人を幸せにする人になろう

岩倉窯跡群に行く

◆さて、ラーメンは食べたが、カミさんの会が終了するまでどうするかを考え、結局、どうしたと思いますか。岩27c3b0b4.JPG倉に行って窯跡を見に行ったのです、これが。
◆まず、木野墓窯、これ北白川廃寺の創建瓦を焼いた瓦陶兼業窯。京都国際会議場の脇にある。プリンスホテルができたのが大学時代。なんとなく、場所は覚えている。国際会議場周りは、地下鉄も通ってだいぶ様変わりしていた。木野墓窯に行く人ももういないだろう。東西方向の低い丘陵地で、頂部と北斜面が墓地、南斜面に窯がある。檜の植林地で、昔は手入れが行き届いていて見通しがよかったが、いまは放置状態。が、やっぱり須恵器と瓦がゴロゴロ落ちている(右写真)。山田寺式軒丸瓦を拾いに行ったのだが、そんな簡単ではない。が、杯GかAの蓋が重なった窯着している破片をゲットした。飛鳥Ⅲといわれている。
◆某K府立大学のHさんは、このあたりが専門で、大学からも至近、岩倉って格好のフィールドになると思うんだけどね。まあ、木野墓窯は、人知れず、いまのところ壊されることなく昔のまま、遺跡は残っていた。
◆次に深泥が池東岸窯に行く。7世紀第1四半期としたが、現時点でいえば、もうすこし下るんですかね~。阪大の高橋照彦君らの代に、それまで知られていた東岸窯とは別に、手前に南岸窯と名付けた別の地点があることが判明したのだっけ。
◆深泥が池、これ国の天然記念物ではあるのだが、訪れる人も多くはないんでしょう。天然記念物なので、公園のように整備するわけにもいかないのでしょう。あるがままの姿を残していく、というところか。で、訪れる人も、南の堤防のところで説明板を読んで池を眺めて終わりなんでしょう。東岸窯にいくには、湖岸を東に歩いていくのだが、あんまり人が歩いているようには思えなかった。山が迫って木道を敷いているところなど、グスグスになっていて、引き返す人もいるのでは。
◆で、窯跡、たしかこのあたりと思われるところにたどりつき、確かに須恵器片が落ちているが、ほとんど腐葉土に覆われて隠されている状態で収穫なし。
◆最後は妙満寺裏窯に行くが、ここもほとんど人が入らなくなって荒れ放題。いちおう進入してみたが、ここも収穫なし。

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雲楽
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男性
誕生日:
1964/03/22
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大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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