人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
2023年12月23日、近つで一須賀の資料を学ぶ
◆一須賀の資料を午前に見て、午後に研究会をやるというイベントに参加する。未報告資料の全体 を把握するのは、なかなか大変そうである。実質的な資料整理を進めつつ、参画者を増やしていくようなことを目指しているのか、と感じる。こっちも、見せてもらうだけでなく、何かやれればと思うが、そのあたりのマネージメントがうまくいくと、とてもいい場になるだろう。大阪大谷のNさんは、一須賀の墳丘測量を継続しており、われわれも役に立てることを考えよう。
◆発表を聞くと、百済からの渡来人の群集墳との感を強くもつ。
◆帰り、NさんとKさんを車で送って行くが、参加していたTさんが是非というので、葉室の釜戸塚に寄る。地権者の方が植樹していたので、断ってなかに入らせてもらう。葉室古墳群については、昔のスケッチ図みたいなものしかなく、測量ができればいいのですが・・・。とにかく、釜戸塚古墳の墳丘が驚くほど大きいことを体感する。そして、真ん中が大きく窪んでおり、これほどの凹部ができる横穴式石室はどんなものだったのかと・・・。
◆発表を聞くと、百済からの渡来人の群集墳との感を強くもつ。
佐紀陵山
◆網野の報告書に向けて、佐紀陵山のトレースをYさんが進めてくれている
。あともうちょい。これ も、航空レーザーで従来の図より比べられないくらいの多いデータにもとづく正確な図が得られるわけだが、線描がすべて正しいわけではない。
◆まずは測量データそのもの。古市・百舌鳥でもそうだが、赤色図などでポリゴンを見るとわかるが、下に届くデータが少ないところはポリゴンの三角形が見える。そこについては描かれた等高線も怪しい。
◆おおむねデータが得られたとして、3Dモデルから等高線図にした場合、等高線は細かい折れ線状で、実際は、そんな等高線は走りません。空中からの取得したデータが統合されての、全体として正確な図ではあるが、等高線の走りは近似的なギサギザで、事実ではない。時にはするどい鋭角の角になっているようなところもあったりする。
◆また、圧倒的なデータを活かし20㎝コンタ出力が多いが、過密すぎる。科研等でやってもらう場合、3Dモデルの先、出力の1形態としての等高線図は、津堂城山の時以来、25㎝等高線にしてもらっている。なので、陵山についても25㎝で再トレースしています。
◆まずは測量データそのもの。古市・百舌鳥でもそうだが、赤色図などでポリゴンを見るとわかるが、下に届くデータが少ないところはポリゴンの三角形が見える。そこについては描かれた等高線も怪しい。
◆おおむねデータが得られたとして、3Dモデルから等高線図にした場合、等高線は細かい折れ線状で、実際は、そんな等高線は走りません。空中からの取得したデータが統合されての、全体として正確な図ではあるが、等高線の走りは近似的なギサギザで、事実ではない。時にはするどい鋭角の角になっているようなところもあったりする。
◆また、圧倒的なデータを活かし20㎝コンタ出力が多いが、過密すぎる。科研等でやってもらう場合、3Dモデルの先、出力の1形態としての等高線図は、津堂城山の時以来、25㎝等高線にしてもらっている。なので、陵山についても25㎝で再トレースしています。
最後は泉佐野
◆熊取を抜け、泉佐野に向かう。ここの江戸時代以来のまちを前から見学
したいと思っていたので。
◆駅前に近い ところの駐車場に車を入れ、ぶ~らぶら。商店街を抜け、本町の旧のまちなみを進む。「泉佐野ふるさと町屋館」というのがあり入る。入館料200円です。ここが最高によかった。ベテランのガイドさんの、詳しく面白い話をえんえんと聞くことができた。話はうまいし、内容は面白いし、こちらの受け答えもあるので、しゃべりも熱心になる。これなんだかわかりますか、というクイズがそこここに散りばめてある。わたしが「タイガー計算機」と答えると、答えた人は初め
てだと驚かれた。
◆いろんな勉強になります。いろんな言葉の意味を教えてもらった。それと泉州自慢。淡路の玉ねぎが著名だが、明治に入って玉ねぎを定着させたのは泉佐野。タオルも今治がいまは生産日本一かもしれないが、かつては泉佐野、などなど、楽しい。そして食野(めしの)家の話。江戸時代の長者番付で、三井や大阪の両替商に肩をならべ大関に位置付けられた食野家のことを詳しく聞くことができた。メシノ家のこと、もっと大阪の人間に知ってほしい。
◆NPO法人を作り、市指定の新川家住宅の管理とガイドを担っている方が、ほかに2人おられた。歴史館いずみさのという泉佐野市の展示施設は、基本的に日根野荘の展示で、港町佐野と大富豪メシノをいう江戸時代の大繁栄を学ぶことができない。が、ここに来ると知ることができる。
◆駅前に近い ところの駐車場に車を入れ、ぶ~らぶら。商店街を抜け、本町の旧のまちなみを進む。「泉佐野ふるさと町屋館」というのがあり入る。入館料200円です。ここが最高によかった。ベテランのガイドさんの、詳しく面白い話をえんえんと聞くことができた。話はうまいし、内容は面白いし、こちらの受け答えもあるので、しゃべりも熱心になる。これなんだかわかりますか、というクイズがそこここに散りばめてある。わたしが「タイガー計算機」と答えると、答えた人は初め
◆いろんな勉強になります。いろんな言葉の意味を教えてもらった。それと泉州自慢。淡路の玉ねぎが著名だが、明治に入って玉ねぎを定着させたのは泉佐野。タオルも今治がいまは生産日本一かもしれないが、かつては泉佐野、などなど、楽しい。そして食野(めしの)家の話。江戸時代の長者番付で、三井や大阪の両替商に肩をならべ大関に位置付けられた食野家のことを詳しく聞くことができた。メシノ家のこと、もっと大阪の人間に知ってほしい。
◆NPO法人を作り、市指定の新川家住宅の管理とガイドを担っている方が、ほかに2人おられた。歴史館いずみさのという泉佐野市の展示施設は、基本的に日根野荘の展示で、港町佐野と大富豪メシノをいう江戸時代の大繁栄を学ぶことができない。が、ここに来ると知ることができる。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。