人を幸せにする人になろう

喜界島と城久遺跡(16)2日目、まず俊寛僧都の墓

◆照屋さんとは何時に約束していたのだろうか。8:30だったろうか。レンタカーを松原邸に置かしてもらっているので、照屋さん3f8ec9b6.JPGが来て、出発。
◆まず町の綜合グラウンドの弓道場を入っていったところの崖面に露出しているという貝層を見に行く。貝塚といえるものなのかどうかはわからないということだった。
◆そして俊寛の墓に行く。俊寛僧都。ATOKでも「しゅんかん」と入れれば変換される。「やれ連れて行け」とかなんとか、学校時代の能?とかで見たことがある。言うまでもなく鹿ヶ谷の陰謀で流されたわけである。ところが喜界が島がどこなのか、もうひとつの別名硫黄島の方なのか、ここ喜界島なのか、未決着らしい。どちらにも銅像があるという。硫黄島の俊寛は手を差し出して助けてくれ~の姿。
◆『平家物語』で流されたところは火山島のように記述されているらしく、そこからすると硫黄島の方ということになる。それと、やはり流刑の地となっていたということも事実のようである(いつごろの話か不正確だが、12世紀ではなく、そのあとだろうが)。12世紀の遠島などまったくわからないが、死ぬだけのような場所なのか、監督できるような場所で監視するのか?。喜界島の12世紀を考えれば、要するに城久遺跡というものの存在を考えれば、こっちちゃうのか、と考えたが、簡単ではないんだろう。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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