人を幸せにする人になろう

大学とは何か

◆すいません、大上段なタイトルになりました。文学部のよく知った教員2人が阪和線のなかで話を したことがきっかけで、こうした企画が生まれたとのことです。文系の整理とか、こないだのオッサンの意見とか、ケイエイとかコウリツカとかエイゴだとかジツガクだとかを叫ぶ風潮に対し、大阪都構想、その一環としての大学統合の外的圧力のなかで、一方的にやられていたが、いまこのとき、中にいる人間が、大学について落ち着きある状態で自由に話をしませんか、というのが趣旨のようである。
◆こないだのオッサンの意見に対する反論でもあるが、文系の学問も、ある特定の病気に対する薬といった形でないが、間違いなく実学なのである。高校までの学力を基礎としつつ、大学は社会に出て行く手前の、特定分野における研究という営為、すなわち自分が資料や現象という生データにもとづいて証拠を集め分析を加え、妥当な理解を論理的に導く実践そのものなのである。人間の能力、理解力にしろ洞察力にしろ解決力にしろ、それは自分で考えてきたことの総量ともいえるが、それは広く学ぶだけではダメで、深く掘り下げることが決定的に重要なのである。学問の世界もバカにしたものではなく、新しい世界を切り開いていくのは相当に厳しい。大学は、専門的な研究というフィールドで勝負することを通して、深く掘り下げ本質をつかんでいくことのできる人間を育てるのである。学問分野はさまざまあれ、それぞれの分野における専門的な研究こそが、そうした力を身につけさせるのである。皮相な比較とかではない。たかが卒論、されど卒論なのである。適当にやった人、どんどん前進していった人、大学4年生での人間の成長度の差はきわめて大きく、それはその後の人生においても影響を及ぼすであろう。
◆社会で1人前の人間として働き、またこの長寿社会で死ぬまで成長を遂げるためには、社会に出てからの経験はもちろんすこぶる大きいわけだが、深く掘り下げ自分でものごとを考える人間となるため、大学で卒業論文に取り組むという実践がきわめて重要なのである。T先生の言い方でいくと「自分になる」ということ、ほかの誰が考えたものでない、自分が脳みそを使って考え抜く、それこそが自分を作り上げる基礎になるということだ。人として生きていく上で、専門学校とは異なる、きわめてプラクティカルなものなのである。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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