人を幸せにする人になろう

岩屋山の墳丘がわかりませんかね~

◆難問です。明日香村の図と、奈良県の図と、方位も違うし、まあよくわかりません。奈良県の図 をベースに明日香村の図をあわせトレンチを落とし、いろいろやってましたが、住宅地図で見ると、石室は南面してません。かなり振れはある(10度)。奈良県の図の方位は真北でない。磁北だとこんなんなんですかね。
◆西宮の復元図を参考に、天井石部分を上段、羨門部の先端を中段とし、いちおうその下にももう1段あるとしました。玄室奥壁が墳丘中心でもあるのか、そのへんがわかりませんが、残存墳丘の状況からそう考えて、北側は折り返します。なかなか痩せ細った墳丘で、いまの等高線から多角形状だということは危ういかも。明日香村トレンチでのバラス残存状況から指摘されているようですが、いまの復元案のような8角にせよ、これを22.5度ふったものであれ、説明がつく位置ではない。まあ、しかし上段部相当の墳丘はそこそこ8角的か。下段があるかどうかも怪しいかも知れませんが、東北に残丘があって(逆?)、その間が溝状のようで、それからすると方墳ではしんどく、8角にしてみると、辺としてはいいのかなと。
◆段の塚の8角が南北東西に稜角が張り出す設定とされており、それが7世紀後半には方墳の隅落としの8角になるとされている。右の図は、古いタイプでないということになるので、そのへんがしっくりきません。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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