人を幸せにする人になろう

遊びで邪馬台国を

◆邪馬台国九州説を乗り越えることをいろいろ考えるわけです。トータル論は別です。倭人伝の記 載からすると九州内だというもの。これ実にその範囲では説得的なわけです。それがすべてとは思ってませんよ。それならそれで、奴国や伊都国をも従える邪馬台国を明らかにする必要がありますよね。それにふさわしい遺跡や、北部九州の中での卓越を示すことがセットでないとダメですよね。
◆で、マツラ国から伊都国が東南で、伊都国から奴国が東南で、ということでいけば、図のようなものになるわけです。奴国から、投馬国まで水行20日というのは、どういうことなんですかね。川を遡上したというのもいいけれど、きっと筑後まで歩いていく方がいいんとちゃいますか。で、投馬国とか邪馬台国とか、水行や陸行となるのは、おっしゃるように陸地で、むこうが見えているような間の○里といった捉え方ができないということなんだろう。ゆっくり筑後に向かったって別にいいけど、船で瀬戸内海を行く、ゆっくり行ってもいいけど普通の行程で行っても別にいいわけです。
◆すべてを整合的に捉えることはできない。有利不利はある。が、決定的とはいえない曖昧さがある。倭人伝の経路記事だけで特定できるものではないわけです。遊びです。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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