人を幸せにする人になろう

独自と統制

◆個人個人が異なる、地域も地域で異なる、そうした多様性が大事。ヒトは自由で、生活単位である地域も、それぞれ独自性をもつ。が、国家ができる。国家の枠そのものは必要悪であるのだろう。競合を防ぎ、争いを収束させ、上位の公権力を設けることで秩序を維持する。
◆が、国家という枠組みができると、統制しようとする力が働く。そこに地域と国家のせめぎあいが生じる。家康は、為政者たるもの、重箱の隅をつつくような細かい点まで介入するな、鷹揚に構えて観察しておれ、みたいなことを言っているようですが。
◆地域の活力あっての全体のパワーになる。統制国家になればなるほど、地域は独自性を発揮しにくくなり、自発的発案や活動に制約がかかり、全体のパワーも失われていくのだろう。
◆そして国家の意義も、歴史的には変わりうるもの。人間が作り出した国家も、成熟によって意義は変わってくるはず。いつまでも19世紀的な国民国家ではありえない。基本的には地方分権的なもの、地域の独自性が重視され、国家の役割は最低限に絞りこまれるべき、と思う。
◆日本で言えば、ひとつには、国が所得税を握り、国会議員が、何兆円もの予算をまるで自分らの金のように使いみちを決定する。ゴーツートラベルにせよ、何にせよ。規模が大きすぎることはよくないことだ。電通とかとの巨大な利権構造が形作られる。地域の人々の納めた税金は、その地域のなかで使いみちを決定すべきである。
◆ふたつ目。統制が強まれば中央に指示される地方政府になってしまうが、それを完全な自治にもっていくことだ。日本の都道府県、市町村は、戦後まがりなりにも自治体として75年間を歩んできた。都道府県・市町村の職員の働きがあり、国の指示にしたがって動く細胞ではないだろう。が、まだまだではないか、もっと先へ進むべき。江戸時代は地方分権が進んでいたはずだ。幕府に統制されているものの、各藩はそれぞれの領地のなかで、税収を得、それで藩をまわし、産業育成を進めてきた。いまの地方行政は、明治以降の中央集権的なあり方から、別に西欧社会をモデルとせずとも、江戸時代にあったはずの、自己完結的な独自路線をめざせるはず。むろん、そのためには先立つもの、税の仕組みを変えていくべきことは言うまでもないが。
◆基本的には道州制に賛成な立場である。都道府県が完全な自治体となる。その上に道政府があり、広域行政的な仕事をする。国は最低限のことだけをやる、こうした姿を目指すべきと思っています。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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