人を幸せにする人になろう

三ツ塚

◆前に来たことがあるかどうか不確か。一回くらい来たような気もするが記憶が定かでない。3つの方墳がならぶ7267af3a.JPGが、2つが宮内庁の仲津山陪塚で、ひとつが史跡。が、仲津山の築造された段丘ec94c083.jpgの斜面部含めて住宅地となり果て、三つを見通すことができないし、近づけないようなものもある。修羅が見つかったところにも、とくに看板はなかった。土師の里の埴輪窯を含めて、もったいないが、なかなか宅地が貼り付いてしまったものを動かすことは難しい。斜面にならぶ埴輪窯も、一部史跡公園で確保できれば、アクセントになっていいのだが。
◆ところで三ツ塚だが、5世紀説と7世紀説があるらしい。助太山古墳の頂上に二つの巨石があり、これが740798214.JPG世紀の石槨の天井石でないかとみられているらしい。それで、東側の陪塚二基の間で修羅が出土した際に埴輪が出ているが、おそらく窯跡が北にあるもんだから、ほんとうに5世紀でいいのかが疑われ、南辺をそろえた三ツ塚はすべて終末期古墳ではないかとの見方が生まれているらしい。
◆確かに助太山の石は「なんじゃこりゃ」というシロモノだ。二上山かどうかわからんが凝灰岩で、風化しているが、板状で、きれいに調整された石材のように感じる。南側の裾部で埴輪片を拾ったが、これも土師ノ里の窯のものか?。でも、中身がぜんぜんわからんというのはどうなんか。助太山の墳丘と濠をしっかり掘って、頂部も露呈させて養生した方がいいように思うがな~。

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雲楽
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男性
誕生日:
1964/03/22
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大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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