人を幸せにする人になろう

田中琢さん

◆ちょっと前に奈文研の人から、亡くなったことを聞いた。その後、新聞にも出た。
◆田中琢さんと初めて、電話だったが話をする機会があったのは、大学4年の卒業した頃だったか。だから1987年。三角縁の論文が世に出たのは翌年?だったか。
◆で、1989年8月末か9月はじめか、電話がかかってきた。M2。「あのな、滋賀県で三角縁が出てるねん。見に行くか。いついつやけど。」と。「はい、いけます」。「〇時に滋賀県庁に来て」。こんなところか。このあたりは、雪野山の調査20周年?かなにかの後援会記録に書いたような・・・。文化財保護課に行き、滋賀県の公用車に乗る。どこに行くか知らされておらず、車の外をながめていると、龍王インターで降りた(のだろう)。少し前まで、雪野寺の発掘でそのへんにいたところではないか。山を登ったんでしょうね。石室が口を開け、床面の棺床の凹部の埋土のみになったところまで充満していた土が除去され、一部、横断したサブトレが入り、そこに鏡がのぞいていた。
◆わたしは下に降り、鏡片を取り上げると、藤崎と同笵の盤竜鏡だった。内行花文鏡は表を向いていたのだったか。で、もう1面の鏡片を取り上げると、わたしにはわからん世界。三角縁ではない、和製鏡の図像だった。田中さんは、それを見て、ダ龍鏡やな、と。
◆八日市市が展望台整備のための確認調査をやっていたわけだ。で、そのあと、八日市市役所で協議に入る。このあたりのことは、まだ活字にしたことはないと思う。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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