人を幸せにする人になろう

高鴨神社2011年6月12日

◆思い起こせば、最近は神社仏閣巡りというか、寺院はどうでもよくって、神社フェチのような状態である。むかし4d7a17c2.JPG8cad7553.JPGはそうではなかったが、古墳時代をやっていると、やっぱり神社は重要ですからね。あちこちに行っては、神社にそこそこ足を伸ばしていると思う。このブログでも、けっこう神社を拾えるだろう。
◆まあ行ったからといって、そんなに書くことはないと思うが、ひとつ神社へ行ったら、これを1記事に独立させてみよう。集めたら、神社巡りの小冊子になるかもしれない。
◆で高鴨神社。先の鴨都波神社とともに、これも鴨氏の神社。こじんまりした感じがよい。だいたい、江戸時代とかに幕府と仲良くして社殿を立派にしたようなところは多いが、そんな成金でない、古風さがよい。御所の金剛山東麓から続く斜面地にひっそりと佇む。社域がそこそこ広く、斜面あり谷ありと、古くからここにあって、ず~とそうなんだろう。
◆五角形の「合格」鉛筆を息子に買う。

久しぶりに

◆6月12日からの週、なにかとシンドク、ブログともご無沙汰だった。今日、20日、少しほっと一息。先週、1週eb7f049f.JPG間のことを振り返ってみようか。
◆12日の日曜日。というか前日の土曜日、1日大学で仕事をして、18時頃帰宅し、それから和歌山へ。大歴の大会の議案作りで、この前後は追われていた。
◆13日月曜日。大歴の委員会。14日火曜日、例の鏡の写真撮影で京都に行き、泉屋博古館で3面、京都国立博物館で3面。ともに大学の後輩と先輩の学芸員で、気楽に撮影させてもらう。泉屋は、権現山51号墳の報告書の時に、同笵鏡の観察に行った時以来だろう。たぶん1990年くらいの話だから、20年ぶりということになる。まあ、中国の青銅器を見に行くことはないわな。
◆水曜日、2限の授業後、池田市立歴史民俗資料館で1面、そのあと関大博物館で3面、うち2面は津堂のカケラ。展示室での撮影で、もしかするとはじめて関大の博物館の展示室をまともに見たかも。すごいわ。大学の博物館って、こういう研究展示のようなものであるべきですよね。同志社もそうだった。京大は、立派な博物館ができたのはいいけれど、ありきたりの展示ケースにいいものが並べてあるだけの普通の展示で、ち~とも大学博物館らしくない。研究室付属的なゴテゴテならべた、そういう博物館こそが大学の博物館と思う。で、本山コレクションを基礎とする関大の博物館はすごいわ。とはいえ、研究会に間に合うように帰らなきゃいけなかったので、そそくさと・・・。結局、眺めたが見てはいない・・・。


あんまり調子はよくない(2011年6月6日-10日)

◆豊中市に撮影に行く。大塚の甲冑は展示されていないのだそうだ。近つで並べたとき、地元のみなさんがバスを出して近つに見に行ったのだという。なんとかしたいが、いまの財政状況では厳しいと。なにも新たに施設をつくる必要はない、資料を見せていただいた中央公民館に、大塚コーナーを作れないものか。
◆そのあと、伊居太神社で三角縁神獣鏡1面。真ん中が欠けている。同笵鏡でいいのが樋口先生の図録にあり、四国で出たものらしいいが個人蔵。背景にこの完形の写真をハーフトーンで入れるかどうか・・・。
◆白鶴美術館に2面あるのを撮影にいく予定もあったが、学内業務があって延期。そして週後半は、八尾市の個人宅と歴史民俗資料館。この個人さん、かつて200町歩を所有していたらしい。祖父は大阪府の第1号貴族院議員だったのだとか。八尾市教育委員会の方の口利きで、スムーズに撮影させていただく話が整って実現。
◆資料が増えていくのは楽しいが、実はあんまり調子はよくない。同成社の原稿もかなり書いたが、気が重いのは2~3の別業務。なんとか遅れをとりもどそうと、いま11日、土曜日、大学にいる。少なくとも、土日のうち1日、その週の後片付けをしないと、モロモロ処理が追いつかない。

大阪城の石垣のレーザースキャン

◆大阪城の調査の件で、6月2日に再び天守閣に行く。天守閣館長と、大阪産業大学の玉野先生、関西大学の西形先生で、本格的な石垣のレーザースキャンをやる打ち合わせがあり、飛び入りで参加させてもらう。
◆前に一度、ざっとやっていて、その動画もよかったが、今度はより精細にすべてやっつけようというもの。関西大学がぜんぶやるとのことで、ここにはウチが入っていく余地はないな~、と思って帰ってきた。ただし、両先生とも土木が専門で地盤や石垣の設計に興味をおもちなのだが、文化財としての観点、天下普請の西国大名の工区分担など歴史学的な検討の観点から、食い込む余地はあるかも。
◆西形先生は関大の文化財修復センターの活動で、エジプトでも仕事している。
◆石舞台の話を振るが、それは文学部だろうとのこと。科研の挑戦的萌芽が採択されたら、もう一度、石舞台にアタックしようと思っていたが頓挫・・・。かわりの金はないな~。大阪市大の新産業創世研究で再度金を取ってこようかとも思ったが、要項が変わって、なかなか応募できるような条件にはないのであきらめる。

岩倉窯跡群に行く

◆さて、ラーメンは食べたが、カミさんの会が終了するまでどうするかを考え、結局、どうしたと思いますか。岩27c3b0b4.JPG倉に行って窯跡を見に行ったのです、これが。
◆まず、木野墓窯、これ北白川廃寺の創建瓦を焼いた瓦陶兼業窯。京都国際会議場の脇にある。プリンスホテルができたのが大学時代。なんとなく、場所は覚えている。国際会議場周りは、地下鉄も通ってだいぶ様変わりしていた。木野墓窯に行く人ももういないだろう。東西方向の低い丘陵地で、頂部と北斜面が墓地、南斜面に窯がある。檜の植林地で、昔は手入れが行き届いていて見通しがよかったが、いまは放置状態。が、やっぱり須恵器と瓦がゴロゴロ落ちている(右写真)。山田寺式軒丸瓦を拾いに行ったのだが、そんな簡単ではない。が、杯GかAの蓋が重なった窯着している破片をゲットした。飛鳥Ⅲといわれている。
◆某K府立大学のHさんは、このあたりが専門で、大学からも至近、岩倉って格好のフィールドになると思うんだけどね。まあ、木野墓窯は、人知れず、いまのところ壊されることなく昔のまま、遺跡は残っていた。
◆次に深泥が池東岸窯に行く。7世紀第1四半期としたが、現時点でいえば、もうすこし下るんですかね~。阪大の高橋照彦君らの代に、それまで知られていた東岸窯とは別に、手前に南岸窯と名付けた別の地点があることが判明したのだっけ。
◆深泥が池、これ国の天然記念物ではあるのだが、訪れる人も多くはないんでしょう。天然記念物なので、公園のように整備するわけにもいかないのでしょう。あるがままの姿を残していく、というところか。で、訪れる人も、南の堤防のところで説明板を読んで池を眺めて終わりなんでしょう。東岸窯にいくには、湖岸を東に歩いていくのだが、あんまり人が歩いているようには思えなかった。山が迫って木道を敷いているところなど、グスグスになっていて、引き返す人もいるのでは。
◆で、窯跡、たしかこのあたりと思われるところにたどりつき、確かに須恵器片が落ちているが、ほとんど腐葉土に覆われて隠されている状態で収穫なし。
◆最後は妙満寺裏窯に行くが、ここもほとんど人が入らなくなって荒れ放題。いちおう進入してみたが、ここも収穫なし。

ますたにのラーメン

◆そのあと、まず昔の下宿界隈を歩く。まず、ますたにでラーメンを食べる。下宿していた桂華寮はまだ下宿屋らし56b47872.JPGい。管理人の方もまだ住んでいるようで表札があがっていた。いつも晩飯を食べて2749a97c.JPGいた「渚」はない。いつもマンガを読んでいた喫茶店「フィレンツェ」もなくなっていた。いつも飲み会となると行っていた「ゴエモン」もなくなっていた。20年たっての様変わりである。就職したのが1991年なので、ちょうど20年が経ったわけである。
◆で、「ますたに」は健在。健在どころか、支店を広げているようだ。で、銀閣寺道にももう1軒あるようだが、本家本元の「ますたに」に行く。昔とかわらない店のなか、出てきたラーメンも、こんなだったとなつかしい。そして、驚いたのは、渚のママが「ますたに」にいたのである。よっぽど声をかけようかと思ったが、やめた。渚には毎日のように通ったが、覚えちゃいないだろう・・・。むかし定食を食べていた頃、小さな子供さんがいたので20代後半くらいだったのだろうか。そう考えると、ほとんど同世代?、ということになる。
◆このあとのことは記事を改めるが、車で白川通りを北上すると、東大路のところに「ガラムマサラ」があった。ここも時々、カレーを食べに行っていたが、昔は少し入ったところにあったはず。営業が順調で、表通りに店を構えるに至ったらしい。

京都に行く

◆6月4日、京都・銀閣寺道の橋本関雪記念館で、カミさんの京都大学工学部時代の恩師である土屋先生a6a5801b.JPG(奈文研の綾村さんにそっくりだった記憶がある)が朝日賞を受賞したので、その記31c6ef0f.JPG念の会が開催されるというので、京都にでかける。オレは銀閣寺道の下宿に7年いた。
◆午後1持スタートらしく、早めに行き、まず東天王町の旧山本コーヒー、いまはハナフサという喫茶店に行く。ここのコーヒーはうまく、何回か昔いったのである。モカのストレート、やっぱりうまかった。
◆それから京都府植物園。ちょうどバラのシーズンなので行く。思い出深い場所だ。どう思い出深いかは差し控えておく。まあ、老若男女、ええカメラもってはるわ~。ジイサン・バアサン(失礼)、一眼レフデジカメをぶらさげ、花を撮っている。
◆で、1時前、銀閣寺道でカミさんを下ろした。

スザンヌ=ゲイ Historian as Citizen

◆この日、アメリカのゲイ女史の講演を聞く。日本中世史の専門家で、むかし日本に勉強に来ていたとき、仁f3293737.JPG木さんが京大ドクター時代でチューターをやって以来のつきあいらしい。3e886879.JPG
◆この講演会は、市大のIS(インターナショナルスクール)事業の一環。で、話は、歴史学者の市民としての役割みたいな話。歴史学者が歴史的事実にもとづく専門的な立場からの発言、それのみならず、現在の政治や社会問題に対する発言、そうしたものに対するオカミの側からの弾圧の事例を、古今東西の事例を紹介する。そして、いろいろな活動の仕方があり、政治家になる、役人になる、政治的発言を積極的にやる、いろいろありうるが、基本は、歴史教育を通して市民に事実を伝えること、といった話。
◆IS事業なので、読み原稿をパワポでスクリーンに映し、わりあいゆっくりと話してくれる。だけど英語。半分くらいは理解できたか?。テキサス州の教科書問題が面白かったけれども、結局、どうなったのだろうか。ネットで調べてみよう。

府センターの鏡

◆弥生博で、特展中の池島・福万寺遺跡出土の鏡4点の撮影。塚本君にお世話になる。2001年、茶臼山の測量9971b201.JPGの時、いま鳥取県の君島君が連れてきた東大生だった。どっかで見たことあるな~と思っていたら、そうだった。またまた言われるまでわからず失礼なことをしてしまう。続縄文をやっているという話を聞いたことを思い出す。報告書ができた時、君島君から大阪にいると聞いて送ったはずだ。ごめんな。
◆弥生博のみなさんと名刺交換。壁には入館者グラフ、5万人を超え、ノルマの数字は達成しているとのこと。次年度のことは、6月中にも決まるのだとか。いまさら廃止はないとは思うが・・・。近畿弥生の会の支援も続いている。写真を撮っている時、外では小学生が竪穴住居の組み立てキットで体験学習。これ人気があるらしい。
◆翌日、府センター中部事務所に鏡の写真を撮りに行く。岡戸さん、河端さんにお世話になる。玄関でタバコを吸っている秋山さんに会う。実にひさしぶりである。
◆そのあと、同志社田辺キャンパス。若林さんにお世話いただく。同志社の資料館、むかし新町キャンパスで展示室を見た記憶がある。京田辺に移ってからも、一度、岩倉古窯跡群がらみで須恵器を見に行った記憶があるが、覚えちゃいない。やはり井辺八幡山の資料がすごい。それ以外にもちょこちょこと気になるものがあった。津堂城山の盾形埴輪とか・・・。

大阪城天守閣

◆大阪城の調査の関係で、天守閣に行く。内容はいずれ公表できるときがきたら書きます。で、天守閣。これでa9d4169e.JPGたったの2回目。数年前に1度行ったが、これは学芸員の人に会って話をきくため。このときは展示をみなかった。今日、5月31日、10時に館長と約束していたので、展示を見ておこうと9持に行く。
◆学校の見学と中国人が朝早くからいる。8階まで階段で上がると足ががたがたになる、情けない限り。展望台から周りをながめ、ひとつずつ下りながら展示を見る。実際に資料がならぶのが4階と5階だったか。まあ考古資料としては瓦くらいだが、やっぱり文書とか絵図とかがメイン。一通り見て勉強になった。
◆端から忘れているが、豊臣秀次事件のことと、夏の陣後、秀頼には一男一女の子供がおり、息子は殺されたが、娘は尼になって没したということを知る。それと1階に行くと、「プリンセス・トヨトミ」のポスターだらけであった。ロケ地として客を呼び込もうとしているらしい。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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