人を幸せにする人になろう

『延喜式』の檜隈坂合陵

◆『延喜式』段階では、仁徳陵は大仙、応神陵は誉田御廟山、履中陵は上石津ミサンザイとされていたことは、兆域が8町四方、5町四方、5町四方で、たぶんそうだったんだろう。欽明陵は4町四方。これは300mの五条野丸山にふさわしいんとちゃいますやろか。決史八代のうちの3つ、舒明の父母をのぞけば、崇神から舒明までの陵のほとんどは1~3町で、4町以上は上に挙げた四つのみです。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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