけっこう減っているという話を読んだことがある)。市史の簡略版を見たが、そんなことは書いてない。市史本体をざっと見てみようか。

2025年10月8日(水)屋上テラス

◆南端の4つならぶエレベータの向かいに、もうひとつエレベーターがあり、13階に展望テラスという表示があったので行ってみた。建物の南西隅で、西への眺望はよい。南はURの建物がある。北東隅のヘリポート(開学直前に鍵がかかりました)より視界が開けていない。東もダメ、北もダメ。
◆なかなか事務仕事が追いつきません。
◆新しい建物になり、教員室も見た目にはきれい。なので、散らかさないよう、細々としたことも処理して、キレイな状態を維持しようとしてしまう。佐原さんのように、カオスからの創造ということにならない。ま、いちばん大事なことからやる、ことでしょうか。
◆がっつりやったるで、という湧き上がるパワーがあまりなくなっている。カミサンいわく、そうではなく楽しくやる、で、と。そして「やったるで」という意欲ある若者を応援しららいいんだ、と。

2025年10月7日(火)考古学実習

◆3限。2週目。考古学を専攻しようという人もいないのに、土器の実測をさせてもね~、と毎年思いながらも・・・。先週は展示ケースにならべていた資料を開梱して配列してもらった。今回も、1209収蔵庫の整頓をしてもらう。糞置の遺物、角田さんの縄文土器、難波宮の遺物、考古学研究会の遺物。そしてその他もろもろ。狭い収蔵庫だが、いまのところあふれていない。引っ越しで、アバウトには分別できているが混在しているものをグルーピングして棚に再配置する。コンテナに表書きしていないものは、展示ケースから出して梱包したものなどがあるので、それらも平行して出していく。
◆履修者6名、90分でだいたいやっつけた。めでたしめでたし。もうちょっと整えてもいいとは思う。もう1回くらい、考古学実習の時間にあててもいいのかもしれないが。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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