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陵墓となっている古墳の名称

◆次の世界遺産推薦は古市百舌鳥になるのかもしれない。結果は知らないが、もうすぐ発表されるだろう。古市百舌鳥古墳群が世界遺産になってほしいと願う。だが、推薦にあたって、大仙または大山古墳は「仁徳陵古墳」に、誉田御廟山古墳は「応神陵古墳」になった(これ自体はずいぶん前のことです)。森浩一先生のウン十年の取り組みがフイになった。大仙は允恭墓で、誉田御廟山は反正墓だと思っているが、そうした被葬者論の個人的見解ははさておき。現在の日本の考古学では、誉田御廟山はTK73型式期で、暦年代観は分かれるが、年代を上げる見方の根拠である共存木製品の年輪年代は412年あたり。応神没年は古事記から394年とみられている。大仙はON46の須恵器が実際に出土し、これはTK216とTK208の間(216新相)であり、これも暦年代観に差はあるが、TK216にともなう馬具と同じようなものが新羅皇南大塚南墳(トツギ王=458年没)から出ている。TK216と208のハザマがおよそ5世紀真ん中くらい、大仙は450年代くらいというのが一般的な理解。仁徳オオササギの古事記による没年は427年。誉田御廟山は応神没年より新しく、大仙は仁徳没年より新しい。むろん違う意見はあってよいが、現状の日本考古学界の理解では、それぞれ応神と仁徳の墓とみることは困難というのが大勢だろう。
学術的見解からすると、遺跡の名称を固有の倭国王の墓として命名することは不適当であり、少なくとも現時点ではそう決めることはできないとするのが良識的判断。森浩一先生が、そうした固有の倭国王名をあてることの学問的な不具合を指摘し、地元の地名や言い方にもとづき命名すべきとし、ようやく教科書や遺跡名称も、誉田御廟山古墳や大仙古墳で定着をみてきた。しかし世界遺産にするため「応神陵古墳」「仁徳陵古墳」という名称に転じ、登録されれば正式名称として決まる
◆こういう議論をすると、世界遺産登録に反対するのか、という意見がついてまわる。むろんそうではなく、世界遺産になることを望む。が、そのために「応神天皇陵」「仁徳天皇陵」と呼ぶことを受け入れよと言われるなら、受け入れられません。宮内庁は受け入れない「だろう」から、名前が適当でないとの主張=世界遺産反対なのかという言い方は問題をすり替えている。むろんシンドイ議論だ。あくまで宮内庁管理の国有財産だし、むこうの名称を用いるというのはわかる。しかしそこは、議論をし、例えば併記するなどの折り合いをとことん追及すべき重要課題であるはずだ。
◆「応神陵古墳」や「仁徳陵古墳」という名称を使うことは、オーセンティシティの問題に波及する。被葬者がわからずとも、5世紀を中心とする世界的に興味のあるモニュメントとして世界遺産としての価値は十分である。が、構成案件の名称として「応神陵」とか「仁徳陵」とかにしてしまうと、それはほんとうですか、確かめられるのですか、ということになるだろう。
◆古市百舌鳥の世界遺産登録には、こういう問題が横たわっているのである。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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