人を幸せにする人になろう

2023年12月23日、近つで一須賀の資料を学ぶ

◆一須賀の資料を午前に見て、午後に研究会をやるというイベントに参加する。未報告資料の全体 を把握するのは、なかなか大変そうである。実質的な資料整理を進めつつ、参画者を増やしていくようなことを目指しているのか、と感じる。こっちも、見せてもらうだけでなく、何かやれればと思うが、そのあたりのマネージメントがうまくいくと、とてもいい場になるだろう。大阪大谷のNさんは、一須賀の墳丘測量を継続しており、われわれも役に立てることを考えよう。
◆発表を聞くと、百済からの渡来人の群集墳との感を強くもつ。
◆帰り、NさんとKさんを車で送って行くが、参加していたTさんが是非というので、葉室の釜戸塚に寄る。地権者の方が植樹していたので、断ってなかに入らせてもらう。葉室古墳群については、昔のスケッチ図みたいなものしかなく、測量ができればいいのですが・・・。とにかく、釜戸塚古墳の墳丘が驚くほど大きいことを体感する。そして、真ん中が大きく窪んでおり、これほどの凹部ができる横穴式石室はどんなものだったのかと・・・。

2023年12月29日、門司港

◆小倉から下関へ。下関のレトロ建築を見て(そう多くはない)、渡し船で門司港へ。門司には「門司港駅」の駅舎をはじめ、三井の建物と か、税関とかの建物がそこそこ残っており、港町のレトロな雰囲気がよく残る。商店街を歩き、和菓子を買い、昼飯を食べ、ミュージアムに行き、その展望フロアで地ビールを飲む。
◆小倉まで戻り、コインロッカーの荷物を出して帰途につく。

2023年12月28日、壱岐もざっと

◆朝、宿に迎えに来てもらいレンタカー屋へ。壱岐は3回目くらいか。前の2回とも、原ノ辻の史跡指定 関係での公務出張。
◆まず2010年にできた壱岐博物館(年末開館最終日でセーフ)、原の辻遺跡現地、ちょこっと「はらほげ」に寄り、芦辺は通過し、勝本町へ。ここで昼飯を食べ、町あるき。猿石を見て、壱岐古墳群。双六・笹塚・掛木・鬼の窟・対馬塚古墳の横穴式石室を見て、これでリミット。
◆郷ノ浦港からジェットフォイルで博多に移動し、小倉泊。

2023年12月27日、対馬をざっと

◆朝、レンタカーを借り、15:25のフェリーまでという限定された時間ながら、出発。わだつみ神 社、烏帽子岳、豊玉資料館、万関橋、姫神山砲台、金田城、対馬博物館、金石城跡。
◆車を返し、フェリーに乗る。壱岐の郷ノ浦港に着き、ホテルまで歩きながら、適当な呑み屋を探す。「角丸」というところで、楽しく、おいしく、食事をさせてもらいました。

2023年12月26日、対馬

◆26日は朝出勤し、出発まであまり時間はないが、もろもろ仕事をして(いや違う来客があったんだ)、伊丹発14:25の飛行機に乗り、福岡空港経由で対馬に向かう。
◆空港着と厳原へのバスが連動しておらず、仕方ないのでタクシー。タクシーの運ちゃんが、しゃべるしゃべる。
◆ホテルにチェックインしようとするが、韓国人だらけで列をなし、なかなか順番が来ない。ようやっと荷物を置き、呑み屋を探す。
◆いま2030。地元の飲み屋で(居酒屋かわせみ)、財部水産の社長、建設会社の社長さんらと一緒になり、楽しく呑み、ホテルに帰って きました。名古屋から来たお客さんとも。

佐紀陵山

◆網野の報告書に向けて、佐紀陵山のトレースをYさんが進めてくれている。あともうちょい。これ も、航空レーザーで従来の図より比べられないくらいの多いデータにもとづく正確な図が得られるわけだが、線描がすべて正しいわけではない。
◆まずは測量データそのもの。古市・百舌鳥でもそうだが、赤色図などでポリゴンを見るとわかるが、下に届くデータが少ないところはポリゴンの三角形が見える。そこについては描かれた等高線も怪しい。
◆おおむねデータが得られたとして、3Dモデルから等高線図にした場合、等高線は細かい折れ線状で、実際は、そんな等高線は走りません。空中からの取得したデータが統合されての、全体として正確な図ではあるが、等高線の走りは近似的なギサギザで、事実ではない。時にはするどい鋭角の角になっているようなところもあったりする。
◆また、圧倒的なデータを活かし20㎝コンタ出力が多いが、過密すぎる。科研等でやってもらう場合、3Dモデルの先、出力の1形態としての等高線図は、津堂城山の時以来、25㎝等高線にしてもらっている。なので、陵山についても25㎝で再トレースしています。

西陵

◆外周の測量をドローンでやってもらったのは数年前。ようやっと統合できた。マユの場合、あわない箇所、標高が違うというところもあって、かなり苦しんだ。が、西陵はほとんど問題なく、2日でだいたい終了できた。おおむね、こちらの墳丘の図に外周をくっつけるという棲み分けもシンプルだったこともある。
◆ただし、堤については、一部はこちらでも測量しており、その重なりを見ていると、やはり草が繁茂している箇所はレーザーが正確とはいえないことがよくわかる。こちらの測点があるものは基本的に正しいとして調整している。

最後は泉佐野

◆熊取を抜け、泉佐野に向かう。ここの江戸時代以来のまちを前から見学したいと思っていたので。
◆駅前に近い ところの駐車場に車を入れ、ぶ~らぶら。商店街を抜け、本町の旧のまちなみを進む。「泉佐野ふるさと町屋館」というのがあり入る。入館料200円です。ここが最高によかった。ベテランのガイドさんの、詳しく面白い話をえんえんと聞くことができた。話はうまいし、内容は面白いし、こちらの受け答えもあるので、しゃべりも熱心になる。これなんだかわかりますか、というクイズがそこここに散りばめてある。わたしが「タイガー計算機」と答えると、答えた人は初め てだと驚かれた。
◆いろんな勉強になります。いろんな言葉の意味を教えてもらった。それと泉州自慢。淡路の玉ねぎが著名だが、明治に入って玉ねぎを定着させたのは泉佐野。タオルも今治がいまは生産日本一かもしれないが、かつては泉佐野、などなど、楽しい。そして食野(めしの)家の話。江戸時代の長者番付で、三井や大阪の両替商に肩をならべ大関に位置付けられた食野家のことを詳しく聞くことができた。メシノ家のこと、もっと大阪の人間に知ってほしい。
◆NPO法人を作り、市指定の新川家住宅の管理とガイドを担っている方が、ほかに2人おられた。歴史館いずみさのという泉佐野市の展示施設は、基本的に日根野荘の展示で、港町佐野と大富豪メシノをいう江戸時代の大繁栄を学ぶことができない。が、ここに来ると知ることができる。

中家住宅

◆横には重要文化財となっている中家住宅があり、入る。岸和田藩の大庄屋の1人でもあったという。で、 中家は橋本宗吉を支援し、有名な電気実験やった大松は、この中家にあったものだという。この場所で、フランクリンと同じように、雷が電気であることを確かめる実験が行われたのだとか。

熊取町レンガ館

◆旧道を行く。神於山の裏側の道だ。前に神於寺に行ったとき通ったなと記憶がよみがえる。前は途中で岸和田市方向に出て、久米田方 面に向かったのだが、今回はそのまま進む。
◆貝塚市水間寺を抜け、さらに進んで熊取町に入る。で、右に入ると煉瓦館とあり、右折する。泉州の繊維産業、大きな工場は次々に操業しなくなり、取り壊されたものが多い。ここでは、工場の一部を残し、展示施設やホールにしている。ひとつの建物に入ると、机のあるところには、すべて受験生が座り、勉強している。熊取町の歴史についてのパネルが少しあるが、本格的なものではない。
◆物販のところで、タオルを3枚とタオル地のマフラー1を購入する。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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