人を幸せにする人になろう

今度こそ、郡山ニキヤマ

◆5世紀前半!有黒斑!。中期末とか後期前半でない。墳丘が傷んでいることは陵墓図からも一目瞭然だが、葺石がほとんどはずされて、削り込まれ、そこに1mとか、1m半とabc92702.JPGかの流4c8d1151.JPG土がかぶる。見ると、墳丘の傾斜は緩い。10度ないだろう。まわりからの削り込みといったものでなく、墳丘斜面全体に手が入り、かなり崩された結果の姿が現状なのである。
◆後円部の調査区では、同様に石無しとはいえ、墳丘斜面やテラスの名残があり、残りが良かった。5世紀前半なんだから、ふつうは3段築成だろうし、調査区の位置から考えて、下段斜面+テラス+中段斜面と見ていいんではと思われる地点があった。なので、だいたい、後円部の3段は復元できそうだし、そうなると、おおまかながらも前方部側も可能だろう。
◆そして、ここまでの改変理由として、郡山城築城というのも、十分蓋然性のあることだろう。まあ、調査成果そのものは、このくらいにして(なんもわからないかもしれませんが)、『書陵部紀要』を待とう。
◆ここから先、2点言いたいことがある。周濠は実によく残っているんだろう。地表下50㎝下くらいか。くびれ部の調査区では、前方部側面と造り出069c333f.JPGし側面があり谷線が下っていく7cc45d39.JPGが、調査区端でそこまで。もうちょっと外で裾に到達するのだが、民地なので掘っていない。水平距離であと1mの範囲内で、ばっちり出るんではないか。大和郡山市が共同調査あるいは同時調査をやってくれればと思う。これ、われわれの側も考えるべき問題。対宮内庁には、管理している陵墓が実はカバーできてなくて、はみ出ているんだから、いまさら買収というわけにはいかんが、せめてどこまではみ出てるんか、要所のトレンチだけでいいから伸ばして確認しておくことも必要ではナインか、といつも訴えている。別に掘っていけないことはない。了解取ってのばせばいい。管理地でない範囲の土地の調査に宮内庁予算をつぎ込むことも、目的が明確だし過大な規模でないんだから、やってよと。が、まあ現実は難しい。ほんとは宮内庁自身にやってほしいところ、それがかなわないなら次善の策として、百舌鳥御廟山で画期的な先鞭がつけられたわけだから、共同調査や同時調査を定型化できないかとと思う。とはいえ、学会側が掘るわけにはいかない以上、地元地方公共団体に働きかけるということくらいなのだが。
◆2点目は、なんだっけか。そうそう、5世紀前半となると見る目が変わる。そういう目で見ると、周濠の幅は狭いかなと。今度、図面を重ねてみるが、いまの感触では、こないだ古市古墳群のところで書いたように、仲津山か大仙かではないか、とオレは見る。かつ、仲津山か大仙かで歴史的意義は変わってくる。たとえば、心合寺山は大仙。つまり5世紀前半の履中系-葛城全盛期のものなのか、主導権が允恭系に取って代わった段階のものなのか、という差だ。ま、仲津山と大仙は枠組みが一緒で、前方部の発達具合の差なので、あそこまで崩されている新木山の場合、墳丘では決まらないだろう。埴輪で時期がもうすこし定まればと思う。とはいえ、一瀬さんの話では、大和の中期古墳はTK208くらいまで野焼きが続くらしいので、ふつうなら大仙の段階ならアナ窯なのだが、そのへんが地域差があって定まらないということらしい。5世紀前半と言っておけば無難だが、そこは5世紀前葉か中葉か、決まらないものか。前者なら仲津山型、後者なら大仙型になる。
 

この記事にコメントする

お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

この記事へのトラックバック

この記事にトラックバックする:

プラグイン

カレンダー

09 2024/10 11
S M T W T F S
1 4
6 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

カテゴリー

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

バーコード

ブログ内検索