人を幸せにする人になろう

仲津山(オオササギ墓)

◆北側がいいのだが、三ツ塚に行くため、南側を歩く。濠は市野山よりも深く、かつ急で、そして墳端まで近b868b899.JPGい。つまり濠底の幅は狭い。規模の小さい市野山の方が広い。
◆これ、オレの2系列の根拠のひとつ。墳丘本体を割り付け、濠の肩をどれくらb842b1a6.JPGい離して設定するか、主系列と副系列で、設計が異なっている。仲津山-大仙であって、津堂-ミサンザイ-御廟山-市野山とは違う。だが、古墳時代に王が2人いるという以前に、倭国王墓に2系列があること自体、あんまり認めてくれない。
◆オオササギというのは、たいした根拠はない。前の論文では、津堂のあと、仲津山とミサンザイがあると、で、仁徳と履中に年代的ダブリがあると、なので、仲津山は神聖王墓でウジノワキイラツコ、ミサンザイは仁徳(履中)といった表記をしたように思う。が、そのあと、ホムダワケ-イザホワケ-ミズハワケ-オシハワケと、ワケが連続することに意味があり、それこそが副系列墳、すなわち執政王の身分的呼称と考えられた。だから、仁徳がオオササギでオオササギワケでないから、ウジノワキイラツコが実在するかどうかはわからんが、応神の詔り分けがあるとすると、神聖王オオササギ、執政王イザホワケと考えればよいと判断したもの。ウジノワキイラツコ=オオササギ、ということだ。オオササギが527年、イザホワケが533年没だったか。忘れたが、まあそんなところでイインではないか。
 

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雲楽
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男性
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1964/03/22
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大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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