人を幸せにする人になろう

藤ノ木

◆初めて藤ノ木古墳に行きました。第1次調査が1985年、大学3年生だ。じゃかすか、新聞・テレビ での洪水のような発掘ニュースが始まる。棺内調査が1988年、M1か。文化財センターにも行く。あれ、ぜんぶレプリカなんですよね。よくできてますよね。基本的な観察は十分。だが、レプリカ作成にも金がかかる。
◆昭和の時代、奈良県内の市町村で職員を置いていなかくとも、町長などが掘りたいと希望の声が上がる。カシコ―ケンの職員は、そういうのを年度初めに、誰がどこをあ やるかの調整をするわけです。年度前半は、原因者負担の仕事をして、後半期に、そういう自分が選んだ確認調査などをやると。で、藤井利章氏が藤ノ木を選び(以前から斑鳩地域の調査をやっていた)、第1次調査を実施。しかし未盗掘墳となり、カシコーケン挙げての調査になる。これ末永雅雄を描いた『考古の巨星』なんかにそう書いてあるわけです。
◆本題に戻る。むかし、斑鳩町に職員がおらず、カシコーケンが手をつけて、すべてをもっていったわけです。昔、全国のいい資料が東京に集められたのと同じ。むろん、金の出どころの話があるし、カシコーケンだからやれた、という話もついてくる。が、昭和の段階では、県内のええもんはぜんぶ県が掘って博物館に入れてしまったわけだ。いまはそうはいくまい。
◆いまはそうはいくまいとは言っても、それはそのままなのか。橿原に行って、いいもんが全員集合していて、まとまって見れることのメリットはある。でも、これからはむしろ、そっちをレプリカにして、ホンモノは地元に戻すべきでは。



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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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