人を幸せにする人になろう

で、2019年6月29日

◆中尾論文集の仕上げにかかる。が・・・。唐尺の29.6㎝とか29.7㎝が、まあ8世紀の安定した数字だろうが、高麗尺35.5㎝というのはこれにもとづく6/5なんですよね。唐尺でも難波宮が29.2㎝というように、7世紀代の高麗尺がなんぼなのかは実際にはわからない。35.5㎝で安定しているかもしれないが、変化があるのかもしれない(6世紀代の横穴式石室を分析する際もすべて35.5㎝を使ってきたが)。
◆しかし、横大路上の南北3道の間隔が1000歩というのはまあいけると思われるわけだが、岸先生は地形図で2118mを読み取って立論。これでいくと35.3㎝なんです。で、グーグルアースとか、国土地理院のデータで、ネット上で計測すると、それより短くほぼ2111mくらい。これでいくと35.2㎝。I君が四天王寺東門の座標などから難波京で求めた数字は、35.4㎝です。
◆論文で、飛鳥寺・百済大寺・山田寺の中心伽藍を35.5㎝の歩数メッシュでやっていたのを、急遽、35.2㎝メッシュにやり直す(難波宮29.2㎝を尊重)。3寺院の回廊南北幅はすべて40歩だが、このくらいの距離でも3mm違うと微妙な差が出る。論旨には影響はないが、気持ちが悪い。35.5㎝の方が割りとピッタリだったので。
◆これが京域とか数キロになってくると、どうしようもなくなる。この辺は、頭のいい方法論が必要ですね。標準的な寸法で除して、1000歩といったようにキリのいい設計寸法が想定されるものから、逆に1尺を算出する。こうした事例を蓄積して、偏差やばらつきを押さえ、平均値を設定する。それで初めて、たとえば7世紀中頃はとか、7世紀後半の高麗尺は、という議論が成立する。
◆とはいえ、論文の〆切は過ぎており、どう組み立て直すか。35.5㎝と35.2㎝では、内裏南門中心点から、宮城南門までの距離が180歩とみていたものが185歩になってしまう。ああ、書けない・・・。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
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男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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