人を幸せにする人になろう

喜界島と城久遺跡(25)旧軍の指揮所

◆戦争にかかわる遺構としてコンクリートの指揮所があり、そこへ行く。あんまり気持ちいいものではない。両側に階段の降り38f80df1.JPG口があり、地下中央に空間があるのだが、片側のコンクリートが崩れている。こちら側の入り口は封鎖した方がよいだろう。
◆説明によると、本土から特攻機が夕刻に飛び立ち、喜界空港に降りたって、明け方、沖縄に特攻に出る、その指揮をしていた場所という。
◆島にはもうひとつ、掩退壕(漢字はこれでいいか)があり、これも見に行く。ほぼ完存し、こちらは中への立入ができないようにしてある。
 

喜界島と城久遺跡(24)ひとやすみ

◆喜界島の町がある「湾」一帯とは離れているが、海に面して「うどん」の看板を出している店があり、ドリンクやデザートも出す83d18abd.JPG洒落た店がある。疲れたので店に入り、海を眺めるベランダで憩う(とはいえ手前の防潮堤が邪魔)。
◆なんでも、その前の海は、珊瑚礁に亀裂が入ったように、珊瑚のない細い谷筋状の入り込みがならぶ特徴ある海岸とのこと。この店には、翌日は昼を食べに行き、この話はその時に聞いた。若者3人が車で来て海に向かっているのを見て、店の人が教えてくれた。そこで、われわれも海に出て行く。先の3人はだいぶ先の珊瑚礁の先を泳いでおり、潜っているようだ。ちなみに、喜界島はダイバーには人気があるらしい。それと、ハングライダーとかパラグライダーとかも(4日間のなかでは見なかったが)。パラグライダーで飛ぶと気持ちいいでしょうね。
◆照屋さんから、事前に、体験ダイビングをしますか、するなら予約しときます、との話もあった。一度はやろうとも思ったが、かつて伊豆でダイビングをした時のこともあり、やめとくと連絡。シュノーケリングで十分である。
 

喜界島と城久遺跡(23)城久遺跡の仮整備地

◆保存された地区で、大型掘立柱建物跡などの柱位置を表示している箇所がある。照屋さんも一度、遭遇していたようだが、fb958557.JPG初日にたどりつこうと何度かチャレンジしたが行き着けなかったのだが、本日、しばらく探し回り、ついに発見した。
◆城久遺跡は史跡指定の話がかなり具体化しており、開発目的の調査は一段落し、残せるところは残した格好だが、遺跡の範囲確認を少しした上で申請するスケジュールで動いているのだという。
◆大型建物に隣接する西側にも柱表示があるが、そっちは草が生い茂っている。本格的には、史跡になって整備を進める段になってからのことだろうが、当面、城久遺跡を説明するのに連れてくるのはここだろう。仮設の説明看板が欲しいところ。
 

喜界島と城久遺跡(22)トンビ崎灯台とミヤ

◆今度は島の北端のトンビ崎灯台。
◆次は志戸桶のミヤ。ミヤというのはなんて言うのか、神事を行う場所という。村
99f852c3.JPGの道が交差するようなところにあり、志戸桶のミヤは、その場がいまでもロー8a9cff30.JPGタリーの中央部のようにまだ残っているが、ほかではほぼなくなっているらしい。道を広げるだのして消えていったのだろう。そしてたいがい、公民館がその脇にあったりするという。どこかの時点まで昔のミヤがあり、戦後といえるかどうかはわからないが、集会所的機能が場所を移すとともに、残ってきたミヤも多くのところでは姿を消していったのだろう。
 

喜界島と城久遺跡(21)ウラトミとムチャカナ

◆ムチャカナ公園というところがある。ひととおり詳しい説明板がある。島の伝承で民謡にもなっているムチャカナの悲劇。説明c2db6be8.JPGによれば、奄美大島南の瀬戸口でウラトミという美人の娘が暮らしていたが、薩摩の島役人が島での妻になれと強引に迫り(西郷隆盛にも島妻はいた)、両親が船で逃がしたところ、喜界島の小野津にたどりつき、そこで結婚してムチャカナを産んだ。
◆これが絶世の美女で、村の男という男がムチャカナに求婚し、島の若い女たちが嫉妬し、船で沖に連れて行き、突き落として殺したという話のようである。
◆ところで、町の公民館に勤める女性がCDを出しており、3曲入りのその音楽が、4日間ともレンタカーで流れ続けた。その3曲目はムチャカナの民謡をアレンジしたものである。1曲目の歌は、鹿児島-喜界島間のみならず、鹿児島-伊丹間の飛行機のなかでも流れていた。
◆ムチャカナ公園の脇から下に降りたところにウラトミの墓がある。
【付記】写真はムチャカナ公園とは違います。イメージ画像です。
 

喜界島と城久遺跡(20)平家の森

◆東海岸の、早町の港を見下ろすような位置にある。約200mあがった頂部のへりにある高台。前に下部に島尻層があって石e4563f24.JPG灰岩が覆うと言いましたが、およそ東北から西南にのびる島の、東側は、浜地である平地があり、いきなり200mくらいの急斜面が立ち上がる。一方で、西側は、東寄りにある最高部から、段々と下がっていき海に達するという地勢である。
 

喜界島と城久遺跡(19)高倉

◆南の灯台(なんとか崎)、このあたりからイオスキッスの調子が悪い。シャッターが降りたようで撮れておらずエラーが出るよ33a3cac1.JPGうになる。灯台の写真も撮ったつもりだがなし。
◆次がフナンデー石。ちょっと説明できませんが、看板によれば船をつなぎ止める繋留のための石とのこと。
◆それから高倉。これも全景を撮ったつもりが取れていない。沖縄と同じように、高床の倉だが、ここ喜界島でも残っているのは、見せてもらった1カ所くらいという。あらかじめ連絡してくれており、「どうぞどうぞ」と見せていただく。とはいえ、現代的改変も大きく、ほんらいのままの姿ではない。材木はよく知らないが、けっこう大きな柱と板材で、どれくらい耐用年数があるものなのだろうか。現存するこの高倉は、いつ建造されたものだろうか。
◆構造などは沖縄と同じなのだが、四辺に文様を刻むのが喜界島の高倉の特長なのだという。格子文、ひょうたん、斜線、山形など。印象だけだけれども、家紋的にも見え、これらの文様は日本的なるものではないかと思われた。沖縄と共通する高倉だが、文様は沖縄にはない、とすると島津が侵攻して、喜界島にも代官所が置かれ、あるいは島の人が薩摩に出向いて家の蔵に紋を入れているような姿を見たこともあるかもしれない。そういう影響で、文様を刻むようになったのではないか、と感じた。
 

喜界島と城久遺跡(18)ウリハー(井戸)

◆そのあとウリハーという井戸を見に行く。垂直に掘り下げるのでなく、スロープで下っていって、ある程度の深さになったところee2ef763.JPGに井戸が掘ってある。その部分は地上まで垂直壁になっており、地下坑というわけではない。井戸までほぼまっすぐのスロープと、螺旋状に巻いて降りていく2タイプがあるらしく、いま残る両者が町の史跡になっている。いずれも、もちろんもともと屋敷内にあるもので、一方は人の家の中に現存するもの(もう使ってはいませんが)、もう1カ所は、無人になって道から入った草むら中にある。
 

喜界島と城久遺跡(17)地下ダム

◆初日からこの話を聞かされていた。見学できるというので行ってみた。1992年12月から2004年3月までを費やした国営大規e27789a6.JPG模公共事業。高さ35mで、長さ2.3キロにわたるコンクリートの壁を地下に構築する。掘削機で穴d2765267.JPGを開け、刳り抜いて、コンクリートを流し込む。こうしてできあがったL字で囲まれる部分の石灰岩土壌のなかの水分は、遮蔽され、抜けてしまうことなく滞留する。それをポンプアップし、パイプラインで島中に水を引くというものだ。いったい総工費はいくらくらいなんだろうか。百億円オーダー?。
◆途中の数百mだけが地表からではなく、トンネルを横から抜いた上で、そこから掘削され、そのトンネルが公開されているの。
◆事務所があり、事業の紹介動画を見てから、トンネルに降りていく。なにかがあるわけではない。関係者の名前を掲げたプレートくらい。ある継ぎ目からは漏水が激しいようである。出口の階段を上がる。
◆出たところには、何だろう農産物の研究施設みたいなのがあり、その手前が、特産品の売り場、そして軽食が取れるスペースになっている。で、お茶にする。
 

喜界島と城久遺跡(16)2日目、まず俊寛僧都の墓

◆照屋さんとは何時に約束していたのだろうか。8:30だったろうか。レンタカーを松原邸に置かしてもらっているので、照屋さん3f8ec9b6.JPGが来て、出発。
◆まず町の綜合グラウンドの弓道場を入っていったところの崖面に露出しているという貝層を見に行く。貝塚といえるものなのかどうかはわからないということだった。
◆そして俊寛の墓に行く。俊寛僧都。ATOKでも「しゅんかん」と入れれば変換される。「やれ連れて行け」とかなんとか、学校時代の能?とかで見たことがある。言うまでもなく鹿ヶ谷の陰謀で流されたわけである。ところが喜界が島がどこなのか、もうひとつの別名硫黄島の方なのか、ここ喜界島なのか、未決着らしい。どちらにも銅像があるという。硫黄島の俊寛は手を差し出して助けてくれ~の姿。
◆『平家物語』で流されたところは火山島のように記述されているらしく、そこからすると硫黄島の方ということになる。それと、やはり流刑の地となっていたということも事実のようである(いつごろの話か不正確だが、12世紀ではなく、そのあとだろうが)。12世紀の遠島などまったくわからないが、死ぬだけのような場所なのか、監督できるような場所で監視するのか?。喜界島の12世紀を考えれば、要するに城久遺跡というものの存在を考えれば、こっちちゃうのか、と考えたが、簡単ではないんだろう。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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