人を幸せにする人になろう

難波宮第1号瓦

◆ずいぶん前にこの話題に一度ふれた。大阪市大にある2点の軒丸瓦が、ほんとうに1919年に山根徳太郎が2779a8cb.jpg置塩章に見せられ、難波宮の存在を確信し、戦後の調査の動機をあたえた瓦なのかどうか。
◆これについて、『市大日本史』に一文を掲載しようと思った。これ昨年のこと。だが、中尾芳治氏がほとんど同じことを既に原稿を準備していることを知る。これは2010年秋に刊行された坪井先生の卒寿記念論文集に掲載された。なので、それを読んでからと先送りにした。
◆で、『市大日本史』14号をいま作っているが、自分なりにやっぱり書くべきか、もう書くこともないのでやめるか、というところに来て、中尾さんのものを読み返し、資料を集めた。こないだ、大阪歴博に行ったときには、高井さんに断って、展示されている瓦の写真も撮った。
◆で、本日、日曜日の見学検討会の資料を作らなあかんのに、この原稿を終日書いてしまった。細部はあるが、書き上げた。結論も出た。その中身を書きはじめるとシンドイのでやめるが、冒頭のテーマでいくと、いま大阪歴博にある軒丸瓦であって市大のものじゃない蓋然性が高い。では、うちのは無意味か?いや違う、という話を書いたわけです。
◆ああ、明日は、日曜日の資料の印刷をしなければならないのに、自分の資料の準備は半分だ。今晩、あと半分ができるだろうか・・・(日が変わった!今日だ)。

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雲楽
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男性
誕生日:
1964/03/22
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大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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